「1001グラム ハカリしれない愛のこと」
静かに淡々と進む映画ですが、全体に気品のある落ち着いた画面がとっても高級感を漂わせる。物語は平坦ですが、そこに潜む不思議な緊張感が、ストーリー展開を牽引していくのがこの映画の個性でしょうか?監督はベント・ハーメルです。
ノルウェイの国際度量衡局の職員マリエが出勤する場面から映画が始まる。上司で父でもあるアーンストと狭い通路でタバコを吸いながら語る場面、シンメトリーに捉える人物の構図、寓話的な色彩で捉えるパリで各国の担当者が青い傘の並びなど、独特の映像が美しい。
パリで行われる国際度量衡委員会にノルウェイのキログラム原器を持参する仕事が控えていたが、父が突然死に、マリエが代わって出席することに。父は生前のベッドで、自分が死んだら火葬にして欲しいと望んでいて、魂の重さは21グラムだろうと語っている台詞が最後まで生きる。
無事、委員会を終えたが、帰り道で、車の事故で、ノルウェイのキログラム原器の容器を壊してしまい、作り直すエピソード、何もかもが、崩れ壊れていく彼女の心の変化が、実に見事に演出される。
父の遺灰を測ってみると1022グラムだが、じっと見ているといつの間にか減っていって1001グラムになるあたりがクライマックス。やはり魂は21グラムだった。そして、彼女は、パリで知り合った男性とお風呂に入り、何気なく体を合わせる。この場面が実に美しいし、大人のラブストーリーとなっているあたりが素敵である。
キログラム原器と呼ばれる、ほんのわずかで狂わすわけにいかない道具を人生の緊張感に当てはめて描かれる一人の女性のドラマは、その映像作りの丁寧さが加わって、とっても気品のある映画に仕上がった感じです。ある意味、秀作と言えるほどの佳作じゃないかと思いますが、確かに物語は地味になりがちなので、好みが分かれますね。でもいい映画だった気がします。
「マルガリータで乾杯を!」
これは本当に駆け抜けるほどにすっ飛んでしまう映画でした。基本的にハンディキャップのある主人公を描いた物語は苦手なので、今回もそんな感じだろうとタカをくくって見ていたのですが、どんどん話がエスカレートしていくし、ここまで詰め込むかというほどに飛躍していくドラマに、圧倒されるとともに、ラストシーンにはなんとも言えない爽やかさまで感じてしまって、爽快でした。監督はショナリ・ボースという人です。インド映画ということが驚愕の一本。
映画は、主人公ライラの家族が車で移動しているシーンから始まる。ライラは障害者で、車椅子が必要かつ、手も言葉も不自由である。しかし、父に車で送ってもらってインドの大学に通っている。障害があるとはいえ、普通の女子大生、同じ障害のある男の子と恋人関係である。しかし、かっこいいミュージシャンの男性に憧れたりしている。
その憧れの男の子に障害者と付き合うこととを邪険にされ、ニューヨークの大学に進むことになるライラ。そこで、目の見えない少女ハヌムと出会う。しかし、彼女は同性愛者で、彼女との出会いから、ライラも同性愛者であると自覚する。この展開も、全くびっくりなのだが、さらに、ライラのサポートで筆記を担当する男性とSEXもするのだ。一方、ライラの母が末期の癌であることがわかり、そちらの展開も絡む。
インドにハヌムと戻ったライラは、母に自分が同性愛者だと告白、直後母は入院、そのまま亡くなる。一方、ハヌムに、自分が男性とSEXしたことを歌系、ハヌムも一人のニューヨークに帰る。
画面は変わる。意気揚々と美容院で髪をセットし、カフェに来たライラは初めて飲んだお酒マルガリータを頼む。そして、ストローをさし、明るい表情で目の前の鏡に映る自分を見てエンディング。爽やかだ。このラストの笑顔に、この作品が好きになってしまう。こんな形で障害者を描いた作品はなかった。いや、これがインド映画であるところが、びっくりなのです。
でも、真っ青な青空を見上げたような爽快感で映画館を出ることができた。好き
ですねこの映画、そんな一本でした。