くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アムステルダム」「天間荘の三姉妹」

アムステルダム

確かに面白い。歴史の史実をベースにした作品で、どこまでが史実でどこまでがフィクションかと思わせるが、非常に入り組んだ作劇になっているので油断するとついていけなくなる上に、同じ重要度を持った登場人物が目白押しに出てくるので、ストーリーの整理が追いつかない。もう少し強弱をつけたキャスト配置にしてもらえると楽に見れた感じがします。でも面白い映画でした。監督はデビッド・O・ラッセル。

 

1933年、第一次大戦で負傷した医師のバートは、今は負傷した復員兵の治療にあたっている。顔が削げた男、手足がもがれた男、などなどの描写がちょっとリアリティありすぎるけれど、冒頭だけだからよしとしましょう。バート本人も片目は義眼で、腰にコルセットを巻き、背中は傷だらけである。そんな彼に、友人で弁護士のハロルドからある依頼がくる。戦友会で演説するはずだったビル・ミーキンズ将軍が何者かに殺された証拠を見つけたいので解剖してほしいという。正式な依頼人はビルの娘リズだった。

 

バートが向かった先にあった遺体をイルマというポーランド系の黒人女性の執刀で解剖がなされ、胃の中から薬物が見つかる。その報告に、リズとの約束の場所へ向かうハロルドとバートだが、目の前でリズは路上へ突き飛ばされ車に轢かれて死んでしまう。しかもハロルドとバートはその犯人にされてしまう。

 

時は1918年、大戦末期、戦地でハロルドを庇ったバートは、いつもお互いに庇い会おうと約束する。その時、彼らは、何事も平等なビル・ミーキンズ将軍と知り合い、以来尊敬していた。二人が負傷して担ぎ込まれた病院で、看護婦のヴァレリーと知り合う。彼女は負傷兵の体から取り出した銃弾などで芸術作品を作る芸術家だった。ヴァレリーは、バートの目のため、アムステルダムに住む義眼を作るガラス職人ポールと財務省の役人ヘンリーを紹介するが、実は二人は情報局の人物だった。アムステルダムで、三人はこれからもお互いに助け合う約束をする。三人で楽しむ中、ハロルドはヴァレリーと恋仲になって行く。やがて、戦争は終わり、バートはアメリカに帰って行く。

 

時は1933年に戻る。その場を逃げた二人は、バートの妻ベアトリスから、地元の大富豪トム・ボーズに頼んで助けてもらうようにアドバイスを受ける。バートとハロルドは、トムの邸宅にやってくる。そこで、監禁されているヴァレリーと再会する。ヴァレリーの兄がトムだったのだ。トムの妻リビーは何かにつけヴァレリーを拘束しようとしていて、ヴァレリーを軟禁していた。

 

警察の手が迫る中、ハロルドとバート、ヴァレリーは、ビルを殺したと思われる五人委員会なる闇の組織のメンバーを突き止めるため、数々の軍功をあげた将軍ディレンベックの力を借りようと決める。そして、ディレンベック将軍にようやく会えたバートたちは、戦友会で演説してもらうことを了解してもらう。一方五人委員会もディレンベックを担ぎ出す計画があった。五人委員会は、当時ヨーロッパで独裁政権を作り上げようとしていたヒトラームッソリーニ同様にアメリカで独裁政権を作るべく、ディレンベック将軍をそのリーダーに祭り上げようとしていた。

 

いよいよ、戦友会のイベントが開催される。トムは、ディレンベックやバートたちに五人委員会のメンバーらしい財界人を紹介し、時の大統領を倒して新しい国家を作り上げるという計画を話す。さらにディレンベックに無言の圧力をかけ、ビルの死に関して余計なことは演説しないように釘を刺す。

 

受けたような態度を見せるディレンベックは、演台に立つ。そして、この国に蔓延る五人委員会の悪行と、その目を摘むべきである事を訴える。折しも暗殺者の銃がディレンベックを狙っていた。すんでのところでバートとハロルドが暗殺者を止め、そこへ駆けつけたポールとヘンリーの力で暗殺者は取り押さえられる。トムらも逮捕される。

 

ハロルドとヴァレリーは、アメリカを出ることにし港へ向かう。バートも誘われるがバートはイルマと惹かれ合う仲になっていて、アメリカに残る。ハロルドらはアムステルダムに向かうというが、ポールとヘンリーはアムステルダムには、ナチスが迫っているからほかに行くようにとアドバイスする。バートとハロルドらの切ない別れがラストシーンという感じなのだが、ちょっとまとまっていないのは残念。こうして映画は終わる。

 

今をときめくスターたちのオンパレードの豪華な配役で、それだけでも見ていて値打ちがあるのですが。お話が少々複雑すぎているというか、語るべき物語と脇のエピソードの配分構成が同じレベルで描かれているので、非常に中心のお話が見えづらくなっています。これを狙ったといえばそれまでですが、そこに強弱緩急をつければもっと物語が見やすかったのではないかと思います。でも、最初から最後まで気を抜かずに見ればとっても面白い映画だと思います。

 

「天間荘の三姉妹」

なんともダラダラした作品で、原作が弱いのか脚本が悪いのか、二時間半も引っ張れる内容とは思えない映画だった。娯楽映画だと割り切りたいが、テレビドラマのできそこないみたいな作品でした。監督は北村龍平

 

天界と地上の境目にある天間荘の若女将のぞみの顔のアップから映画が始まり、妹のかなえと共に、今日やってくる客を出迎える場面まで、延々長回しで物語が始まる。映画と言えるのはここまで。やってきた客はのぞみたちの妹たまえで、彼女とは腹違いだった。大女将の恵子は酒ばかり飲んでいるぐうたら母親だが、その演出も冒頭だけという適当さ。

 

たまえは、最初よくわからないままに天間荘で働くことになる。例によって頭の硬い老婦人というキャラクター財前というのが登場し、たまえとの丁々発止のやり取りの後、あっさりとお互いが絆されて行くという雑な展開。どうやら、東日本大震災の被害者がこの町三ツ瀬に残って暮らしているようで、かなえの彼氏一馬もそんな境遇らしく、地上での生き残った父の姿などが交互に描かれる。

 

財前とのエピソードが一段落した後やってきたのが、これもまたありきたりな、自殺未遂の口の悪い優那という不良ギャル。一体いつまでこんな古臭いキャラクター登場させるのかと思うほど適当な展開がこの後続く。財前との絡みの後、たまえと仲良くなって行くという適当さ。

 

たまえはかなえがイルカのインストラクターをしているところでイルカの調教の勉強を始める。一馬は、来世へ旅立つ。財前と優那も地上に戻る決心をして帰って行く。たまえはイルカショーデビューで大失敗するが、たまえを笑う観客に、恵子はいい加減自分達の未練を捨てて旅立つべきだと大演説。いつも客を乗せてきていたタクシーの運転手は実はのぞみらの父親だったという都合の良い展開から、街の人々は来世に旅立ち、天間荘の面々もたまえを残して旅立って行く。この場面、まるで大川隆法の映画みたいでした。最悪。

 

たまえは天間荘での記憶を持ったまま地上に戻り、天間荘で出会った人たちからの伝言を届ける。優那や財前とも会って、再度イルカショーに挑戦して、今度は大成功して映画は終わる。

 

とにかくクライマックスもダラダラと長くて、そんなに無理やり二時間半にしなくてもいいやろというような映画でした。