くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「冒険者たち」「風立ちぬ」

冒険者たち

冒険者たち」
20年ぶりで見直した大好きな映画。いうまでもなく名匠ロベール・アンリコ監督の名作である。

改めて見直したのですが、これほどまでにテンポがいい映画とは思いませんでした。映像がフランソワ・ド・ルーベの名曲にのって、みずみずしいほどに洗練されたリズムで描かれていく。今みてもそのモダンな映像感覚には引き込まれてしまいます。

ジョアンナ・シムカス演じるルテシアが、スクラップを用いたオブジェのパーツ探しにやってくるシーンから映画が始まる。いきなりの彼女のアップ、ワイドスクリーンを有効にとらえた構図で真っ赤な車のドアを手にする。

そして、プロペラなどをかき集めていたところへ赤いトラックに乗ったリノ・ヴァンチュラ扮するローランと出会う。彼の誘いで、これから向かうところで手伝ってほしいと言われ、ためらいもなく彼の車に乗り、向かったところは飛行場。そこへ、アラン・ドロン扮するマヌーが複葉機で貼られたテープをくぐる練習をしている。

凱旋門をくぐる場面をカメラで撮れば売れるといわれて計画しているが、じつは担がれているのである。

こうして始まる三人の若者の突っ走る青春の物語は、アメリカ映画とはちょっと違った色合いながら、実にみずみずしいストーリーとして一種の切ない感覚を覚えてしまうのである。

ルーレットでもうけようとすれば、思ったように行かず、ふと耳にしたコンゴの沖に沈む宝を目指してアフリカへ。そこで胡散臭い男と知り合い、その男の案内で海に潜ってまんまと宝を手に入れるが、その男を追ってきた不気味な男と銃撃戦になり流れ弾でルテシアが死んでしまう。

その直前、ルテシアはローランに「二人で暮らしましょう」と愛を告白。ところがマヌーはルテシアに愛を告白していたが、彼女にふられているシーンがその直前にあるのである。ルテシアの死に至る展開へと持っていく前の組立のうまさにうなる場面だ。

手持ちに近いほどに自由に動き回るカメラによる新鮮な映像が、さりげなく取り交わされるプラトニックな恋の物語を見事に映像に映し出すし、一攫千金を目指す未熟な若者たちの、ひたむきな生きざまもスクリーンからにじみ出てくる切なさが、何ともいえない熱さを覚えさせるのである。

追いかけてくる悪者の正体が最後まであかされず、胡散臭い男の正体も見えない。ただ、ルテシアとの思い出を胸に、彼女の夢の島軍艦島を買い取るローラン。一度はパリに戻ったマヌーも再びローランのところにやってくるが、そこで、追いかけてきた悪者と銃撃戦になり、撃退したもののマヌーは死んでしまう。一人残されたローランが頭を抱え悲嘆にくれる。カメラがゆっくりと俯瞰で離れ、軍艦島を彼方にいつまでも映しながら回っていってエンディング。

二時間弱の作品ながら、どんどん引き込まれていくカメラリズムとストーリーテンポはオリジナリティあふれる完成度を見せ、よけいな描写をすべて排除し、ひたすら前に前に進もうとする三人の若者の青春ドラマを前面においた脚本もすばらしい。何度みても飽きない魅力あふれる名作ですね。やっぱりいい。


風立ちぬ
近年の宮崎駿アニメはほとんど期待していないのですが、この作品は予想に反してとってもいい映画でした。

物語は昭和の激動の時代を、零式戦闘機の設計者としても有名の堀越二郎の半生を通じて描く物語です。題名に堀辰雄の小説の題名を引用しているように、最愛の妻菜穂子との切ないラブストーリーがその中心に流れています。そのもの悲しい物語と、日本が忘れてはならない悲劇の時代を重ね合わせてストーリー構成が実にうまくコラボレートされて完成されている。

もちろん、歴史的な史実も描かれているものの、根本的にはフィクションである。それでも胸に迫ってくる感動はやはり日本人の心がしっかりと描けているからではないでしょうか。

しかも、頻繁にでてくる堀越二郎の夢のシーンに宮崎駿の真骨頂である飛行シーンが、すばらしいファンタジックな映像として作品を彩っているのがとってもいいのです。

少年時代の二郎が寝ているシーンから映画が始まり、夢の中で屋根の上に設置された飛行機に乗って飛び立っていくシーンへ続いて映画が始まる。屋根から真上に飛び上がるという幻想的なプロペラ機のシーンが実にファンタジックで、一気に夢の世界へ。

そして、導入部は、汽車に揺られているところで出くわす関東大震災、菜穂子との出会いへと続いて、どんどん物語の核心へ引き込まれていく。そして、ここからの展開がハイテンポで間延びしない。次々と様々なエピソードをさりげない流れでたどりながら、当時の日本の技術の脆弱さ、ドイツに追いつけ追い越せという技術者たちの意気込みが描かれる一方で二郎と菜穂子が再会、結婚へ。そして、いよいよ堀越二郎の零式戦闘機の設計への道のりと菜穂子の療養生活が切なくつづられていく。

宮崎駿得意の飛行シーンは中盤以降は極端に少なくなり、どちらかというと二郎と菜穂子のラブストーリーというドラマ的な部分に映像が偏ってくるのはちょっと寂しいものの、作品全体のバランスとしてはこの方がいいようにも思える。

そして、零戦の完成で、その飛行テストに家を離れた二郎、最後の姿を見せまいと山の療養所へ一人去る菜穂子。そして、テストの成功から菜穂子の死、エピローグへと続いていく。

駆け抜ける昭和の激動の時代の一齣という感じのどこかノスタルジックで切ないムードが漂う映画で、こういう時代が、こういう人たちが、こういう出来事がかつて日本にはあったと思わせる、ちょっと寂寥感を持ってしまう映画でした。

宮崎駿らしい映像と言えば、導入部の関東大震災のシーン、夢の中の飛行シーン、草原をカメラの動きが大胆に人物をとらえるシーンなどがみられるが、すでに全盛期を越え、晩年の作風になった宮崎アニメの一本としては大人の作品として完成されていたと思います。素直に涙することができた一本でした。