くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「麥笛」(麦笛)「番頭はんと丁稚どん」

「麥笛」

こういう映画を撮らせると豊田四郎監督は絶品です。しかもカメラも抜群に美しい。物語がしみじみ心に染み入ってきり感覚に酔ってしまいます。古き良きといえばそれまでですが、今に語り継がれるべき名作の一本だと思います。

 

時は大正、人力車が寺の境内に走り込んでくるところから映画は幕を開けます。この日、この寺の住職の娘の婚礼だった。住職は姿が見えない息子の伸夫を探しているが、伸夫は犬を連れたまま、どこかへ行ってしまう。そして人力車で揺られていく花嫁姿の姉を川岸のこちらから追っていく伸夫。この冒頭のシーンだけでもこの映画のクオリティの高さを実感してしまいます。

 

ある日、伸夫が寺に戻ってくると、一人の女性が犬に吠えられ困っている。娘は慌てて鐘撞櫓に駆け上がり、鼻緒が切れてしまう。それを見た伸夫が手ぬぐいを割く。彼女の名前はお玉と言って茶屋で働いていた。伸夫の親友表は、彼女を引き合わせてやると茶屋に誘う。伸夫も表も詩を投稿していた。お玉は何気なく伸夫に気があり表も段取りしてやろうとするが、結局、どこかぎこちないままに伸夫は煮え切らず、その上、表がそれならと芝居小屋でナンパしてやったことが耐えられず喧嘩別れしてしまう。

 

そんな頃、伸夫は寺の賽銭泥棒の現場を見つける。その大人の女性の色香に絆されてしまった伸夫はその女性のために、取られた金を埋めてやったりし、最後にはもうこない方が良いというアドバイスまで与える。さらに後をつけて、履いていた草履を盗んだりする。そんな頃、伸夫の詩は文庫に掲載され、伸夫の姿をいつの間にか知る父の住職は、一人の男として伸夫を認めてやる。

 

ある時、伸夫は警察に呼ばれる。行ってみると表が捕まっていた。あちこちの女性に文などを送って迷惑がられたのだという。伸夫は表のことを親友と認めてやる。このことをきっかけに伸夫と表は仲直りするが、表は胸の病に犯されていた。しばらくして、下宿の二階で伏せる表を見舞った伸夫は、布団から出られなくなるほど弱った表を見る。夜になるとどこからともなく口笛が聞こえてきた。窓から覗くとそれはお玉が毎晩吹く口笛だった。伸夫は表に頼まれてお玉に表の病気のことを知らせる。それからまもなくして表は息を引き取る。死の間際、自分が死んだらお玉のことを頼むと伸夫に遺言する。

 

表の墓参りをした伸夫とお玉は、かつて三人で遊んだ海岸にやってくる。吹雪で霞む海岸で、伸夫はお玉に表の遺言を告げようとするが、悲しみに沈むお玉にはその言葉を受け入れようとしない。途方に暮れる伸夫、かすみの彼方に消えるお玉、伸夫の背後の雲の切れ間に光がさして映画は終わっていく。

 

主人公伸夫の心の成長、思春期の淡い恋、そして、友人の死、淡々と流れる物語なのに、その心の動きが見ている胸の中に染み渡ってくる。しかも、カメラが抜群に美しい上に構図が見事で、名作とはこういうものだと言わんばかりに息を呑んでしまいます。これが映画です。

 

「番頭はんと丁稚どん」

とにかく懐かしい大阪の景色に涙ぐんでしまう。制作年は1960年なので、自分が生まれて間もなしである。大阪市内に市電が走り、今や消えてしまった映画館の数々が出てくる。それだけでも楽しくて仕方ない映画でした。お話はたわいのない喜劇ですが、役者がしっかりしているのでだらだら感が全くなく、キリッとしまった物語になっているのはすごいと思います。監督は酒井欣也。

 

とある田舎の村、この日、八人兄弟の長男崑松は大阪に丁稚奉公に出されることになっていた。故郷を離れることに抵抗しながらも迎えにきた小番頭らに連れられ汽車に乗る。着いたところは道修町。薬問屋七福に奉公を始める。同じく大学での小番頭も新入りで入ってくる。

 

そこへ、次女のこいさんが帰ってくる。古株の小番頭も浮き足立つ。こいさんは祖母の勧めで見合いの話が舞い込む。一方新入りの小番頭に憧れる女中。そんなこんなのドタバタの中、こいさんは見合いの日に家出をしてしまう。見張り役だった崑松は、なけなしも金でこいさんを探しに別府へ向かう。一方新入りの小番頭は不渡を掴まされ店をやめることになる。大旦那には浮気の疑いがかかる。クライマックスへ様々なエピソードが絡み、ラストは、何もかもハッピーエンド、こいさんは新入りの小番頭との恋が明らかになりめでたしめでたし。映画は終わっていく。

 

これというものはない。ただ気楽に楽しむ映画ですが、私らにとってはとにかく懐かしい景色に胸が熱くなりました。今日はハッピーな一日でした。