くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ドライブ・マイ・カー」「Summer of 85」

「ドライブ・マイ・カー」

期待が大きすぎて、かなり不安の中見に行きましたが、期待を裏切らず、というより、ここ数年で突出した傑作に出会った気分です。三時間、映像が物語を語り、リズムを生み出し、メッセージを伝えてくれます。演劇の本読みのように、抑揚も緩急も感情もなく淡々とした物語のようで、うねるような絵作りの緩急が生み出す気迫に、信じられないような感動が生み出されていく素晴らしい一本。徐々にカメラが内から外に出ていく一方で物語は表面から心の中に移っていきます。その変化を延々とした長台詞の中に語ります。監督は濱口竜介

 

舞台を演じる主人公家福の姿、ドラマの脚本を描く妻の音と幸せな日々を過ごしている。家福は妻とSEXするたびに妻が語る物語を耳にする。それは前世がヤツメウナギだったという女子高生の話を語ります。のちにそれが音の描く物語世界だと知らされる。ある時、ウラジオストクへ行く仕事で空港へ向かった家福は、急遽飛行機が飛ばなくなり自宅に戻ってくる。ドアを開けると中で音が別の男性とSEXしていた。家福は黙って家を後にする。すぐに妻からテレビ電話が入るが何事もなかったように応える家福。

 

海外から戻った家福は、音と体を合わせ、今まで通りの幸せな日々が続く。しかし、家福と音の間には娘がいて四歳の時に肺炎で失った過去があった。ある時、家福がワークショップの仕事で出かける際、音が、帰ったら話したいことがあるという。家福が妻が話したいことを聞くのが怖くて、深夜に戻ると妻が倒れていた。くも膜下出血だったらしいと葬儀の席で知る。そして二年が経つ。

 

広島で「ワーニャ伯父さん」の演出を頼まれた家福は、愛車の赤いサーブで広島に向かう。彼はいつも、音が吹き込んでくれた「ワーニャ伯父さん」のカセットテープを聞き、自分のセリフを繰り返すのを習慣にしていた。広島では、演劇祭の韓国語通訳でもあるユンスらから規則だからと車の運転手みさきを紹介される。最初は断るが渋々受け入れる家福。オーディションでは、フリーの役者で、家福の舞台の時に音に紹介された高槻も参加していた。高槻はスキャンダルで事務所を追われ、家福の舞台に出ることで自分を取り戻そうとしていた。

 

家福の舞台は言語に拘らず、他国語はそのまま、背後に字幕を入れて演じていくというスタイルだった。オーディションでは、日本人だけでなく、手話で語る女優、韓国の役者も参加する。ユンスに誘われるままにユンスの家の夕食に招かれて行ってみると、なんと主催者の妻はオーディションに来た聾唖者の女性だった。そこで、みさきはその家の犬に親しく話しかけるが、これも伏線となる。家福はひたすら本読みを続け、帰りはみさきの運転する愛車サーブで帰る日々が続く。

 

配役は、これまで家福が演じてきたワーニャ伯父さんは、高槻に配役し、家福が演出に専念する形になっていた。最初から違和感を覚える高槻は、家福をバーに誘う。高槻は人気俳優だったこともあり、隠れて写真を撮られることがあり、その度に高槻は切れることがあった。家福とみさきは、音の吹き込んだカセットテープを聞きながらの往復を続ける。

 

稽古は進んでいくが、家福の心の中に次第に変化が生まれてきたのが実感されてきた。みさきの故郷は北海道で、水商売の母の送り迎えをするため中学の頃から運転していたのだという。しかし土砂崩れで母を亡くし、広島に来て、唯一できる運転手としてゴミ収集車に乗っていたのだという。高槻は、人の心を知るにはSEXしかないと考えるようになり、相手役の韓国の女優と関係を持っているようだった。

 

稽古も進む中、ある日の帰り、高槻は少し話があると家福を呼び止め、家福が出てくるまでに車で待っていて、盗撮された青年を追っていく。間も無く戻ってきた高槻は家福と車に乗る。高槻は家福の妻音は、女性が素敵で魅力的だったこと、音が語っていたヤツメウナギのその後の話を語ります。この長台詞が実に見事。

 

