くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「グローリー/明日への行進」「マッド・マックス 怒りのデ

kurawan2015-06-25

「グローリー 明日への行進」
黒人問題に尽力したマーティン・ルーサー・キング・Jr牧師の半生を描いた人間ドラマで、アカデミー賞ノミネートされた有力作品として、日本公開が待たれた最後の一本である。

圧倒的なドラマ性と、個人に焦点を当てるというより、アメリカ全体の物語としてグローバルに描かれたなかなかの力作でした。監督はエバ・デュパーネイである。

映画はマーティン・ルーサー・キング・Jr牧師がノーベル平和賞の受賞式に向かうシーンから始まる。まだまだ、黒人差別が横行していたアメリカ、数人の黒人少女が教会の階段を談笑しながら降りてくる。突然の爆発、続いて一人の黒人女性が、選挙権登録するために役所に来るが、必要以上の質問をされ、否決される。まず、当時の背景を描写したオープニングが見事である。

そして物語は公民権運動に奔走するキング牧師の姿を追いかけていく。様々な妨害、大統領でさえも煮えきらない発言が続く中、牧師たちはアラバマ州セルマ市でのデモ行進を計画する。ここでの警官たちによる流血事件をクライマックスに、圧倒的な歴史ドラマとして展開していく物語は、見事である。

それは、キング牧師の偉大さというより、アメリカという国はすごいとうなってしまうのである。正しいことだと信じれば、国中から様々な人々が集まってくるという国民性である。この映画は、キング牧師の偉大さを描くというより、この偉大なる国民の意識を描いているのではないかと思う。

その意味で、見事な作品だったと思えるのです。一人の人間のドラマでありながら、グローバルにとらえた視点で描く演出のうまさに脱帽するのです。

もちろん、ラストは、大統領による、選挙権が認められる下りから、キング牧師以下の人々のその後をナレーションするという常道的な画面で締めくくりますが、それまでの物語の重厚さが、作品の質をしっかりと維持して、観客にアピールしてくる。見応えのあるという言葉がぴったりの作品でした。すばらしい。


「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」
全く、めちゃくちゃというか、適当というか、物量作戦だけで描くなんの中身もない映画で、はらはらどきどきもなく、ひたすら監督であるジョージ・ミラーがやりたかったカーアクションをひたすら映像に仕上げていく感じの作品だった。

一応、シリーズの前三作の続編としての位置づけであるが、ただ、ひたすら荒野を車の集団が行って帰ってくるというだけの話なのだ。

主人公?であるマックスも、発端となるフェリオサという女戦士も、その背景はぜんぜんわからない。とにかく、テレビシリーズのダイジェストなのではないかというほどに、見せ場だけが繰り返される。

敵の独裁者イモータン・ジョーがフェリオサやマックスたちを追いかけて、途中で殺されて帰ってきてハッピーエンドって、いったいなに?

でもカーアクションのカメラワークは、さすがに縦横無尽に豪快に動き回る様はおもしろいし、それは確かに迫力満点だが、中身のない、派手なだけといえなくもない。まぁ、娯楽映画と割り切って楽しめばいい一本でした。


極道大戦争
なんやねん、という題名の映画、やりたい放題のストーリーと展開、それに演出、まさに三池崇史ワールド爆発の一本に、あきれたものの大満足でした。

映画は、いきなり一人のやくざが殴り込みのシーン、続いて、そのやくざは死ぬことなく相手を斬り殺しタイトルから現代へ。

なんと、殴り込んだやくざ神浦は、この町の顔役になり、みんなに慕われている。ところが実はヴァンパイアで、この男にかまれるとやくざになる。しかも、気質の人の血はおいしいが、やくざの血はまずいとか、妙なこだわりが、遊び心満点。成海璃子にレイプされる女役にしたり、ここも、さすが三池。この神浦に見込まれたのが主人公影山。

ここに、妙な外国語のヴァンパイアがやってきたり、物語ははちゃめちゃになり、カエルの着ぐるみの最強のヴァンパイアが現れたり、最後は巨大化したり、とどまるところを知らない大暴走の末に、市原隼人扮する影山が牙が生えて吸血鬼そのものになり、突然エンディング。なんやねん!

でも、こんなばかげた映画作れるのは三池崇史しかいないと思うと、うれしくなる。

三池崇史の力量を知るものとしては、こういうお遊び映画もまた一興、とっても楽しみました。