くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「黒い牡牛」(レストア版)「シスター 夏のわかれ道」

「黒い牡牛」

ダルトン・トランボがロバート・リッチの偽名で原案を書き、アカデミー賞原案賞を獲得した作品。なるほど、名編です。物語の構成はこうして組み立てる物だというお手本のような見事なストーリー展開で、クライマックスの闘牛シーンは圧巻で、こんなシーン見たことがないほど素晴らしいです。監督はアービング・ラッパー。

 

レオナルドの母が亡くなって、その葬儀の場面から映画が始まる。レオナルドの家にいる年老いた牝牛チャパは、牧場主から自分たちのものだから返せと言われているが、レオナルドは可愛がっていた、まもなく子牛が生まれることになっていたので手放したくなかった。その夜、嵐が襲ってきてチャパは雷に撃たれて、木の下敷きになり死んでしまう。その場に立ち会ったレオナルドは、チャパの死を見届けた上で、生まれた子牛を抱き抱えて帰る。

 

翌日、子牛にヒタノと名をつけて大事に育てるが、牧場主の管理人たちは自分たちの牛だからと、焼印を押してしまう。レオナルドは、牧場主に手紙を書いて、自分たちが昔もらった牛の子供だからと嘆願、牧場主はレオナルドの気持ちを受け入れて、レオナルドにヒタノを譲ってくれる。ヒタノはどんどん大きくなり、牛の検定でも、その勇敢さが評価される。

 

そんな頃、自動車レースで活躍していた牧場主が事故で亡くなり、牧場の牛全部が売られることになる。レオナルドは昔もらった牧場主からの手紙を探すが、時が経ちすぎて見当たらず、ヒタノはメキシコシティで行われる闘牛場へ連れて行かれる。そのトラックに忍び込んだレオナルドは、闘牛場で、そこの主催者に談判するべく奔走、大統領の居場所を探し当てて、ヒタノを助けてくれるようにという手紙をてにする。この奔走する展開はかなり無理があるように思いますが、この後の展開で帳消しになります。一方、闘牛場では、すでに有名な闘牛士リベラとヒタノの戦いが始まっていた。

 

固唾を飲んで見守るレオナルドの前で、ヒタノは果敢にリベラと対決し、いつまでも勝負が決まらない。しかも何度もリベラはヒタノに突き飛ばされる。やがて観客の中から、ヒタノを殺すなというコールが起こり始める。そして、主催者も判断し、リベラもヒタノに敬意を持って刀を納める。レオナルドは、闘牛場に飛び込み、ヒタノを抱きしめて闘牛場を後にして映画は終わる。

 

クライマックスまでのシンプルな、しかもレオナルドのまっすぐな行動を描いていく流れから、スペクタクルな闘牛シーンへの展開と時間配分が見事。無理にある展開も目を瞑ってしまううまさ、名作というにはこういうものですね。良かったです。

 

「シスター 夏のわかれ道」

思いの外良くて、物語が進むにつれてどんどん深みを帯びてきて、登場人物に厚みが出てくる後半は素晴らしい。ただ、そのあとラストの畳み掛けがちょっともたついたために傑作に一歩足りない仕上がりになってしまったのは本当に残念。でも、なかなかの掘り出し物だった気がします。監督はイン・ルオシン。

 

交通事故の現場に立つ主人公の少女アン・ランのアップから映画は幕を開ける。事故で亡くなった両親、その父が最後に電話をしたのがアン・ランだったのだ。しかし彼女は両親から疎まれていて、アン・ラン自身も、両親に頼ることなく今は看護師として生活していた。ところが、幼い弟アン・ズーハンが残されてしまう。伯母も叔父も、ズーハンを引き取ろうとせず、アン・ランに押し付けてくる。身勝手そのものの親戚たちの描き方が、いかにもなのですが、この導入部がみるみる変わっていきます。

 

両親から、幼い頃障害があるので第二子が必要だと嘘をつかされてきたアン・ランは、ズーハンを引き取る気もなく、しかも、北京の医学部大学院に行く夢があり、そのために必死で働いていたのだ。しかし行き場のないズーハンは、わがまま放題にアン・ランを慕うようになる。

 

最初はそんなズーハンを疎ましく思うアン・ランだったが、両親が死んだことを告げてしょんぼりしたズーハンの姿を見て、少しづつ気持ちが和らぎ始める。この展開のタイミングが実に上手い。独身で、博打ばかりしている叔父は、アン・ランが引き継いだ家の金を当てにし出すし、伯母の家族もアン・ランに冷たい。しかし、アン・ランとズーハンは次第に心を通わせていき、それに伴って、それぞれの人物の過去が浮き出されてくる。この流れはが、映画にどんどん厚みを与えていきます。

 

伯母もかつて自分が女なので、アン・ランと同じく、両親に疎まれて育ったこと、何もしていない叔父も、親戚として実はアン・ランのことを大事に思い、ズーハンを引き取るとさえ言ってくれる。しかし、そんな叔父もズーハンの面倒は適当にしか見てくれず、アン・ランは再度引き取る。両親の事故は、父の心筋梗塞が原因と言って処理されたが、実は接触した車の運転手は飲酒運転ではないかという疑惑も物語を面白くしていく。

 

自分のことで、夢を諦め、彼氏とも別れた姉を思って、ズーハンは勧められていた金持ちの家への養子の話を勝手に進めてしまう。そして、姉に悪態をつき、姉はズーハンの元をさっていく。伯母は、これまでの縛りにこだわる必要はないのだから自由になれば良いとアン・ランを励ます。

 

家を売って北京へ旅立とうとする日、アン・ランはズーハンに会いに行くが、そこで養親に、今後、ズーハンと合わないという誓約書を要求され、アン・ランは、サインできず、ズーハンを連れてその家を出る。こうして映画は終わる。

 

一人っ子政策を背後に捉えながら、中国の男と女の立場の問題をさりげなく盛り込み、姉と弟の物語として淡々と描く筆致は見事なのですが、もう一歩練り込みがあれば傑作になっていたかもしれません。登場人物の過去をさりげなく見せていく終盤は涙ものなのですが、わずかにテンポが間延びしてしまった。でも、なかなかのクオリティの佳作だったと思います。