くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「華麗なるギャツビー」(バズ・ラーマン版)「嘆きのピエタ

華麗なるギャツビー

華麗なるギャツビー
基本的にデジタルカメラを振り回したような映像は好きではない。この作品も冒頭からめまぐるしいほどの切り替えしのショットの連続と、デジタルならではの縦横無尽のカメラワークを見せて、一気に非現実的ともいえる古きアメリカの狂気の世界に引き吊り込んでくれる。

カットの切り替えしというより、スイッチ一つで繰り返されるショットの変換という感じの映像は、非常に疲れを呼び起こすが、それが、このギャツビーが開催している狂喜乱舞する豪華なパーティの場面を見事に映し出してくる。しかし、ストーリーのテンポに映像がついていかないために、この前半部分かなりしんどいことも確かである。

やがて、画面は落ち着いて後半の愛憎劇に入ってくるあたりから、ようやくストーリーをゆっくり楽しめるようになる。しかし、いかんせん、全く人間の感情が見えてこない機械的な映像はラストシーンにおいても、何の胸うつ感動も生まなかったような気がします。

映画はギャツビーの友人として登場するニックが収容されている精神病院のカットに始まる。アルコール依存症等で入院しているのだが、彼にギャツビーとの日々を書いてみてはどうかと医師がアドバイスして、ニックが回想していくという展開で本編へ進む。

毎夜、気狂いじみたパーティを行うギャツビーの城、その対岸にはかつて愛したデイジーとその夫トムがすむ屋敷があり、デイジーのいとこのニックが隣に住んでいる。
カメラは時にぐーんとデジタルズームでお互いの建物をとらえる。

個人的にパーティに招待されたニックは次第にギャツビーと親しくなり、デイジーとギャツビーが出会う場を設定する。この場面、かなりあざとい。こういうシーンはバズ・ラーマンは苦手なのだろうか。

ギャツビーとデイジーは五年前に別れ、ギャツビーは成功して金持ちになってデイジーを迎えに行くつもりだったが、デイジーはトム・ブキャナンという富豪と結婚しているのである。

謎を秘めたギャツビーの正体、富豪と知り合ったのだが、それもうまく財産を得られず、実は密売業を営み巨万の富を得たことが次第にわかってくる。

ギャツビーは今も愛するデイジーとやり直すべく、その富の限りを尽くしてデイジーのためにその対岸に城をたて、もう一度デイジーを手に入れようとしていた。デイジーもトムを愛しているとはいえ、ギャツビーを忘れられない。

クライマックス、ギャツビーの本音をかぎつけたトムとギャツビー、ニック、デイジーがそれぞれの車でニューヨークのホテルに行き、思いの丈を言い争い、おもわず感情的になったギャツビーはトムに迫り、そのままデイジーと飛び出す。ニューヨークに行く時に車を入れ替えていたトムとギャツビー、たまたま途中にトムの愛人のガソリンスタンドがあり、その愛人と夫が言い争う直後にそこを通過したギャツビーとデイジーは、その車がトムのものと勘違いし飛び出してきた愛人をはねてしまう。

やがて、そのはねた男がギャツビーと知った愛人の夫はデイジーからの電話をプールで待つギャツビーをピストルで撃ち殺す。

デイジーは家族とその地をはなれ、ニックの要請にも関わらずギャツビーの葬儀にもこない。あれだけパーティに集まったギャツビーの客人たち誰一人として葬儀に来ない。カメラは棺に横たわるギャツビーの姿を真上からとらえる。

やがて、ニューヨークは大恐慌へと突入していく。

ラストシーンは、それまでの高ぶった展開を一気に悲劇につき落とす感情的なラストシーンであるが、バズ・ラーマンの映像にそういう感情が存在せず、ロゴが画面に映ったり、CGによる装飾が施された映像はほとんどの感情を排除してクールに締めくくる。これが彼のスタイルといえばそれはそれで、十分に楽しめる。

ちょっと評判が良くない作品でしたが、私は、これはこれでいい映画でした。でもフィルムで描かれた旧作を見てみたいですね。


「嘆きのピエタ
さすがに、一日の最後に見る映画ではなかった。暗い、重い、つらい。キム・ギドグ監督ならではというより、海外で評価される韓国映画の典型的なドラマだった。

画面にぶら下がる鎖。ゆっくりと下がってそれを首に巻き付けてスイッチを押すと体がゆっくりと浮かんでいく。そしてタイトル。

町工場に一人の男ガンドがやってくる。強引に借金を取り立てる悪魔のような男で、今日も一人の男を障害者にして保険金で回収をするためにやってきた。そして、金を借りた男の腕を機械に挟ませる。

ところがある日、一人の女が彼の前に現れ、母親だと名乗る。最初は信じなかったガンドも、何を要求しても応え、執拗に迫る女に、しまいには母親だと信じ始める。ガンドが金を借りた男たちを痛めつけると男たちはガンドをののしるが、それにたいして悪態をつく母。

ところが、この女母親でも何でもなく、冒頭で死んだサンドという男の母で、ガンドに復習するためにきたのだとわかる。しかし、この女は自作自演で拉致され痛めつけられているとガンドに思わせ、必死で自分を捜させる。そして、廃墟のビルから飛び降りることで、家族を失う本当の悲しみをガンドに与えるのだ。ところが、女が落ちたところに埋めようとガンドが掘り返すと、なんとそこに、女が編んでいたセーターを着たサンドを見つけ、ようやく女の真相を知るガンド。ガンドは罪に目覚め、そのセーターを着て、自分が障害者にし、妻も陵辱した男のところを訪れ、妻が運転するトラックの下に自分をつないで引き吊り殺させる。そんなことと知らない妻が運転するトラックがハイウェイを走り去るショットでエンディング。

自らを犠牲にして、人間の心を知らしめようとしたサンドの母。それは最初は復讐だったかもしれないが、飛び降りる寸前で、ガンドのために涙を流すのである。

キム・ギドグの演出は、一見サスペンスフルで商業的な展開であるにも関わらず、恐ろしいほどのテーマを直接胸に訴えかけてくる。美学よりも生理的なイメージを優先し、直接感情を刺激して見せてくるという手法は、ある意味不快感さえ生み出す瞬間があるが、最後の最後に、しっかりと心に刻みつける強引さがある。

確かに、優れた作品ではあるが、やっぱり、重い。好き嫌いの別れる作品ですね。