くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「あと1センチの恋」「海月姫」「真夜中の五分前」

kurawan2014-12-29

「あと1センチの恋」
ラブストーリーの傑作、今年の洋画のベストワンにようやく出会いました。とってもすてきな物語、抜群の映像センスと音楽センスで彩られる切ない恋の物語、すっかり引き込まれちゃいました。

いや、それより、主演のロージーを演じたリリー・コリンズが抜群にかわいらしい。彼女がいるだけでこの映画を見た甲斐があったと思えるほどキュートで魅力的。
監督はクリスチャン・ディッターという人です。

映画は、結婚式の披露宴、ロージーのアップからはじまる。リリー・コリンズのクリッとしたかわいらしさに、一気に映画に引き込まれるのだが、ここから物語は12年前、ロージーが18歳の夜、テキーラを5杯飲んで意識がなくなる場面に戻る。

彼女には六歳の頃から幼なじみのアレックスがいる。二人は、お互いに心が通じているのに、恋であることに気がつかない。今にも唇が触れそうで触れないカットが二度繰り返される。

カメラは、夜の街頭のハロゲンライトを美しくとらえたり、窓を通したロージーたちの姿を映したり、ゆっくりと俯瞰で引いていくカメラワークなど、とにかく美しいのです。

さらに、背後に流れる名曲の数々もとっても素敵で、映画を彩っていきます。その選曲もみごと。

物語は、ロージーとアレックスのすれ違いの物語を12年間追いかけていきます。お互いにお互いの恋人ができ、夢を叶えようと奔走する一方で、現実に向き合ってくる。

ロージーは、初めての男性グレッグとのセックスの後、スキンが体内に残って、助けの電話をアレックスにしてみたり、その電話の会話をエレベーターの中でするが、そこで一緒に乗っていたおじさんが、ラストで、ロージーが開業したホテルの最初のお客できたりと、脚本の遊びもすばらしい。

一方、アレックスはベダニーと最初のセックスをし、それが、わずかにロージーを動揺させる。

やがて、アレックスはアメリハーバード大学へ進み、医学の道へ。ところがグレッグとの最初のセックスで妊娠してしまったロージーはアレックスを追ってボストン大学へ行く夢を捨て、シングルマザーになる。

後にグレッグと結婚するもうまくいかず、一方アレックスもアメリカでサリーという女性と結婚するが、それもうまくいかず、ベダニーとよりを戻して結婚、その式にロージーを招待する。そして披露宴シーンになり、冒頭のシーンになる。

どこまでもすれ違う二人だが、ベダニーはアレックスの本当の気持ちを察し、まもなく離婚、アレックスは、ロージーが父の夢であり、自分の夢でもあったホテル開業の日、二人目の客として現れ、やっと二人はキスをしてエンディング。

カメラは海岸沿いにたつホテルを俯瞰で引いていってエンドクレジットになる。

脚本の緻密さ、映像とカメラワークの美しさ、リリー・コリンズのみでなくアレックスを演じたサム・クラフリンもなかなかの男前で、全体がとってもおしゃれなラブストーリーに仕上がっている。本当にすばらしい一本をみました。


海月姫
能年玲奈主演というだけで見に行った映画ですが、予想以上に楽しい映画だった。とにかく監督の川村泰裕が映像の勘所がいいのか、とにかく映画がはじけてくる。コミック原作でのりのりのギャグとつっこみの世界なのだが、それに映画が被さって、とにかくぽんぽんと楽しいのである。

もちろん、能年玲奈の抜群の存在感は、独特のオーラを画面に作り出すし、全く気がつかなかった鉄道オタクのばんばん役の池脇千鶴はアフロヘアーでまったく気がつかないほどにキャラクターを消してしまっている。さらに、常に女装している菅田将暉がなかなかのキャラクターを作り出し、能年玲奈との掛け合いで、作品を盛り上げてくれる。

