「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」
やはり、ヒーロー物はアメリカ映画か日本映画がうまいなと思います。確かに、設定も展開もそれなりに見れるのですが、いくらダークヒーローとはいえ、かっこよさのメリハリが見えないし、ヒロインが今ひとつ魅力がなくていつまでも感情移入しなかった。監督はガブリエーレ・マイネッティです。
一人の男エンツォが路地を走っている。どうやらチンピラ仲間に追われているようで、なんとか川岸に停めてある建造物から中に入ってそのまま川に飛び込んだが、沈めてあった廃棄物に足を取られてしまう。なんとそれは違法の核廃棄物だったらしく、体調に不調を訴えた翌朝、友人と一緒に取引に行ってその友人が殺されてしまう。その際9階の建物から落下したのだが、なんともなく、どうやら自分が不死身の人間になったことに気がつく。
友人には「鋼鉄ジーグ」をこよなく愛するちょっと頭のたりないアレッシオという娘がいた。
最初は身についた力で悪事をしていたが、アレッシオを世話するようになり、形だけの正義の味方のようになって行く。
一方、ここにチンピラ組織のリーダーで異常な男ジンガロがいて、エンツォの力を得るためにその秘密を知り、自分も無敵の体になる。そして、テロの爆弾を盗み、スタジアムでテロ行為をしようと企む。
ジンガロとの戦いの途中アレッシオを失ったエンツォだが、真剣に正義に目覚め、ジンガロを倒すべく奮闘するのがクライマックスとなるのだが、どうも心の変化がシンプルに描き切れていない上に、今ひとつ容貌がスッキリしない姿なのでヒーロー像と重なってこない。
最後は爆弾をジンガロとの戦いの中で爆破処理し、その爆破でジンガロは死に、自分はアレッシオが作ったジーグの仮面を被って正義のヒーローとなって暗転。
もうちょっとストレートなヒーロー作品だったらのめりこめたのですが、全体が非常にこじんまりとせせこましいのが残念。途中眠くなってしまったのは脚本の弱さでしょうか。
「娘よ」
これはいい映画でした。何と言っても画面が抜群に美しい。広大に広がる山々や草原、さらに画面の隅に配置する花々の景色、インサートで挿入される自然の姿にまずどんどん引き込まれます。その景色が非常に素朴な色調なので、主人公の少女ザイナブと母アッララキの赤と黄色の衣装がくっきりと浮かび上がるのです。しかも、一見第三国の物語のようで、普通にサスペンスな展開で進むストーリー構成も見事。なかなかの秀作に出会った感じです。監督はアフィア・ナサニエル。
水面の船の上に乗る一人の女性アッララキのシーンから、仲睦まじいアッララキと娘のザイナブのカット、さらにそこにやってくる叔父、さらに父で族長の男が別の部族の族長との話し合いの場面になる。細かいカットで切り返しながらスピード感あふれる車のシーンを挿入することで展開にリズムを生み出して行く。
族長同士には何か諍いがあるようで、相手の族長がザイナブを妻に迎えられれば今回の諍いは収めようという提案に乗る。この展開もさすがにこの地方独特の風習だとわかるのだが、ここから、アッララキが娘のザイナブを連れ出すまでが実に小気味よいので、パキスタンという国柄にこだわる暇もないのである。
音と映像をオーバーラップさせながら、一気に本編に持って行く演出のうまさにまず圧倒される。そして、逃げ出したアッララキとザイナブを追いかける男たちとのスリリングなやり取りの後、きらびやかに飾ったトラックに拾われ、そのまま逃避行へと物語はどんどんサスペンスフルな展開へ進んで行く。
余計な間がほとんどなく、無駄のないカットの連続はまるでアメリカ映画を見ているようなスピード感に溢れています。
しかも、逃避行の物語の中に美しい景色の映像や叙情的なシーンを繰り返し、愛くるしいザイナブとひたむきなアッララキの何気ない物語も挿入、薄っぺらい流れに終止しない脚本の妙味にも酔うことができる。そして、同じような境遇で母にも会うこともできなかったアッララキの物語を浮かび上がらせ、母との再会シーン、夜店の賑やかなシーンから一気にクライマックスへ持って行く畳み掛けも見事。
夜店の場にやってきた叔父がアッララキたちを連れて行こうとして、トラック運転手ともみ合い、トラック運転手に撃たれて叔父が死に、流れ弾でアッララキが重傷を負い、そのまま病院へ向かう。
車の中でザイナブの手を握っていたアッララキの手が落ちて、死んだかと思わせるシーンに、水面の船に乗るアッララキのカットからもう一度目を開けて暗転エンディング。うまい
思わず唸ってしまうラストシーンでした。見事な一本。そんな賛辞を送りたい作品でした。