「マジカル・ガール」
不思議な映画だなというオープニングから、どんどん物語は奇妙なフィルムノワールの世界へ流れ込み、いつの間にか、俗っぽい犯罪映画として幕を閉じる。その背景にあるちょっと切ない物語がこの映画の魅力と言えるかもしれません。監督はカルロス・ペルムトです。
一人の少女バルバラが、メモを隠し持っていたと言われダミアン先生に詰問されている。メモには、悪口らしいものが書かれ、バルバラは手にメモを包む。先生が出しなさいというので手を開くと、そこにメモがない。タイトル。
シンメトリーでシンプルな画面から幕をあけるこの作品、続く画面は、いきなり日本のアニメ曲(となっているが長山洋子のデビュー曲)に合わせて踊る一人の少女アリシアのカットになる。このジャンプカットがうまい。この少女は髪の毛が異常に短く、おそらく病気だろうと推察される。すぐに白血病だとわかるのだが。
踊っていた彼女が倒れ、そこへ父親ルイスが帰ってくる。娘が余命いくばくもないと知り、娘の夢を叶えるために、魔法少女ユキコのコスチュームを手に入れる計画を立てるが、あまりにも高額で、自慢の蔵書を売っても間に合わない。
一方で、成人したバルバラは、奇妙な薬を強制的に飲ませる夫と生活をしている。
ルイスは、足りない金を工面するため泥棒しようとするが、たまたまその上のベランダから嘔吐したバルバラの汚物がかかり、思いとどまる。バルバラはルイスを家に招き、服を洗うと同時に体を求める。
ルイスはこの一夜を利用し、バルバラを脅し、6000ユーロを手に入れようとする。バルバラはいかがわしい趣味の男に身を委ね金を工面、ルイスに渡す。ルイスはそれでドレスを買い、与えるが、なんと、小道具のスティックを忘れていた。しかもそれは20000ユーロも必要と知る。
仕方なく、ルイスは再度バルバラを脅す。バルバラはさらに過激なことに身を委ね瀕死で帰宅して金を手に入れる。ところが、バルバラとのことで10年服役していたダミアンが出所してきて、バルバラを救う。バルバラはルイスに暴力を振るわれたと嘘をつき、ダミアンに助けを求める。ダミアンは、かつて殺しを請け負う男だったのだ。
ダミアンはバルバラのためにルイスをつけ、バーでバルバラのことを言及するが、暴力はしていないが、バルバラと寝たと告白するルイスを撃ち殺す。そして、ルイスの家に行くが、そこに待っていたのはアニメのドレスを着てスティックを持ったアリシアだった。しかし、ダミアンはアリシアも射ち殺し、すべてを処理してバルバラの元に戻る。ルイスがバルバラとの一夜を録音した携帯をダミアンがバルバラに見せ、手で覆い、開くと携帯は消えている。そしてエンディング。
挿入される日本の曲(劇中ではアニメ曲ということになっているが)がテンポよく導入部から引っ張るのだが、中盤から後半がややだれてしまうのが残念。しかし、全体に流れる不可思議な空気のある映画で、日本のアニメ好きの少女アリシアとバルバラの存在の好対照にダミアンという殺し屋が絡むアンバランスから奇妙につながっていく運命の不思議が面白い映画でした。
「人生は小説よりも奇なり」
ゲイの話ですが、ほとんどそれは関係なくて、ひたすら人生の物語が絵が描かれる。なんでゲイの前提が必要なのかと思えるような映画でした。監督はアイラ・サックスという人です。
39年連れ添ってきた画家の弁当音楽教師のジョージはゲイである。ようやく晴れて結婚をすることになったが、途端にジョージは勤務先をクビになり、生活の術をなくしてしまう。
仕方なくそれぞれの知人や親戚に住まいすることになるが、それぞれの家庭にある出来事に、肩身がせまい思いをすることになる。こうして始まる物語にほとんど二人のゲイという関係の意味はない。
しかし、肩身のせまい思いをしながらの生活の中に、やがてお互いかけがえのない存在であることを再認識していく。その下が映画の本編になるのですが、あまりにも静かすぎて、しんどい上に、どこかアクセントが足りないために、今ひとつ、伝わりきれないところがある。
終盤、ベンが亡くなり、一人になったジョージのところに、ベンが最後に描いた絵が届けられる。ベンが居候していた先の息子なのだが、彼が恋人とスケボーで走り去って行ってエンディング。
確かに、人生賛歌、恋愛賛歌、人間賛歌であるかのエンディングで、とっても清々しいのだが、やはり、ちょっとしんどい映画でした。