映画は、女のオタクばかりがあつまる天水館というアパートを舞台に、たまたまくらげ屋の前で知り合った蔵之介と月海の物語として始まる。

よくあるパターンだが、天水館の地区の再開発に対抗するために、オタクたちが蔵之介を中心に結束して、海月ドレスを作り上げ、ファッションショーを開催して勝利するというもの。

とにかく、全編楽しいのである。芸達者を集めたのがまず成功の原因であると思うし、軽いタッチののりの連続が、軽い笑いとテンポを映画に生み出していった。

傑作とかではなく、これが娯楽映画の原点かもしれない。本当に楽しかった。


「真夜中の五分前」
行定勲監督作品というだけで、なんの前知識もなく見に行ったが、なかなかの大人のラブストーリーだった。
ただ、クオリティが高すぎて、娯楽性が薄れ、映像の芸術性が前面に出すぎたのは欠点だったかもしれない。

真っ赤なワンピースを着た少女が、窓ガラスに石を投げるシーンから映画が始まる。そして、空き地にいるもう一人の少女と服を交換しようと言い、着替えた途端、母親が着替えた方の赤いワンピースの女の子を叱って連れて行く。二人は双子なのだ。

画面が変わると、レトロな時計店、主人公の時計職人リョウが時計修理をしている。仕事が終わり、ジムのプールで泳いでいると、一人の女性ルオランが声をかけてきて、妹ルーメイの結婚祝いに時計を送りたいから選んでほしいという。
ブラウンを基調にした、ランプの明かりに照らされるような画面作りはまさに行定勲の世界である。

こうして映画が始まるが、ルーメイとルオランは双子で、冒頭の少女の成長した姿だとわかる。
ルーメイは女優で、映画プロデューサーティエルンと婚約していて、幸せの絶頂である。一方のルオランはどこか影がある。
四人は、それぞれ親しくなり、食事をしたりし始めるのが前半部分。時折、ルオランがルーメイに嫉妬する会話などが交えられ、物語は次第に深みと複雑さを増していく。しかし、終始映像は静かで淡々としているために、気を緩めると、ミステリアスな部分を見逃しそうな緊張感が漂う。

ある時、姉妹は旅行に行き事故に遭う。そして生きて帰ってきたのはルーメイで、めでたく結婚するのだが、どこか違和感を拭えない夫はティエルンはリョウに確認して欲しいと依頼する。かつて、時計を五分遅らせて生活しているとルオランに話していたので、ルーメイの部屋にある時計がぴったりなのを見て確認したリョウは、彼女がルーメイだと確信するが、じつは、どこかに疑問が残る上に、ルーメイ本人も自分がルオランなのか不安に感じ始める。

このミステリアスな部分が映画の本編となり、これといった伏線もないままに、静かな映像が展開するので、ちょっとしんどいと言えなくもないのだ。最初にも言ったが、クオリティの高い作品だが、その質感が、娯楽性を排除していった部分がここかもしれない。

そして、ルーメイは事故の時にルオランからロザリオをもらい、それで助かったといっていたが、ルーメイは、もう一度一人で、かつて姉妹ででかけた旅先へいく。そこで、姉妹で訪れた教会へいくと、そこには、かつてリョウから買ったレトロな時計が供えてあった。実は、二人でお訪れた時、ルーメイが供えたロザリオと自分の時計を交換していたのだ。

そして、もう一度時計と交換して、時計を持って、リョウの店を訪れ、時計をカウンターに置く。折しも真夜中の五分前。その時計を見たリョウは夜の街にルーメイを、いや実はルオランを追いかける。ルオランが振り返って、エンディング。

結局、死んだのはルーメイだったのだが、はたして?。この理解で合ってるよね。これは映画もエンディングの美しさである。さすがに行定勲の演出はみごとなものだが、その完成度の高さが、逆効果になったかもしれない。しかし、良質のすばらしい映画でした。