「スプリー」
それほど、映像センスも演出センスも感じませんでしたが、こういう映画の作り方もあるもんだと思ってみると、それなりに面白かった。スプラッターにするのかサイコホラーにするのかSNSへの風刺メッセージにするのかどれもこれもが中途半端なてんこ盛りの仕上がりで、もうちょっと的を絞ればカルトな名作になったかもしれません。監督はユージン・コトリャレンコ。
主人公カートの少年時代から映画は幕を開けます。あれこれとSNSに投稿するもフォロワーは全く伸びず、どんどん歳をとって青年になる。そこで彼はスプリーといういわゆる乗合タクシーを始め、そこで次々と乗客を殺す映像をアップしはじめる。といきなりサイコになる。
最初はどんどんフォロワーも増えていきますが、今更この手のこともありきたりで伸び悩み始める。彼の手口は備え付けのミネラルウォーターに何やら毒を入れてそれを飲んだら死んでしまうというもの。たまたま乗せた女性ジェシーがSNSでも有名なコメディアンで、同情した男性にしつこく絡まれ降りてしまう。しかし、その場をジェシーが自分のSNSにアップする。
カートの父はミュージシャンらしく、ある時、ライブがあるからと無理やりカートの車に乗る。そして有名な韓国のインフルエンサーウノを紹介してもらう。カートは彼女の機嫌をとってフォロワーを増やそうとしますが、タコスを買いに出たところ、ウノがカートの車を物色してピストルを見つけさらにミネラルウォーターを飲んでその場に倒れてしまう。たまたま通った警官がカートを尋問していると、目を覚ましたウノがピストルで警官を撃ってしまう。カートは必死で逃げるが、ホームレスのテントに突っ込んで車は大破。
そんな頃、ジェシーはライブハウスでステージに立っていた。ステージで、SNSはやめると叫び、ステージを終えてスプリーを呼んだら、なんと別のスプリーの車を奪ってきたカートだった。カートは自宅にジェシーを連れて行こうとするが、身の危険を感じたジェシーが反撃、しかしカートの家に突っ込んでしまう。カートとジェシーの死闘の末、ジェシーはカートを殺す。その様子をフォロワーはしっかり見ていて、みるみるフォロワーは増えていく。そしてジェシーはさらに有名になり大金持ちになって成功。この展開はあまりに非現実的で、あの警官たちはどうなったのかと思う。こうして物語は一旦終わる。
過去の動画をあれこれ言うフォロワーたちの書き込み、そしてそれらの動画を集めて編集したと言う書き込みから、題名は「スプリー」という映画になったと投稿されて映画は終わる。なるほどそう言う作りなんだと感心。
冒頭部、次々とスプラッター感満載で人を殺していくが、カートのサイコ感がいまひとつ盛り上がってこず、父との確執など必要のないエピソードも挿入、ウノやジェシーらのキャラクターもいまひとつ緊迫感にかけ、終盤のSNSを批判するような映像もさらっと入って、全体が散漫になってしまった。スピード感とオリジナリティを突き進んで、ストーリーの的を絞ったらもっと面白くなった気がします。
「海辺の彼女たち」
不法就労で日本に来た三人の少女の物語だが、結局一人の少女の話のみになっている意味がよくわからなかった。映像は暗いし、丁寧に撮ってるとはいえ、辛い作品でした。監督は藤元明緒。
三人の少女が荷造りをしている場面から映画は始まる。搾取される今の職場を逃げ出し、仕事の紹介人に北の港町での仕事を紹介され向かうのである。紹介人の青年に港での魚の仕分けの仕事をもらった三人は、国への仕送りのために働き始める。
ところが一人の少女フォンの具合が良くない。ネットで調べた病院に行くが、在留証と保険証がないとダメだと言う。しかも本人に聞いてみると妊娠しているらしいと言う。フォンは闇で在留証と保険証を買い病院に行く。その帰り紹介人の青年に呼び止められ、中絶の薬を渡される。
