くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ゴモラ」

ゴモラ

3年前にカンヌ映画祭でグランプリを受賞したにも関わらず、今になってようやく日本公開されたイタリアのマッテオ・ガッローネ監督の話題作である。

今やマフィアを遙かにしのぐと言われるイタリアの犯罪組織カモッラの姿をあたかもドキュメンタリーではないかと思われるカメラワークと、特に主人公を定めない人物設定でリアルに描いていく作品で、最初は主人公は誰かと追いかけていって混乱しかけてしまいました。

映画が始まると男たちが紫外線浴でしょうか裸でブルーの光を浴びている。一人の男が気さくに彼らに声をかけ、次の瞬間次々と撃ち殺していってメインタイトル。一気に組織の実体へとリアルに踏み込んでいこうとする監督の意気込みを見事に表現した冒頭部分です。

そして物語はまるで縦横に張り巡らされた廊下でつながる巨大な共同住宅がまさに大企業のごとくみえるイタリアの犯罪組織カモッラの巣窟。その通路では当たり前のように麻薬が売りさばかれ金がやりとりされる。また、少し離れた場所では産業廃棄物が全国から集められ不法投棄され、また模倣衣類が当然のように縫製されている。(これは風雨の縫製であるのかもしれません。理解が間違っているかも)。それらに関わるのは当然組織の幹部たちではあるが、時にそんな地域にすむ青年や少年さえも関わっている。

その実体が、次第にそんな組織に加わっていく少年トトの姿や、組織の銃を盗んではバカ騒ぎをし、やりたい放題の行動をするチロとマルコという青年の姿、あるいは中国人に自分の縫製の技術を教えにいくパスクワーレ、金の分配をするドン・チーロ、不法投棄をして莫大な富を得ようとするフランコなどの物語が次々と交錯して描かれていく。

そしてそんな物語の背後にうごめくカモッラの中の組織争い、権力争い。さらには裏切り者、あるいは自分たちの富を得るための妨げになる人物は容赦なく殺していくという非情な行動の数々がつづられていくのである。

張り巡らされた共同住宅の中をカメラが縦横に走り回り、金を稼ぐとことにしか興味のない人たちの世界をまるで閉鎖空間のごとく描く一方で、一歩外に出ると当たり前のようなイタリアのふつうの景色が広がるという対比の不気味さ。

裏切り者としてドン・チーロの妻は殺され、トトは組織にはいるかどうかを強制され、パスクワーレはそんな世界に愛想を尽かし、今まで彼から搾取してきた上司の元を離れてトラックの運転手になって夜の町に消える。最後にチロとマルコが組織のボスに巧妙に計られ撃ち殺されてその死体がブルドーザーでまるで物のように処分されていくシーンで映画が終わります。

時にドキッとするほどの人物のクローズアップが挿入され、まるでイタリアネオリアリズムのような映像がちりばめられる中でそれぞれの人物への監督の視線は常にドライで殺伐としている。

見終わって、確かにフィクションとしての映画なのだがノンフィクションとしての舞台が不気味なほどの迫力になって心に残る。これが傑作と呼んだ人たちの気持ちも十分に理解できる。しかし、その映像から訴えかけてくるカモッラの実体、イタリアの現実は実に重い。どうも、最近のカンヌ映画祭のグランプリは偏りすぎているように思える。映画は娯楽であるという基本理念が薄れすぎている。その意味でこの映画は私の好みではないのです。