くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アクトレス 女たちの舞台」「愛と哀しみのボレロ」(デジタ

kurawan2015-11-04

「アクトレス 女たちの舞台」
クロエ・グレース・モレッツが抜群に素晴らしい。大女優ジュリエット・ビノシュを向こうに回しての堂々とした演技が目をみはる一本。そして、オリビエ・アサイヤスの演出がすばらしい映画だった。まさに、クラシックの調べが奏でる一編の交響詩のような映像として、見事にまとまった人間ドラマでした。圧巻。

映画は、スイスの列車の中、秘書ヴァルと慌ただしい会話をしながら、出演のオファーなどに対応している主人公のマリアの姿から映画が始まる。今、話が来ているのは、かつて18歳の時に演じた「マレーヤの蛇」という戯曲のヘレナ役である。ヘレナとは、年配の役柄で、今回、かつてマリアが演じたシグリッドをアメリカの新進女優ジョアンが演じるという。

このジョアンを演じるのが、クロエ・モレッツだ。しかも、マリアを育て脚本を書いたヴェルヘルムは自殺したという知らせが入る。

巧みに、ヴィルヘルムの自殺した時の映像を挿入しながら、時間と空間を前後させる演出も秀逸。

ネット情報で見るジョアンの姿は、まさに今時のいけ好かない女そのもの。時折、ジョアンが出演する、いかにもB級3D映画を見に行くヴァルとマリアのシーンを挿入する。そんな彼女と共演することに躊躇するマリアがだが、演出家クラウスの求めも強行的で、秘書のヴァルも乗り気である。

巧みにネット情報を繰り返し挿入しながら、第二部に入って、クラシックの曲をバックにマリアがヴァルと台詞合わせをする場面、マレーヤの蛇と呼ばれる雲の流れる映像なども見せてくる。

物語は、往年を過ぎたマリアの姿と新進女優の登場に揺れる姿、さらに、時代の変化に対応できていないことへの抵抗をするマリアの姿を描いていく。

ネット上では、いかにもな女優だったジョアンだが、マリアが会ってみると、知的な会話もし、清楚なイメージで登場し、しかも、感じの良い恋人クリスも傍にいる。この出会いに、一気に話が進み、マリアは舞台出演を決意、そして物語は公演本番の直前のロンドンに移る。

直前、ヴァルとマレーヤの蛇を見に行くが、途中でヴァルの姿が消える。つまり、ヴァルはマリアの若き日の姿を投影したものだったのか。この場面から後、ヴァルは出てこないし、決意したマリアはロンドンにいるのである。

リハーサルで、かつて自分が演じた役を務めるジョアンに、さりげないアドバイスをするが、ジョアンから、それは違う解釈だとはねつけられ、マリアは、過去に縛られた自分を知る。そして、その前後、ジョアンの恋人クリスの妻が自殺未遂をするエピソードも挿入、パパラッチからの避難シーンから一気にクライマックスの舞台シーンへ。

新しく今の自分に向き合ったマリア、そして、未来のある新人ジョアンのシーンでエンディング。

途中、ヴァルが恋人に会うために、車で疾走するシーンをオーバーラップさせた幻想的な映像を見せたり、独創的な演出も加えられる。

作品全体が非常に計算されたリズムを持つ映画で、不思議な映像に凝った演出も見られる反面、ドラマ性もしっかりと描いてくる。そのバランスのうまさにオリビエ・アサイヤスの素晴らしい感性に脱帽してしまう。見事な映画でした。


「愛と哀しみのボレロ」(デジタルリマスター版)
30年ぶりくらいでしょうか、初めて見たときは、ストーリーを追えなかった記憶があり、どんな話だったかほとんど忘れていましたが、今回、再見して、なるほど壮大な大河ドラマ的な映画だと納得、そして、その素晴らしさを再認識しました。監督はクロード・ルルーシュである。

映画はパリ、エッフェル塔の前、ボレロが流れる中、舞踏が始まっている。タイトルとともに、物語は1936年のモスクワ、そして続いて、パリ、ドイツ、アメリカと移ってそれぞれの場所でのカップルの誕生を描く。

物語はこのカップルが第二次大戦に翻弄され、1960年代まで生きていく様、そしてその運命を壮大なドラマとして描いているのだ。母親役が娘役になり、時の流れと空間の転換、人生のドラマが次々繰り返されるので、若干混乱が生じないとは言えないが、この映画はそんなストーリーを見せるものではなく、様々な人々が歩む様々な人生を、時代の流れの中で描くという大河ドラマなのだ。だから、個別の登場人物の個別の人生を追いかけるのではなく、あくまで、様々な人々という設定と見れば映画が見えてくる。

クライマックスは、冒頭の人物たちの成長した子供達が、ユニセフ赤十字のチャリティのイベントとして、エッフェル塔の前でボレロを演じる冒頭のシーンにつながる。圧倒的なダンスシーンに、息を飲むクライマックスである。

カメラワークが実に見事で、延々と長回しをするかと思えば、細かいカットで空間を演出し、時間の流れと空間の変化をカメラワークと映像で見せるあたりの卓越した完成度に息を飲むのです。

3時間10分は確かに長いのですが、それほど長く感じないのは、映像のリズムがしっかりとしているからでしょう。名作、傑作の貫禄とはこういう映画をいうのでしょうね。素晴らしかった。