くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「地獄」(ロミー・シュナイダードキュメンタリー)「LOVE LIFE」

「地獄」

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の未完成の映画「地獄」を描いたドキュメンタリーです。結局、残されたフィルムを中心にした作品ですが、完成していたらどうなっていたかなんとも奇妙な作品になったであろうという感覚は掴めるドキュメンタリーでした。

 

妻の浮気を疑う夫の悪夢のような妄想を、テクニックを駆使した映像と編集で見せる作品らしく、ライティングで遊んでいるかのような映像や、不気味な構図を交えて作って行ったフィルムの断片が綴られ、一方で、偏執的な演出で役者を動かすクルーゾー監督の狂気についての証言も語られていきます。クルーゾー監督の突然の心臓発作で映画は未完成に終わり、ロミー・シュナイダーが、これで良かったというようなセリフで映画は終わる。貴重なドキュメンタリーという一本でした。

 

「LOVE LIFE」

木村文乃が新境地にチャレンジするというので期待もしましたが、なんとも居心地の悪い映画でした。登場人物の背景を一切ぼかしてしまって描かないことを徹底した脚本がこの心地悪さを生み出した気がします。それと、考え過ぎかもしれませんが、韓国人や韓国シーンを無理やり入れた物語と聾唖者であるキャラクターの挿入が肝心の子供の事故から動き出す物語のテーマをぼかした気もしますし、賞狙いがあざとく見えてしまった。監督は深田晃司

 

とあるアパート、下の広場を見下ろすと、二郎の職場の同僚が何やらプラカードを出している。二郎の父の誕生日のお祝いメッセージらしく、リハーサルを終えて休憩に行く同僚たちを送り出す二郎。なぜか二郎の元カノで、職場の同僚の山崎が来ている。その設定がまず疑問かつ説明が弱い。妙子は連れ子の敬太とオセロをしている。敬太はオセロで優勝したほどの腕前らしい。二郎の父は妙子との結婚を許していない風で、この日、父の誕生祝いをすることで、関係を和らげようとしている。

 

間も無く二郎の両親がくるが、父は相変わらずそっけないし、冷たい言葉を妙子に浴びせる。険悪なムードの中、広場でにプラカードイベントが成功、和やかな雰囲気になって同僚たちを交えてのパーティーが始まる。父も気を良くしてカラオケを始める。そんな時、おもちゃで遊んでいた敬太が風呂に落ちて死んでしまう。絶望の中、葬儀が執り行われるが、そこへやってきたのは妙子の元夫のパクだった。パクは聾唖者で、妙子を殴って泣き崩れる。

 

妙子は福祉の仕事をしていて、公園で暮らしているパクを訪ね、実家から送ってきたパスポートなどを届けるが、しばらくしてパクは生活保護の申請にやって来る。韓国語の手話ができる人がいないため妙子が担当することになる。パクは敬太が生まれてすぐに行方をくらましたらしいが、なぜか敬太の手話も堪能だし、まず矛盾、しかもなぜ失踪したかの説明は結局最後までなかった。

 

二郎の両親は同じ団地の向かいの棟に住んでいたが、いい物件が見つかったと引っ越すことになる。その手伝いに二郎はついて行くがその先に、山崎の実家があり、会って話をする。二郎と山崎の経緯もセリフで説明されるが、実に薄っぺらい。一方、妙子は二郎の両親が住んでいた部屋にパクを住まわせる。妙子は執拗にパクを一人にしておくことが不安だった。まもなくして二郎が帰ってくる。両親のかつての部屋のベランダにパクと妙子がいるのを見かけて、その部屋に行く。パクはこの部屋を出て行くというが、妙子は一人にできないからと引き止める。そこへパク宛の手紙が届く。パクの父が危篤なのだという。

 

慌てて韓国に戻ろうとするパクだが、港で、妙子はパクを一人にして置けないと同行してしまう。妙子の執拗なこだわりが全く伝わってきません。そんな妙子を見つめる二郎の心はかなり複雑なのだろうがそこもあっさりである。韓国についたものの、実はパクの父が危篤というのは嘘で、パクの前妻との息子の結婚式の案内だったことがわかる。なんともお粗末な展開である。パーティで騒ぐパクたちを見つめる妙子。雨が降ってきて、一人踊る妙子。

 

妙子は自宅に戻ってくる。そこへ二郎が帰ってくる。二人は何事もなかったかのように散歩に出て映画は終わるが、この静かなラストに秘められたメッセージが全く伝わってこない。

 

極端な言い方をすれば不条理劇である。誰一人、まともな人間はいないし、まともな展開もない。二郎や妙子ら人物の背景を一切描写しないので、台詞の端々だけで何かを感じざるを得ない作劇になっている。しかも、妙にだらだらしたテンポで展開する。二時間で描く映画ではない気がしました。