くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「蔵の中」「マダム・フローレンス!夢見るふたり」

kurawan2016-12-01

「蔵の中」
高林陽一監督らしい、様式美の世界で見せる横溝正史原作の官能ミステリー。しかし、全編、静の世界で展開する物語は、正直、しんどい。とはいえ、井川徳道の美術の美しさ、京都の雅の世界のごとき色彩配分や構図は、さすがにクオリティの高さを見せつけて来る。

竹林を一人の男磯貝が傘をさして歩いている。霧のような雨が降り注ぐ京都の一角。突然、傘に蛇が落ちてきて、慌てて傘を捨て、自分の経営する出版社にやって来る男。そこで一人の端正な顔立ちの青年笛二が、持ち込み原稿を持って待っていた。こうして映画が始まる。

原稿の題名は「蔵の中」、きっと面白いからと青年は立ち去り、男はその原稿を読み始めて本編が始まる。

京都の町屋のような落ち着いた木の色彩で囲まれた部屋、さりげなく置かれた和鞠や人形。笛二は、肺病で蔵の中で暮らす姉小雪のところに入り浸っていた。そして、二人で望遠鏡で隣の男と女の妖艶な生活を除く日々を送っていた。

小雪のそばには、鼓を叩くからくり人形が置かれている。暗闇に赤い明かりや格子窓から差し込む日の光が独特の静けさを産んでいる。

時折小雪は血を吐き、婆やが差し入れる食事をろくに取ろうともしない。耳が聞こえなくなり、言葉を発しない小雪の言葉の代わりをする笛二の一人芝居が、不可思議な世界を生み出し、望遠鏡の彼方で繰り広げられる俗っぽい男と女の情炎が好対象に物語を紡いでいく。

やがて、小雪と笛二は姉弟にもかかわらず体を合わせ結ばれる。そして、ついに小雪は息をひきとる。磯貝は原稿を読み終わり、自分たちが蔵から覗かれていたことを知り、慌てて、蔵を訪れるが、応対した若い女中は、蔵に娘などいなくて、青年だけだという。磯貝が蔵の中に入ると、そこには、かつて原稿を持ち込んできた青年が女の姿になり首に針を突き刺し死んでいた。

横溝正史のおどろおどろしい世界を、日本的な様式美で描き変えた作品で、全編の仕上がりはなかなかのものですが、ほとんど笛二の一人芝居ゆえに、退屈と言えなくもない。小雪の容姿が、思いの外不気味さに欠けるが、当時は話題になった。時代ですね。でも、映画としてはいい作品だと思います。


「マダム・フローレンス!夢見るふたり」
決してよくできた映画ではなけれども、素直に感情移入できた気がする。実在の女性フローレンス・フォスター・ジェンキンスの半生を描いた物語。監督はスティーブン・フリアーズである。

時は第二次大戦末期のアメリカ、音楽を愛し、ソプラノ歌手になる夢を捨てずにいる一人の女性フローレンス・ジェンキンス。夫のシンクレアはそんな妻のために、必死で小さな音楽会を開いたりしながら支えている。しかも妻には歌の才能がなく、というより極端な音痴。それを本人は知らないのだが、夫は、様々な手段でお客を集め、絶賛させて、妻に尽くしていた。

この映画、一見フローレンスの話のようだが、どちらかというと夫はシンクレアのナイト的な行動の物語ではないかと思う。

メディアや来賓を買収し、そんなことも知らず歌い続けるフローレンス。しかし彼女は実は梅毒に犯されていて、しかもうつされたのが18歳、そこから50年も生きていることが不思議だと医師は言うのだ。

やがて彼女はレコードを作り、それがラジオに流れ、ついにカーネギーホールで歌うと言い出す。そして、軍人にチケットを大量に配り、当日は満席になる。

ところがいざ歌い始めると、初めて聞く人々はみんな嘲笑し始める。ここで、前半でいかにも下品な女として登場したフローレンスの客の一人の女が一括し、その場を鎮める。この辺りの脚本はうまいと思う。しかし、きていたニューヨークタイムズの記者は出て行き、翌日、酷評を載せる。

シンクレアは必死でその新聞を隠し、絶賛する新聞だけを見せたが、ふとしたことでフローレンスが気づき、初めて、自分の姿を知り卒倒、その時に頭を打ってしまう。それが原因か、間も無く夫のみとる前で息をひきとる。

もう少し、夫の行動に引き込まれてもいい気がするが、何か演出不足か、今一歩入り込目ないのは残念。伴奏で雇われたピアニスト、ゴスメをもうちょっと面白気使えば物語に厚みも出た気がするが、そこもやや演出不足。

自ら感情を膨らませないと、物語にのめり込めないところがあった作品でしたが、メリル・ストリープヒュー・グラントの演技力でもたせた感じです。映画としては、見る価値のあった一本だったかと思います。