「水の中のナイフ」
いわずとしれたロマン・ポランスキー監督のデビュー作にして代表作、30数年ぶりに見直す機会に出会いました。
さすがに名作というものの息吹が漂ってくる。作品全体のムードが実に美しい。その美しさが冒頭のタイトルシーンからラストシーンまで決して途切れるところがない。映像、物語、音楽、それぞれがフィルムになっているのである。紛れもなくロマン・ポランスキーの傑作と改めて感動してしまいました。
フロントガラスの外からカメラが運転席と助手席をとらえている。ピントがフロントガラスになっているので中は見えず、流れる木々の景色が写っていく。タイトルが終わるとピントが室内へ移り浮かび上がるように中にいる夫アンジェイと妻クリスティーナが現れる。息を飲むファーストシーンとはこのことをいうのだろうか。
二人の様子は決して仲がよいわけではないがといって今にも離婚の危機というわけでもない。いわゆる倦怠期の夫婦という感じだ。
途中に一人の青年に出会う。飛び出してきた青年を罵倒しながら車に乗せて夫婦が向かうヨットハーバーへ行く。アンジェイは無理矢理青年をヨットに招待し、三人は沖へでる。
物語はこの三人だけのヨットの上での物語である。走るヨットのスピード感、青年とアンジェイの何ともいえない確執。今にも壊れそうで争いになりそうな二人の姿に妻クリスティーナとアンジェイの奇妙な絆が見え隠れする。彼方に浮かぶ雲、透き通る水。壊れるようで壊れない心のバランスが漂う中でのどこかドキドキするサスペンス。
なぜか、アンジェイは青年の持つナイフが気にかかる。それがアンジェイの本心に潜む恐怖を呼び起こしているようでもある。そんな心を見透かす妻クリスティーナ。必死で強がりを振る舞って青年をこき使うアンジェイ。
一夜があけ、青年を岸へ送る途中にアンジェイは青年に子供じみた嫉妬で海に放り込み、青年は一瞬行方不明に。夫婦はあわてるが、実は青年はブイに隠れている。クリスティーナに罵倒されアンジェイは泳いで帰る。現れた青年とクリスティーナはついつい体を重ねる。しかし、あくまでクリスティーナはアンジェイの妻であることを忘れない。
ハーバーに戻ったクリスティーナは待っていたアンジェイと車に乗る。おぼれさせたと信じているアンジェイは警察に行こうとするが、真実を妻が話す。警察への道の途中で車を止めるアンジェイ。妻のひとときの不倫に揺れる心と真実を知った微妙な感覚の中でカメラは止まった車を遠景でとらえてエンディング。この後への余韻がサスペンスを生む見事なラストシーンである。
たわいのない物語だが、見事に配置された夫婦と青年の心のバランスの不安定さ、映像のリズムと挿入されるコメダのモダンジャズの見事なコラボレートが映像の完成品として結実したすばらしい一本。今なお見直してもその感動は変わらなかった。
「愛なくして」
高林陽一監督の近年の作品。といっても2003年である。
京都を舞台に、様々な人が問いかける死と生について語っていく作品である。
形のあるドラマはなく、尊厳死を望む老人や、死に場所を求める中年の男、不治の病で入院を控える若者、生きる目的をただひたすら蝦蟇の油売りに求める男、ふるさとを失い、かつてのにぎやかな生活を回顧する老人、世の中を憂いながら日々平凡に暮らす夫婦、前途に希望が見えるかのような恋人たちなどなど、それぞれがオムニバスに重ねられ繰り返されて人間の生死を語っていく。
90分足らずだが、自主映画のごとき展開はある意味退屈だが、こういう高林陽一の世界にふれるのもまた一興と呼べる一本でした。
「魂遊び ほうこう」
この作品を最後に「愛なくして」まで16年間映画を撮らなかった高林陽一監督のいわば集大成と呼べる一本という解説でみてみる。
京都の奥山恵介という人形師の姿とその一座の人形芝居を交えて描く男と女の情念の世界。虚構と現実、人形と人間が入り交じる幻想的な世界はまさに高林陽一ワールドである。
物語がどうという作品ではなく、ひたすら観念の映像世界でどんどん映像が進んでいく。バスを降りた一人の女がバス停のそばに一つの人形を見つけ、そのまま山深く入っていくと道ばたにまた人形が、そしてたどり着いたところにも人形が。そうして、いつのまにか怪しの世界へと誘われていく。
奥山恵介が女を次々と化粧し、次の人形、次の人形と作っては幻想的な人形芝居が展開される。時々、人間のドラマらしきものも挿入されるが、そこに高林監督のメッセージが見え隠れする。
犯罪を犯したらしい男、家を飛び出し、レイプされる女、男と別れて別の男と結婚したものの、前の男に日本刀で切られて殺される女。そんな、取り留めのないエピソードの数々の合間に人形芝居のシュールな世界が展開する。
決して具体的にすばらしかったと感想を書けないような映画であるけれども、すべての固定観念を解放して写されてくる映像世界をストレートに受け入れるという自由世界に身をおくこともまた映画を見る中での一種の快感であった気がします。これも映画です。