くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「私が愛した大統領」「ロード・オブ・セイラム」

私が愛した大統領

「私が愛した大統領」
とっても上品な画面と静かな音楽、そして光の演出を大切にした良質な大人の映画でした。

短焦点のレンズを利用したピン送りの演出がとっても美しく、スタンドライトのオレンジ色に浮かび上がる人物の顔のショットや、、のどかに広がる田舎の緑の風景、うっすらと空に浮かぶ満月のショット、建物にあわせたように浮かぶ雲の配置など、質感にこだわった画面がとにかく美しい。しかも、背後を彩る静かな音楽が、ある意味情熱的なラブストーリーを上品に彩っていきます。

物語は第二次大戦直前、アメリカの田舎町に暮らすフランクリン・ルーズベルト大統領のいとこデイジーの自宅に始まります。調度品のアップ、背後の人物、その手前の母の姿などを順番にピントを合わせていくカメラ演出で、静かなリズムを作り出すと、折しも、地元に戻った大統領からデイジーを呼び出す電話がかかります。いそいそとでかけるデイジー

忙しい中で、切手のコレクションを見せ、二人きりのドライブに誘う大統領。つかの間の休息と、ほのかな浮気心がデイジーにも伝わり、二人は心地よい大人の恋物語を描いていく。緑の芝生が広がる森の中を走る大統領の車のシーンは、まるで、イギリスの田園風景のようでもある。

咲き乱れる紫の野草の中で二人は、ちょっと危険な語らいのひとときを過ごす。小児麻痺で足が動かない大統領に寄り添うようにつきあうデイジーの姿が、本当に丁寧な描写で上品に描かれていく。

監督はロジャー・ミッチェル。

戦況が目の前に見えてきて、イギリスはアメリカの援助を得るために大統領の招きに応じてやってくることに。物語の中心はこの来訪の出来事がメインになる。

やってくるのは「英国王のスピーチ」に描かれたジョージ6世である。妻のエリザベスは、ことあるごとに英国王としてのプライドを大切にしようとするが、屈託のないルーズベルト大統領の人柄にすっかり心を開くジョージ6世。

晩餐の日、大統領の本妻のエレノアもやってきて、秘書のミッシーの目もあり、晩餐に招かれなかったデイジーは、大統領が余生を過ごすべくたてた森の中の別荘に。しかし、そこで、大統領がミッシーと密会している場面に遭遇。デイジーは自分も大統領の愛人の一人であるだけだったのかと知りショックを受ける。

アメリカの夜という感じのブルーフィルターでとらえられる夜の月、芝生に広がる森の木々のシーンがとっても美しい。流れる音楽がまるで夜に聞こえる虫の音のような響きになるからとにかくすてきなのです。

一時は大統領から遠ざかろうとするも、翌日のピクニックにデイジーは現れ、大統領のそばでジョージ6世の接待をする。

国王が帰った後、一週間ほど、大統領の招きに応じなかったデイジーだが、自ら迎えにきた大統領に再び心を開くデイジー。さらに、ミッシーとも仲良くなり、次第に多忙と年齢を重ねていく大統領に寄り添っていくデイジー。その様子はナレーションのみで語り、やがて、暗転、デイジーの死後、ベッドから、ルーズベルト大統領との日々を語った日記が見つかったとナレーションされる。

エンドタイトルに、ジョージ6世がピクニックで撮った8ミリフィルムが流れる。

歴史の裏に隠れた、ほんのささやかなラブストーリーですが、英国王室の来訪という出来事をメインに、さりげない展開で淡々と語る物語は、派手さはないものの、大人のムードをしっかりとした映像で描いていく。その、丁寧で、上品な語り口にいつの間にか最後まで登場人物の行く末を見つめてしまう。良質の一本でした。


「ロード・オブ・セイラム」
ロブ・ゾンビ監督作品というのは、見たことがなかったので、ちょっと怖いもの見たさにでかけたのだが、なんと久しぶりに低俗そのもののB級ホラー映画に出くわした。それも、何のオリジナリティも才能もない映像世界とストーリーテリングのまずさに、後半、眠気さえもようしてきてしまった。

17世紀の末、アメリカ最後の魔女裁判として、セイラムという村で7人のセイラムの領主(ロードオブセイラム)と呼ばれた女たちが処刑される。しかし、そのうちの一人が最後に呪いをかける。

このシーンも、ただ、おどろおどろしいだけで、思い切ったスプラッターさえ躊躇しながらも、どこか嫌悪感をもようす映像にしようという中途半端な演出がかえって、見栄え悪くしている。

そして現代、ハイジというセイラムの町でDJをしている女性のところに、ロードというグループから一枚のレコードが届き、それを流すと、町の女たちの様子が急変する。

ハイジのアパートの廊下の突き当たりの5号室に、人がいないはずなのにドアが開いたりと、よくあるシーンも最初に登場するが、レコードが流れる前からというのも、一貫性がない。ハイジの部屋になぜか現れる全裸の傷だらけの女のショットも結局、生きてこない。

ハイジは、かつてセイラム魔女裁判の判事をつとめた人物の末裔で、何かの恐ろしいことが行われていると気がつく歴史博物館につとめる男が、探り始める下りも非常に弱い。バランスの悪さがさらに中途半端な展開になり、疲れきった感じで次第に呪われていくハイジが、クライマックス、仰々しいホールでなにやら17世紀の魔女たちに呪われていく下りの映像センスも並。

結局、魔女たちの呪いが成就して、セイラムの子孫たちが全員死んでしまってエンディングなのだが、物語として流れていない。脚本の弱さと映像センスのなさが生み出した最低のホラー映画。

出来の悪さに嫌悪感を覚える映画も珍しいが、その一本がこれだった。