くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「DAU.ナターシャ」「天空の結婚式」

「DAU.ナターシャ」

解説によれば、衣装4万着。一万二千平米のセット、主要キャスト四百人、エキストラ一万人、撮影期間四十ヶ月、十五年の歳月をかけたとあるが、実際映像の中で見るには数人の主要キャストと食堂と研究施設、尋問室くらいのセットなのだが、どこをどう見るのかわからなかった。確かに、ソ連全体主義社会の圧政の実態と力をまざまざと見せてはいるが、手持ちカメラのような映像と定点で捉えるカットを繰り返し、シュールな中に恐怖を盛り込んだ演出は確かに評価できると思いますが、どうもそれがどうしたという感想です。監督はイリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ。

 

ソ連の某地のある研究所のそばの食堂、主人公ナターシャが後片付けをしている。研究所の職員が食事をし、その後片付けを始めるが、同僚のオーリャが、さっさと帰るというのでナターシャと言い合いになる。カットが変わり研究所の妙な人体実験の様子が写される。

 

ソ連からリュックという物理学者がこの研究に参加しにくる。オーリャの通訳で会話が進むが、オーリャが自宅に研究員らを招き、ナターシャも招待する。そこでナターシャはリュックと親しくなり、濃厚なSEXをする。まもなくして、ナターシャは政府役人ウラジミールに呼び出される。そして、リュックが変態で、スパイであるという報告書を無理やり書かされる。

 

屈辱的な仕打ちをされたナターシャは、言われるままに報告書を仕上げ、ウラジミールにキスをしてその場を後にしていく。そして食堂の場面、後片付けをオーリャに頼むがオーリャはまたも拒否し、言い合いになって映画は終わる。これが繰り返しなのか、冒頭のシーンに戻っているのか取りようは色々だと思いますが、街並みが見えるシーンは尋問室から帰るナターシャの場面くらいだし、解説に書かれている膨大な予算や撮影期間の意味は結局掴めなかった。

 

「天空の結婚式」

オフブロードウェイの大ヒット舞台の映画化ということですが、センスのない監督が演出するとこうなるという典型的な仕上がりの素人映画で、せっかくの個性的な脇役が全く活かされずに殺してしまっているし、せっかくの高地にあるファンタジックな舞台も生きてないし、肝心の主人公たちの物語は荒っぽい演出で芯が通ってないし、ラストの群舞シーンがなかったら目も当てられない映画でした。監督はアレッサンドロ・ジェノベージ。

 

パオロの一人称カメラでパートナーのアントニオへの想いが語られるところから映画は幕を開ける。そしてアントニオはパオロにプロポーズする。しかし、アントニオの両親は彼がゲイであることを認めていない。一方パオロの母はゲイであることを告白後三年間会っていなかった。アントニオが復活祭で帰るにあたり、両親にパオロを紹介することになる。

 

パオロの下宿のオーナーは、やってきた新しい住居人の女装趣味のオッサンと一緒にアントニオの村へ行くことになる。アントニオの村は長い通路を上り切った天空の村で、アントニオの父は村長だった。アントニオの告白に家族は唖然とするが母は薄々知っていて、二人の結婚を認める。

 

あとは、アントニオの元カノがいつの間にか現れたり、下宿オーナーの女主人がやたら歌がうまかったり、結婚式を執り行うのが修道士だったりと個性的な脇役がテンポ良いコメディを展開をさせるはずが全然生き生きしてこないし、いざ結婚式が迫るとなんとか阻止しようとアントニオの父が唐突に教会を燃やすし、それもなあなあで突然の結婚式。反対していたアントニオの父は普通に挨拶するし、出席も頼りなかったパオロの母も普通にやってくるし、アントニオの元カノの暴露スピーチも適当にやり過ごされ、いっときは式場を後にするかと思われたパオロの背後で、下宿のオーナーが突然歌い出し、突然群舞シーンになり唐突に終わる。要するにこの群舞シーンだけをやりたかったんだなという適当そのものに演出された作品でした。