くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「8 1/2」「ダンサー そして私たちは踊った」

8 1/2

天才が作る映画というのは凡人の理解を超えた映像世界を構築するが、そんな一本がこの映画だと思う。研ぎ澄まされた感性が生み出す独創的な世界が画面の隅々まで散りばめられて、物語を語るという普通のことを超越した物を目の前に見せてくれます。二時間を超えるというのに、そして具体的な物語は非常にシンプルなのに、画面から見えてくるものは不思議なほどなファンタジックで寓話的な世界。フェリーニの代表作を何十年ぶりかで再見。素晴らしかった。

 

映画監督で主人公のグイドが車の中に閉じ込められ、大渋滞の中にいる。もがけどもドアは開かず、周りの車の中の人々は冷たい視線でグイドを見ている。いきなりこのシュールな夢世界のような画面で映画は始まる。

 

新作の構想に行き詰まるグイドの心理描写から幕を開け、彼は療養のために温泉に行くが、過去の女関係がまるで幻覚のように彼の周りに現れ、妻との諍いも繰り返されてくる。クランクインは二週間後に控え、巨大なロケット発射のセットも完成、大勢の役者が出演を希望してグイドに近づいてくる。

 

幻覚か現実かわからない中で、次第に日が近づき、無理やりクランクインのパーティでグイドはスピーチを依頼されるも、机の下に隠れピストルの引き金を引く。人々はいなくなり、発射台も壊されようとしてくる。しかし、それは彼の幻想なのか、映画はクランクインし、発射台のセットに集まった役者達はグイドの指示で動き撮影が始まる。どこまでが現実かわからないラストシーンに圧倒される。

 

出てくる人物はどこかサーカスの道化風であり、見世物小屋の女達のようであり、口上を述べる司会である。これがフェリーニの世界である。

 

「ダンサー そして私たちは踊った」

昨今の映画スタッフはホモを描かないと純粋な恋や人間の成長が描けないのか。この映画も、主人公は結局ゲイだったために物語に変化を作れたという安易な作品だった。ただ、救いになったのはラストで、主人公メラブの兄でどうしようもないダヴィッドが、自分はここで醜い親父になるがお前は出て行けという展開が救いだった。監督はレバン・アキン。

 

ジョージア舞踏団で練習をするメラブのシーンから映画は幕を開ける。10歳の時からペアを組んでいるマリとは半ば恋人のような付き合いになっている。そんな稽古場にイラクリという青年が入ってくる。彼の実力はなかなかのもので、指導する先生も認める。

 

やがて、メラブはイラクリと親しくなる中、友情以上のものが見え隠れし始める。一方生活は苦しく、しかも何かにつけトラブルを起こす兄のダヴィッドにメラブは手を焼いていた。

 

そんな時、舞踏団のメイン団に欠員が出て、メラブ達の中から一人選ばれることになる。一方、マリの実家にメラブ達が遊びに行った時、メラブはとうとうイラクリと体を重ねてしまう。しかし、メイン団の審査が迫るある時、イラクリは突然姿を消す。メラブは自暴自棄になり怪我をしてしまう。さらに、兄のダヴィッドが結婚することになる。その式場に、戻ってきたイラクリとメラブは出会う。イラクリの父が急病で実家に帰っていたという。また年老いた母のために結婚することを決めたという。

 

メラブは一時は落ち込むものの立ち直り、一方ダヴィッドから励ましの言葉も聞き、マリにも理解され、審査の場に行ってダンスをする。その姿は、これまでの型にはまったダンスとは一味の違うものだった。そんな姿を見る指導者を後にメラブは審査会場を後にして映画は終わる。

 

古きジョージアが変わりつつあることを描きたかったのだろうが、それはゲイとは違うと思う。安易すぎるストーリー作りには正直飽き飽きしてきた感じです。映像自体は凡作とは言えないけれど、すでに古いと思われる作品でした。