くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「日本の夜と霧』「青春残酷物語」

日本の夜と霧

「日本の夜と霧」
製作されたのが1960年、公開四日目で上映中止になった問題作であるが、大島渚監督の先を見据えた辛辣な視点に頭が下がるすばらしい一本でした。物語のメッセージ性のみならず映像作品としてもずば抜けたオリジナリティと実験性にあふれていることにもまた驚かされるのです。

映画は安保闘争で結ばれた野沢と玲子の結婚式の披露宴会場に始まる。カメラがゆっくりと新郎新婦に寄っていき、さらに右に左にとパンを繰り返す。招待されたのは学生時代に共に戦った同士たち。仲人はそのときの先生である。スピーチが続く中カメラは延々と長回しで人々の視線をとらえていく。と、会場の向こうに一人の男太田の姿が。

物語は逮捕状がでている太田が会場に登場し、かつての安保闘争時代に起こった同士たちの出来事を糾弾し始めさらに、当時、彼らを取り巻いた様々な出来事をサスペンスフルに時間と空間を交錯しながら描いていく。

延々ととらえるカメラのワンシーンワンカットがほんの一瞬も緊張感を解くことなく、時折、舞台演出のようにスポットライトで人物を暗闇にとらえる。外には霧深い闇が広がり物事の本質がかすんでいるようである。そして、学生時代に自殺した同士、行方不明になった友人、恋を描いていくのだが、常に彼らの当時の思想観念を流麗なスピーチと演説の中にとらえてあたかも彼らの考えは正しかったかにも見せる。

彼らが信じ、突き進んだ運動の背後に起こるほんの些細な矛盾が生み出す悲劇がちらほらと物語の表にでてくると、果たして学生時代に突き進んだ信念は実は非常に形式的で偽善的であったのではないかとさえ見えてくるのである。

様々な出来事を語り尽くされたかの終盤、踏み込んできた刑事に太田は逮捕されるが、その後、当時学生たちを率いた中山が延々とスピーチをして太田の後を追わんとする若者たちを思いとどまらせる。

武力運動から話し合いによる解決に闘争の形が変わったとはいえ、本来労働者が臨むべき運動であり、ただ世の中の流れに学生たちが盛り上がり、所詮、親の庇護を受けているプチブル的存在でしかなかった。そこになんの本当に目指す信念もなく、社会の盛り上がりに乗じただけだったのだと辛辣な言葉を浴びせるのである。

国のため、労働者のために立ち上がったごとくの奢りをもった学生たちの、運動への大島渚のあまりにも鋭すぎるメッセージが吹き出してくる映像に、いかに大島監督が冷静に世の中を見据えていたかを思い知らされる。

闘争当時のスパイ事件を空間と時間を前後に組み合わせて真相らしきものを語ったり、中山の妻となった美佐子と野沢の関係も描きつつ、真実と思われる裏に存在する本当の真実とはこういうものだと暗に語る脚本も見事というほかないのです。

単なる問題作としての位置づけ以上に、映画作品として非常に優れた一本であったことに改めて納得できる作品でした。すばらしかった。


「青春残酷物語」
圧倒的に緊張感あふれる映像で、破滅に向かう若い恋人たちを辛辣にとらえる大島渚監督の代表作をようやく見ることができました。

クローズアップ、左右のパンニング、息詰まる台詞の応酬、ハイテンポでジャンプカットを繰り返すストーリーテリング、すべての融合が1960年当時の若者たちの未来を浮き彫りにしていく。

新聞紙の切り張りをバックにしたタイトルが終わると、映画は夜の街で送ってもらう車を探す若い二人の女性のシーンに始まる。いったい、現代でさえもかなり危険な行為であるが、いともふつうに車を探す彼女たちの姿にまず引き込まれてしまう。

二人で乗せてもらったが、先に一人が降りこの物語の主人公の一人真琴が男性と二人きりとなる。巧みにホテルにつれていこうとする中年男性に抵抗しているところへ現れたのが不良学生の清。殴って金を取って助けた清は真琴と体を重ねる。

木材の浮かべてあるところで戯れる二人のショットが実に斬新で美しい。いやそれよりこれからの二人を暗示するようにふらふらと揺れる木材の上でのSEXシーンが妙に初々しくもあるのです。横長の画面の左右の端に配置する人物の構図も引き込まれるほどに作品を際立たせます。

ふつうの学生だった真琴は不良っぽい清に引かれ、同棲するようになる。真琴の姉は戦後の学生運動の闘士であったが、向けるべき青春の行き場を誤ったと思っているのか、妹の行動にどこか嫉妬さえ覚えている。清は中年の人妻とつきあっているが真琴と美人局で稼ぎ始め別れる。

清に関わってくるチンピラ、友人の好巳、真琴の友人の陽子などが物語の枝葉に絡んできて当時の若者たちの世相がまざまざとスクリーンからにじみ出てくる。

やがて真琴は妊娠。子供をおろした闇医者は真琴の姉のかつての友人であったりと、人間関係もさりげなく絡まってくるあたりもまた物語に深みを与えてくるのです。

妊娠の後疎遠になった真琴と清だが、優しい態度を見せる清と真琴は再びつきあい始める。しかし海へ出かけたりして遊んだ帰り、アパートに戻ったところで警察に逮捕される。

何とか出所できたものの、そのときの取り調べの中でしゃべったことなどもあって、かつてのチンピラに清が絡まれ、落とし前に真琴を利用して稼がせるから差し出せといわれて、拒否した清はリンチの末に死んでしまう。

一方、自暴自棄の中、夜の街でいつものように中年男の車に乗った真琴は、中年男に執拗にホテルに誘われ、必死で抵抗し、走る車から飛び降りて彼女も死んでしまってエンディング。

かつてのようにバイクで追いかけてくる清を思って、何度も振り返る真琴の最後のシーンが強烈に心に残る。突っ走ったような青春ドラマであるかもしれないが、行き着く先にあったものは破滅でしかなかった、という余りに切ない物語は、平和が一段落した当時の日本の若者たちが抱えた見失った目標であったかもしれない。

ほんのわずかの隙間も与えない徹底した彼らへの辛辣な視点が、最後まで張りつめた緊張感となって作品のムードを作り上げてくる。今見ても、非常にモダンなムードが漂う青春ドラマであり、その色あせない魅力が名作として語られるゆえんであろうと思います。いい映画でした。