くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「の、ようなもの のようなもの」「きみといた2日間」

kurawan2016-01-20

「の、ようなもの のようなもの」
森田芳光監督の名作「の、ようなもの」のその後を描いた物語ですが、そのオリジナルを見ていないのが悔しい。

映画は、とにかく、ほのぼのしたムードと、亡き森田芳光監督への思いがひしひしと伝わってくる作品で、出来栄えよりも、その懐かしさにどこか胸に迫る感動を覚えてしまう。演出のタッチも森田芳光を思わせるノスタルジー満載というのも、それに輪をかけてくるのです。監督は杉山泰一。

主人公志ん田が仲のいいカップルの座るベンチに割り込んできて、誕生日のお祝いにもらった手紙を開こうとするシーンに始まる。憧れの夕美は落語の師匠の娘である。ところが開けてみるとビール券、気がつくと横に座っているのが、物語の後半に中心になる志ん魚である。そしてタイトル。この導入部がいかにも森田監督へのオマージュである。

映画は、志ん魚を贔屓にしている一門のスポンサーの機嫌をとるため、行方不明の志ん魚を見つけ出し、創作落語の「出目金」をやらせようとするのが前半。

志ん田がコミカルな展開で志ん魚を探し出すくだりを描くが、正直、この前半と、後半はかなりちぐはぐである。だから、映画がやたら長く感じてしまう。ところどころに、森田芳光監督に関わった俳優たちをちりばめ、映画作りというより、ただ、追悼番組的に流れていくのは、最初はいいが、さすがに、弱い。

結局、志ん魚を担ぎ出し、なんとか紆余曲折のドタバタの後に、無事講演を終わらせる。

確かに、森田監督への追悼という気持ちはわかるが、あまりに偏りすぎた森田監督への想い映画というイメージが、知るものにとっては胸に迫るものの、そうでない人には辛いのではないかという出来栄えだった。まぁ、これはこういう映画だからいいのだろう。なんか、あったかくなるラストに、ジンとしてしまいました。


「きみといた2日間」
出だしの部分から全体の雰囲気はとってもファンタジックで楽しいのですが、終盤の処理が妙にくどくなって、せっかくのムードをぶち壊して終わったという感じでした。もったいない映画です。監督は名匠マイク・ニコルズの息子のマックス・ニコルズです。

ベッドで主人公メーガンが目をさますところから映画が始まる。そっと抜け出して部屋を出ようとすると、警報がなる。慌てて何気ないふりをしてベッドへ、そしてタイトル。軽い音楽と軽快な映像で、ネットの出会いサイトに登録する場面。この導入部が実にセンス良く入る。メーガンは、高校時代から付き合っていた恋人を追ってニューヨークに来て、ルームメイトと暮らしているが、そのルームメイトのファイザはセドリックという彼氏を連れ込む。

メーガンはロマンス.Comで知り合ったアレックのところへSEX目的だけで出かける。ところが一夜が明けて帰ろうとする。これがオープニングシーン。アパートを出ようとすると、吹雪でドアが開かなくて、仕方なくもう一夜をアレックと過ごすことになる。トイレが詰まったので、隣の部屋にガラスを割って忍び込んだり、ロマンチックな夜を過ごすが、夜が明けて、たまたまアレックの引き出しを開けると恋人らしい女性と撮った写真。

別れることになってたというアレックを振り切って飛び出したメーガンが、カウントダウンのパーティの席で、アレックの計画で、警察に捕まり、再会してハッピーエンドまでが妙にくどく見える。アレックの部屋を飛び出すあたりからの処理がちょっともたついたために、ラストのファンタジックな雪景色の中でのキスシーンが付け足しのように仕上がったのが本当に勿体無い。

でも、オープニングの曲の処理や映像のテンポはなかなか見せてくれるし、とってもキュートなラブストーリーという一面もあるから、次の作品に期待したい感じである。