「ロングデイズ・ジャーニーこの夜の涯てへ」
シュールです。空間がほとんど把握できないので、いったい今主人公はどこにいるのか掴めないままに幻覚か現実かわからない展開を追いかける結果になりましたが、なかなかクオリティの高い、クセになる作品でした。監督はビー・ガン。
父が亡くなり、故郷の凱里に主人公ルオが戻ってくるところから映画は始まる。のですが、戻ってきたという空間描写が全くなく、ルオの過去の記憶が語られ、幼馴染の白猫がなにかの取引で、ルオが行けなかったために死んだというエピソードが語られる。
その思いへの固執がやがて一人の女性ワンのことが心に占めていく。ワンは香港の女優で、なぜ彼女がルオの心に入り込んでくるのかよくわからないままに、ルオは映画館で3Dメガネをかけると、映画の中の世界かルオの心の中の世界かへ入り込んでいく。
かつて、ある呪文を唱えると部屋が回転し始めるというエピソードや少年と卓球をしたり、道に迷って、少年の案内で何やらカラオケの舞台を見下ろすところに着いたり、そしてワンと出会い、めくるめくような会話をしたりと、夢とも現実ともつかない物語が流麗なカメラワークで描かれていく。
最後に、ある部屋でルオはワンの手を握りキスをする。部屋が回転し始め映画は終わっていきます。まるで麻薬のような魅力のある作品で、めくるめく瞑想の世界という感じの映画でしたが、正直よくわからなかった。
「私の知らないわたしの素顔」
二転三転するストーリー展開を繰り返す面白さはあるのですが、どの部分も均等に配分されているために、物語の核心をどこに置いて作られたのがぼやけてしまい、終盤に至ってはしつこささえも感じてしまいました。監督はサフィ・ネブー。
大学教授のクレールが精神科のセラピーを受けている。そして語られる彼女の物語という展開で映画が始まる。
夫のジルと別れ、リュドという恋人と毎日を暮らしているクレールだが、ふとしたことからリュドと疎遠になり、寂しさを紛らわせるためにFacebookを始める。それも本名ではなく24歳のクララという名前を騙って始める。
間も無くしてアレックスという青年から接触がある。アレックスはリュドの同居人で写真家だった。やがて二人はFacebookのメッセンジャーを通じてどんどん親しくなっていくが、クレールは、アレックスの求めに全て応えられないままになっていく。写真や動画はネットで見つけたものを使い、電話の声まではなんとかなったので、電話でやりとりする日々が続く中、クレールは本気でアレックスに恋をし、のめり込んでいく。それはSNS依存に近いものでもあった。一方アレックスもクララと名乗るクレールにのめり込み、とうとうクレールの街までやってくる。
クレールはなんとかやり過ごし、限界がきた彼女は、付き合っている恋人ジルがいると言い、彼からプロポーズされたと言ってしまう。直後、アレックスは悲嘆のあまりアカウントも削除してクレールの前から姿を消す。
少しして、クレールはリュドと会う機会があり、近況を聞くと、同居人のアレックスはSNSで知り合った女性とのことで悲嘆し、自殺したと告げられる。クレールは自らを恥じて、小説として別の展開を書いてセラピストに渡す。
その中では、クララと別れ悲嘆にくれるアレックスの前にクレールが現れ、そのまま親しくなり愛し合うようになる。しかし、意を決したクレールはクララの正体が自分であることを携帯電話を通じて告白し、アレックスがクレールに迫り、後ずさりするクレールが車に引かれ死んでしまうラストを作る。さらに、クララのモデルにしたのはクレールの姪のカティアで、叔父叔母が事故で亡くなり引き取って育てたものの、ジルがカティアと愛し合うようになり、結果クレールが捨てられ離婚した経緯を語る。
セラピストは今なお異常なまでに架空のクララとなりアレックスを求めるクレールを心配し、リュドのもとを訪れる。ところがリュドが語ったのは、アレックスが生きていることだった。アレックスからクララの声を聞かされたリュドはそれがクレールだと知り、さらに弄ばれるように捨てられ落ち込むアレックスを見てリュドはアレックスが自殺したとクレールに言ったのだった。
入院しているクレールの元にセラピストがやってきて、アレックスは死んではいないで、南仏で子供も生まれ幸せに暮らしていると告げる。そして自分を責めないようにと言ってその場を去る。セラピストを見送ったクレールは、かつてアレックスとの連絡に使っていた電話を取り出しアレックスに電話をしているカットでエンディング。
たしかに面白い構成で、二転三転していく不気味さはうまいのだが、どれもがほぼ均等に配置されているために、中心の物語さえぼやけてしまった。本当にもったいない仕上がりですが、まあ面白かったです。
「仮面の男」
フィルムノワールもここまでシーズンを重ねるとなかなか驚くほどのものにぶつからないが、まあ面白かった。監督はジーン・ネグレスコ。
浜辺に極悪人ディミトリオスの刺殺死体が上がるところから映画が始まる。作家のライデンはこの殺人事件に興味を持ち調べ始めるが、彼のそばにピータースという太った男の影がちらつき始める。物語前半はライデンが調べるディミトリオスの悪行の数々の姿が描かれていき、圧力をかけてくるピータースがついにその真相を話し始めるのが後半となる。
実はディミトリオスは死んでいなくて、殺されたのは彼に似た男だったという。そして自分たち仲間を平気で切り捨てるディミトリオスに恨みがあり、この真相をネタに脅そうとライデンに持ちかける。そしてディミトリオスをおびき出し、大金を要求し、まんまと手に入れたかに思われたがつけてきたディミトリオスにピータースは撃たれ重傷を負う。しかし瀕死の中ディミトリオスを撃ち殺し、ピータースは警察に逮捕され大団円。
ライデンが主人公のはずが意外と存在が薄っぺらいし、もうちょっと物語にひねりがあるかと思えたが普通のエンディングというのはちょっと物足りなかった。