「エレナの惑い」
二人の妻のあり方を描く一本目、というか、単純に独立したアンドレイ・ズビギンツェフ監督の長編三作目である。
映画は、見事な一本。映像に音楽が被さり、ストーリーをどんどん盛り上げてくる。しかも、フィックスでとらえた正当なカメラワークなのに、気がつくと、不気味なほどのサスペンスの渦に引き込まれ、はまりこんでしまい、ラストに、寒気がするようなシュールなエンディングに浸ってしまうのだ。
木々の隙間から、高級マンションをのぞきみるカットから映画が始まるが、このカットが妙に長い。そして、鳥が飛んできて、物語が動き始める。
主人公、エレナがベッドで目覚め、朝食を作り、夫と二人で食事する。エレナには、前の夫との間に息子がいて、その息子の子供サーシャが大学へ行く金が必要だと夫に告げるが、冷たくあしらわれる。
息子は、ろくに働きもしない様子で、貧乏なアパート暮らし。そこへ、わずかな金を援助し、届けるエレナのシーンにサスペンスフルな音楽がかぶる。
この音楽が、次に、夫がジムに行く車のシーンで流れる。そして、ジムで夫は心臓麻痺を起こす。助かったものの、死を覚悟した夫は、遺言を書くことを決意する。しかし、そうなると、財産がわずかしかもらえず、息子に金をやれないと考えたエレナは、バイアグラの薬を巧みに混ぜて、夫を殺すのだ。
自宅に保管していた現金を息子に届ける。安アパートが突然停電したり、近所に原発のドームが見えるいかにも、寂れた町並みの描写も極端なくらいである。しかも、孫のサーシャは近くの悪ガキとホームレス狩りなどをしている。
そんな環境を抜け出すべく、息子夫婦と出来の悪い孫のサーシャが、エレナのマンションに移り住む。そして、冒頭のシーンと同じく、木々の隙間から、マンションの中を臨むカットでエンディング。
さりげない、クライマックスの赤ちゃんのカットなど、ぞくっとする演出に、圧倒される映画で、細やかなピン送りで語るストーリーの流れも含め、驚嘆に値するすばらしい演出が続く。
見事な傑作とは、こういう映画をいうのかもしれない。すばらしかった。
「ヴェラの祈り」
妻のあり方を問う長編二作目。
いっさいの事情説明のシーンをすべてカットして、ひたすら映像表現だけで前半部分は突っ走る。いや、迫ってくるのである。そして、終盤の三分の一で真相を明らかにしていくが、そこに、水の流れや、雨の景色、鳥の姿などを挿入して、叙情的な芸術世界に放り込んでくる。そしてあかされるこの映画のテーマ。その圧倒されるストーリーテリングの怖さに、しばし席を立つことができない。
まるで、ベルイマンの映画を見た後の充実感と重苦しさである。二時間半、見せきる迫力に圧倒される傑作だった。
映画は、広い草原の中、一台の車が走ってくる。乗っているのは、主人公アレックスの兄マルコで、手にけがをしている。踏切で止まった彼の周りにどしゃぶりの雨、そして、銃弾を抜いてもらうシーンへ続く。いったいどういう経緯か、最後まで語られない。
そしてアレックスの話へと本編へ流れる。
二人の子供と愛する妻ヴェラと暮らすアレックスだが、どこかヴェラには孤独感が漂う。そして、彼女から妊娠したということが告げられ、アレックスの子供ではないという。
アレックスが、マルコに相談するため、駅まで息子と車で走る場面で、どうやら、子供の相手が仕事仲間のロベルトだと知るアレックス。息子が、サーカスに行って帰ってきたら母とロベルトが一緒にいたというのだ。
物語は、アレックスとヴェラ、さらにマルコを巻き込んでの苦悩の時間が語られる。
そして、中絶することを決め、子供たちが知人の家に遊びに行った夜、マルコがつれてきた闇医者に施術してもらうが、そのせいかどうかわからないままに、ヴェラは死んでしまう。
昏睡状態のヴェラを、マルコがつれてきたゲルマンという知り合いの医師に診てもらうのだが、結局死んでいたのだ。そして、ゲルマンは、ヴェラの傍らに一通の手紙があったとマルコに話す。
それは妊娠の診断書で、裏には彼女の告白がかかれている。アレックスに知らせないことを決めたマルコはそのまま隠してしまう、いったい、あの手紙の裏にかかれていたことはなんなのか?最後まで観客を引き込む見事な伏線となるのである。
ヴェラの葬儀の準備をしたマルコだが、突然倒れてしまう。マルコは病気だったのである。そして、ヴェラの葬儀の後、死んでしまう。葬儀に向かうマルコが、車のダッシュボードに手紙を隠すカットが入る。
いたたまれないアレックスは、すべての原因のロベルトを殺すべく、ピストルを持って出かけるが、ロベルトの家について、ダッシュボードのピストルを出すときにマルコが隠したヴェラの手紙を見つける。そしてすべてが明らかになる。
ヴェラが妊娠していた子供は、アレックスの子供だが、アレックスと自分はそれぞれ別々の存在になっているように感じ、孤独感が募っていたことがかかれていた。そして、その孤独感の中、自殺未遂をしたときにロベルトに助けられたとかかれていた。
フラッシュバックして語られるこれまでのロベルトとヴェラのいきさつ、そして、息子に見つかった過去などを映像で描いていく。
そして、物語は大団円を迎えるのである。
恐ろしいほどに映像表現を徹底し、いわば芸術的な画面づくりに圧倒される一方で、ストーリー構成の組立のうまさで、混乱させずに観客を引き込む手腕がすばらしい一本。
葬儀の場面の山肌の曲線や、雨の流れが水たまりに流れていく様、さらにその水たまりにふわっと家が浮かんで写るショットなど、見事な映像描写にも引き込まれてしまう。まさしく、傑作だった。
「やさしい人」
みっともない中年おやじの、ヒステリック映画と一刀両断するには、ちょっとはばかられる一本。監督はギヨーム・ブラックである。
今や落ちぶれたミュージシャンマクシムが、ギターで作曲しているシーンに始まる。ある日、彼を取材に一人のキュートな女の子メロディがやってくる。
みるみるお互いが牽かれ、というか、ほぼ一方的にマクシムが牽かれ、やがて熱い恋仲になるが、メロディが旅行にでかけてから、全く音信不通になる。そして、次第に焦燥感がつのるマクシムは、メロディが元彼と一緒にいる場面をみるに及び、ヒステリックになってしまう。そして、ピストルで脅して、彼女を監禁。しかし、当然警察に捕まる。
ところが、メロディはマクシムの行動をほとんど否定、結局元彼も告発を取り消し、マクシムは釈放される。
飼い犬を効果的に使った導入部と、ちょっと憎めない女好きの父親の存在が、いい感じで始まるのだが、今一つはじけきらないうちに、マクシムのヒステリックシーンへ流れ、みるみる下世話な映画になっていくあたりはいただけない。
結局、釈放された後、父とマクシムが二人で自転車に乗るさわやかなシーンで締めくくり、救いがみられるとはいえ、個人的には好きになれない映画だった。