くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ローザ・ルクセンブルク」「グリフィン家のウェディングノ

ローザルクセンブルク

ローザ・ルクセンブルク
ハンナ・アーレント」のマルガレーテ・フォン・トロッタ監督の代表作の一本をリバイバル公開でみる。さすがにこちらも、監督の鋭い視点が、主人公ローザの生き方に楔を指すように迫っていく。その重苦しさは半端ではないが、一方で重厚とも呼べる映像づくりが、20世紀初頭の一人の革命家の姿を通じて、激動に揺れるドイツの姿を見事にスクリーンに浮きだしてくる。

映画は、兵士が、塀の上を歩いている姿を見上げるショットから始まる。1916年、カメラがゆっくりティルトダウンすると、そこに獄中のローザ・ルクセンブルグがとらえられる。そして、時がさかのぼり、20世紀初頭のドイツの姿から、一人の女性の、革命に生きる姿を描いていくのである。

時に少女時代のカットも二回ほど挿入されるが、花のカットでジャンプするカットつなぎが、ドキッとするテンポを生み出す。

社会民主党による共産政権の実現に向けて活動する彼女たちに、当然のように世間の圧力がかかり、第一次大戦の勃発が、彼ら党員も所詮は、ドイツの一国民として戦うことになる現実を目の当たりにする。

やがて、敗戦、一度は釈放されたローザであるが、時は決して彼女たちの見方ではなく、やがてきたりくるナチスドイツへの不穏な時代へと流れていこうとしている。しか心その時代をみることなく、軍人によって秘密履に暗殺され、川に捨てられるローザのカットでエンディングを迎えるのである。

「歴史がすべてを評価してくれる」というローザの劇中の台詞が、この作品に描かれた時代の意味を問いかけてくる。ローザが生きた時代に続いて、第二次大戦にも敗れ、東西ドイツに分裂するも、再び一つになるという歴史を歩むことになるのを知っている私たちには、彼女の活動が、決して無駄ではなかったと評価できるのである。

カメラが、じっと彼女の姿をとらえるとともに、ロングで引いたカットでは、彼女の何ともいえない孤独感を描写する。寒々とした景色を多用した映像づくりと、時にモノクロの記録映像も挿入し、決して平穏な時は彼女に存在しなかったことを、克明に映像として具体化する監督の手腕は見事である。クライマックスの処理が、やや唐突であるように思えなくもないが、主演のバーバラ・スコヴァの圧倒的な存在感が作品を牽引していく様はすばらしい。

どちらかというと「ハンナ・アーレント」のほうが、映像にテンポがあったように思えますが、決して凡作ではないハイレベルの一本だったと思います。


「グリフィン家のウェディングノート」
おもしろくなるはずなのに、なぜか台詞が横滑りするだけで、映像がお話をしてくれない。笑いのシーンが随所にあるのに、物語の説明にしかなっていない。これだけのスターを集めて、好き放題にしゃべらせているのに、もったいない話である。

とはいえ、アマンダ・セイフライドをみれただけで満足してもいいかなという映画だった。

監督は「最高の人生の見つけ方」の脚本を書いたジャスティン・ザッカムという人だが、あの映画も、それほどでもなかったが、今回、この人の演出力の弱さを露呈した感じでしたね。

破天荒で自由奔放なドンの家族の養子である、次男アレハンドロがメリッサという女性と結婚することになり、その結婚式のパーティをドンの家で行う。そこに集まってくる、ドンの個性的な家族の面々と、アレハンドロの実の母親や妹も参加することになって、ドタバタ劇が繰り広げられる。

と、こう書くと、アメリカンコメディ得意の設定と展開のはずが、それぞれのメンバーのユニークなエピソードが全く引き立ってこないのである。だから、笑いにならない上に、ラストのほのぼのした感動がすべってしまう。

ドンと元妻エリーの登場シーンから映画は幕を開けるが、どうも導入部から切れがないのが気になったが、そのままラストシーンまで走るのだから残念と言わざるを得ない。

とはいえ、軽いタッチのオールスター映画で、さすがにおばさんになったダイアン・キートンスーザン・サランドンなどをみるのも楽しいものである。これも映画です。わいわいと楽しかったと思えなくもないかな。