くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「マイ・マザー」「胸騒ぎの恋人」

マイマザー

「マイ・マザー」
カナダの、グザヴィエ・ドランという監督の作品で、2009年度の映画なので、9年ほど公開されていない。カンヌで三冠を達成した映像派の作品という解説である。
という知識のみで見る。

主人公ユベールがひたすら母を罵倒し、それに対抗して母も応酬する。ストーリーはこれといってなく、母子家庭の主人公ユベールがひたすら母と諍いを繰り返す物語である。

画面の至る所に、静物を挿入したり、時にスローモーション、極端なクローズアップなど、映像のリズムを生み出していくオリジナリティは、なかなかの才能である。

ひたすら二人のせりふが機関銃のように展開し、息子の言葉を、お菓子を食べながら聞いたり、ゲームをしながらよそ見して聞くなど、母の態度も最初は受け付けられないが、ほんのわずかに、時折、ユベールも母への愛情を見せることもある。ただ、甘えのみで突っ走るユベールの暴言には、正直うんざりすることも確か。

どうしようもなくなった母は、元夫と相談し、ユベールを寄宿学校へ。見送る母にユベールは「明日僕が死んだらどうする?」と捨てぜりふをいうが、ぼそっと、母は「明日私は死ぬ」とつぶやく。このシーンがこの作品の転換点である。

そこでの課題の提出物に「僕は母を殺した」という文章が見える。母への決別の意味と呼べるかもしれないが、ここからの展開に、それは違う気もする。

同姓愛者であることもわかり、何気ない歩み寄りを見せるが、一年目が終わる時に、さらに寄宿学校へという母の態度に切れたユベールは、恋人と、幼い頃に過ごした海辺の家に脱走。彼を追ってきた母は、岩場で座るユベールの横に座る。二人の前に、懐かしいホームムービーが広がる。二人を真正面からとらえた画面が実に美しく、まるで、絵画の如し。そして映画は終わる。

果たして、二人は、かつての母と息子になったのかは、わからないが、ホームムービーに映る姿は、まさにほほえましい親子の姿である。

終盤に見せる、美しいカナダの紅葉のショットなどは実に美しい。途中で何度も写る、皿を割るイメージ映像など、独創性が伺える映像感覚は、さすがに若さが炸裂しているが、どこか、モダンなだけで、本当の映像の美しさには見えない。

とはいっても、さまざまな映像テクニックを組み合わせてフィルムリズムのうまさは、一見に値する。これも若い才能と呼べる一本でした。


「胸騒ぎの恋人」
「マイ・マザー」から一年後に撮られた作品。今回は、恋の出会いから、別れまでを独特の映像感性で描いていく。

物語は、一人の青年ニコラに恋をした女性マリー、そして青年フランシスの三角関係のラブストーリーを、間に、様々な男女の恋についての出会い、進展、別れをインタビュー風に挿入しながら描いていきます。

「マイ・マザー」とこの作品を見て、このグザヴィエ・ドランという監督、終盤に近づくと、色彩がくっきりとした配置に変わるような気がします。前半部分は、やや、全体が中間色を多用し、時にモノクロームなども挿入して、華やかさが少ないのですが、後半から、物語が終盤になると、原色に近い色彩を画面の中に挿入し、メリハリを利かせてくる。

今回の映画でも、フランシスとマリー、そしてニコラが別荘で戯れるシーンを中盤に、美しいカナダの紅葉の森のシーン、そして、その中での、ふとした疑念から、マリーはニコラに疑問を持ち、去り、フランシスはニコラから「自分はゲイではないから」とふられ、バラバラになって一年後へとストーリーが飛ぶと、真っ赤なジャケットのフランシスが登場する。今も、ニコラが好きなマリーだが、すでにニコラの心にはマリーはいなくて、路上で、すげなくふられてしまう。

スローモーションや、クローズアップ、テクニカルな色彩処理をした画面など、奇抜な映像演出がこの監督の個性であるようですが、それが、いわゆるモダンアートのようなシュールな映像としてスクリーンに昇華する様は、今時の映像派とはこういうものかと思ってしまう。

しかし、悪くいえば、落ち着いた平凡な映像づくりの中に映像美を追求してきた古の監督達の手腕に比べれば、実に子供じみているといえなくもない。たしかに、奇抜な演出をテンポよく映像作品としてまとめる手腕は才能だと思うが、どこか、ストレートに受け入れられない。

演出のみでなく、主演も兼ね、その才覚のすばらしさは、将来有望な監督と呼べる。これも映画である。