次の稽古で、本番前の立ち稽古中、刑事がやってくる。どうやら、先日、高槻が追いかけた男が怪我をした末に死んだらしい。結局高槻は傷害致死罪で舞台を降板することになる。開催者側は中止にするか、家福が代役に入るかを決めてほしいと言われ、家福は考えたいからとみさきに彼女の故郷に連れて行ってほしいという。フェリーに乗り雪深いみさきの街に着く。そこで、みさきの母が亡くなった現場に連れて行ってもらう。みさきも、土砂崩れの時に自分が母を見殺しにしたことで悔やんでいる日々を送っていた。しかし、家福はきっとお母さんもみさきを責めることはないと話す。この長台詞シーンも実に見事で、どんどん胸に迫ってきます。

 

カットが変わり、代役で入った家福の場面、それを客席で見るみさき、そして舞台は終わる。ラストで聾唖者の女優が背後から家福を抱きしめる「ワーニャ伯父さん」の最後の台詞の場面が最高に迫ってきます。

 

次のカットで、場所は韓国のスーパー、みんなマスクをしている。みさきが買い物をして出てくると家福が乗っていた赤いサーブと同じ形の車が止まっていて乗り込むと、かつて演劇祭の主催者の家にいた犬と似た犬が乗っている。こうして映画は終わる。高槻、家福、みさきらそれぞれが「ワーニャ伯父さん」を通じて次第に立ち直る姿を描いて終わって行きます。

 

三時間全く手を抜かない緻密な映像がまず素晴らしいし、「ワーニャ伯父さん」の物語と現実の家福と音の物語、みさきと高槻の物語がかぶる脚本が見事。久しぶりに堪能させてもらえる傑作に出会いました。

 

「Summer  of 85」

一夏の青春ラブストーリーで、甘酸っぱい感動を生み出そうとしたのは分かるのですが、終盤のアレックスの行動が過激すぎて、ちょっとそれまでとのギャップがかえって逆効果になった感じです。でも、平凡なゲイ映画ではなく、いい作品でした。監督はフランソワ・オゾン

 

アレックスが警官に連れられ、これから始まる審問会に出廷する場面、そして彼がこうなった経緯を語り始める。どうやら、彼はこの夏に知り合ったダヴィドが亡くなり、生前の誓い通りその墓の上で踊ったことにより捕まったらしい。そして、アレックスはダヴィドと知り合った夏の思い出を小説風にまとめるように学校の先生に言われ書いていた。こうして、アレックスとダヴィドの出会いと別れ、その後の現在を交互に描いていく。

 

アレックスは、ある日、友人のヨットで沖に出たが、嵐が迫ってきて慌てて転覆させてしまう。そこへダヴィドのヨットが近づき彼を助ける。ダヴィドは、自分の家に連れて行き、風呂に入れ服を貸す。ダヴィドの父は昨年亡くなり、ダヴィドは塞いでいて、母は友達ができることを大歓迎する。アレックスはダヴィドの店を手伝うことになり、次第に友達以上の関係になっていく。そんな頃、アレックスは浜でケイトというイギリス人の女性と知り合う。アレックスはダヴィドといる時にケイトと再会し、ダヴィドはケイトを連れて船に乗りに行ってしまう。アレックスは嫉妬に狂い、ダヴィドを責め立てるが、ダヴィドは開き直った態度をする。そんなダヴィドに切れたアレックスは、ダヴィドの店で暴れて飛び出す。

 

家に帰ったアレックスはダヴィドがバイクの事故で死んだニュースを見る。ダヴィドの母は、息子の死をアレックスのせいだと決めつけ遺体に会わせようとしない。アレックスは狂ったようになり、ケイトに手伝ってもらい、死体安置所に女装して出かける。さらに、埋葬した墓の上で泣きじゃくったりする。そして、かつての誓い通り、ダヴィドの墓の上で、かつてダヴィドと踊りに行った時にウォークマンで聞かされた、ロッド・スチュワートの「セイリング」に合わせてダンスをする。切ないシーンなのだが、とにかくアレックスの行動が異常なくらい激しいので、精神錯乱にしか見えないのが残念。

 

そして、法廷で社会奉仕をするようにという判決が出る。浜辺で奉仕活動をするアレックスは、かつてダヴィドと助けた酔っ払いの青年を見つけ声をかける。そしてアレックスは彼をヨットに誘い、二人で海に出て映画は終わる。

 

ゲイの映画というより、青春の1ページというラブストーリーですが、切なさより、アレックスの異常さが際立ってしまって、やや映画を壊した感がしないでもありません。でもいい映画でした。