フォンは夕食をし、薬を飲むところで映画は終わっていく。紹介人の青年も新しい職場も真っ当なのがこの作品をしっかり作っている証拠かなと思う。闇の証明書の売人はいかにもだがこれは仕方ない。とはいえ、なぜ三人の物語なのかがよくわからなかった。
「血を吸うカメラ」
長年見たかった作品をようやくスクリーンでみることができました。カルトな名作とされているのは監督がこの手のジャンルなど撮らないだろうと思えるような名匠マイケル・パウエルゆえなのかもしれませんが、画面の構図といい、展開の妙味といい、しっかりとしたクオリティの一本でした。面白かったです。
女性の目のアップ、夜の街、一人の娼婦がショーウインドウをのぞいている。このオープニングが実にすごい。彼女をカメラ越しに見つめる目がある。彼女は自分を見つめるカメラの男を誘い自分の部屋に入る。おもむろに衣服を脱ぐが、何か異様な気配にじっとカメラの方を凝視して悲鳴。場面が変わるとそれはスクリーンに映された映像で、それを見つめる男が立ち上がりタイトル。
主人公マークが自前の十六ミリカメラで、昨夜の殺人事件の捜査の様子を写している。そして、写真館のスタジオへ行き、2階で娼婦の写真を撮る。彼は映画撮影のスタジオでカメラの被写体との距離を図る仕事をしていた。仕事を終えて帰ったマークはいつも窓から一階の住人を覗いていた。この日、一階に住むヘレンの誕生パーティだった。二階に住むマークに気があるヘレンはマークが帰ったことを見つけ部屋にやってくる。そして、マークの暗室で彼の子供の頃のフィルムを見せてもらうが、どこか異常なその映像に嫌悪感を持つ。
マークは、映画の仕事の後、スタンドイン女優のビビアンと撮影所内で映画撮影の遊びをする約束をしていた。マークはビビアンにライトを当てていかにも撮影のように遊び始めるが、突然自分のカメラを取り出す。そのカメラの三脚の先は鋭利になっていてそれでマークはビビアンを刺し殺し、大道具の箱の中に入れてしまう。
翌朝映画の撮影でビビアンの死体が発見され、刑事がやってくる。そして、先日の娼婦の殺人事件と共通していると判断して、さらにマークが怪しいと考える。この辺りに描写はかなり雑。ある夜、マークはヘレンとディナーデートに行く。ヘレンの希望で、片時も手放さなかったカメラを置いてデートをし帰ってくる。マークが自分の部屋の暗室に行くと、そこに盲目にヘレンの母がいた。彼女は感でマークが何か怪しいと見ていた。マークは父が研究していた、恐怖と人間の反応に取り憑かれていることを話し、ヘレンの母は医師にかかるように勧める一方でヘレンに近づかないように言う。
マークが怪しいと考える刑事はマークの仕事の後の行動を追わせる。マークはこの日写真館の二階でミリーという娼婦の撮影があった。マークは刑事につけられていることを承知の上でミリーを殺害する。一方、マークの留守にヘレンはマークの暗室にいた。かねてから話していた童話のことを話すためだったが、映写機にかけたままのフィルムを見つけ上映してみる。そこには殺害される女性の顔があった。そこへマークが帰ってくる。ヘレンを見つけた彼は、ヘレンに三脚の刃物を向けるが、出来ない。そんな頃、ミリーの死体を発見した刑事がマークが犯人だと確証しマークの家に向かう。
マークは、刑事が来ることを知り、壁に十六ミリカメラを取り付けの撮影の準備する。それはかねてから彼が計画していたことで、部屋中のカメラのシャッターがおり、十六ミリカメラで自分が死んでいく恐怖の姿を撮影するためだった。それは彼の父の研究の証明でもあった。彼はスイッチを入れ、自ら三脚の刃物に喉を突き刺す。そこへ刑事が踏み込んでくる。こうして映画は終わる。
いわゆるサイコホラーのジャンルの作品です。よく見てみればストーリー展開はかなり雑なところもあるのですが、オープニングの場面、クライマックスのシーンなど本当にクオリティの高い映像に仕上がっています。そのアンバランスがこの映画をカルトな名作としたのでしょうか。必見の一本という言葉の当てはまる映画でした。