くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「裁かれるは善人のみ」「ガメラ対大魔獣ジャイガー」

kurawan2015-11-05

「裁かれるは善人のみ」
ゴールデングローブ賞外国語映画賞ほか、様々な映画賞で話題になったロシアの作品を見る。確かに、作品のクオリティは群を抜くほどの出来栄えであるが、アカデミー賞外国語映画賞にはノミネート止まりというのも納得がいく作品だった。とにかく、全体に流れる空気が、前途は見えない暗さが漂っているのだ。ロシアの現在がこうなのだと訴えかけているのではないかと思えるほどに、未来がない。しかし、作品自体、きっちりと韻を踏んだような見事なテンポを備え、オープニングからラストシーンまで目を離せない。それは認める。監督はアンドレイ・ズバギンチェフである。

映画は、舞台になる湖の景色、山々、そして水辺の村の景色を短いカットで静かに写し、そこに車がフレームインしてきて始まる。

乗っているのは主人公コーリャと、友人で弁護士のディーマである。コーリャの家は、地元の強欲な市長ヴァディムから不当に収用されようとしていて、その対抗手段として、親友の弁護士を呼んだのだ。

ディーマはヴァディムを負かす有力な資料を持参してやってきたのだ。

収用を妥当とする判決を読む裁判官が、まるで早口言葉のように機械的に宣言する演出に、まず引き込まれる。さらに、ヴァディムがコーリャの家に圧力をかけてきたのに対抗して、告訴しようとしたディーマに、検察も裁判所も相手にしない前半の展開もかなり計画的な脚本である。この作り込まれた前半にまず圧倒されるのだ。

ヴァディムに詰め寄るディーマに、一時は狼狽えるが、何やら画策していく。普通なら、ここから娯楽性のある展開が続くのだが、そこはこの後、意外に流れていく。

コーリャは友人の警官たちと、ハイキングがてら鉄砲を撃ちに行くのだが、そこで、妻リリアの愛人がディーマであることを知る。そこでコーリャはディーマを殴り、ディーマとリリアは家を飛び出そうとするが、リリアは帰ってくる。なぜ帰ってくるのか、そこにこの作品の驚くべき奥の深さが見えてくる。

一方ヴァディムは、ディーマを捉え半殺しにし、ディーマはモスクワに帰ってしまう。その直後、リリアも行方がわからなくなるが、水死体で発見、ろくな証拠もない中でコーリャが犯人にされて、殺人罪で刑を言い渡されるのだ。その判決文を読む裁判官も冒頭と同様、機械的で、明らかにヴァディムの仕業だと見せてくる。

コーリャの息子ロマもひとりぼっちになり、収用されたコーリャの家は取り壊され、教会で、司祭の如何にも神様は善行を見ているのだという説教を聞くヴァディムたちのカットから彼らの車が数珠つなぎで村を走り抜けるシーン、そして、雪景色に染まった湖、山々、と冒頭と同じカットが展開して静かにエンディング。

全ては何事もなかったかのようで、ただ、善人だけが罰を被るというなんとも凄まじい現実を辛辣な視点で見据えて終わる。うん、確かにシビアな脚本だが、映画としてはその完成度の高さに圧倒されてしまう。映像全体が完全にシンメトリーな構成になっていて、カメラはよりと引きを繰り返しながら、ストーリーを語っていく。詳細な描写を排除した人物描写を編集のリズムで映し出し、未完成な完成品としてそれぞれの人物を配置する様は、抜きん出た見事さである。

これを傑作と呼ばずして、どうするのか。リリアの不可思議な存在感も見事であるし、ヴァディムの存在も、決して軽い悪人としての存在にとどまらない。そこがこの映画のクオリティの怖さなのである。後は好みかどうかに尽きるという、そんな映画だった。


ガメラ対大魔獣ジャイガー」
とにかく、建設途上の万国博覧会会場のシーンだけが最高にノスタルジーで、胸が熱くなってしまった。そんな時期の大阪を舞台に、ガメラとジャイガーの死闘が繰り広げられるのだが、完全にお子様向けストーリーは、突っ込みどころ満載。

特撮シーンは東宝の円谷特撮と比べものにならないし、「ミクロの決死圏」よろしくのストーリー展開やら、隅々まで、失笑してしまう展開ですが、懐かしさというか、子供心に戻って楽しむ怪獣映画として、見た甲斐もあった一本でした。

ああ、高度経済真っ最中の日本の原風景です。