くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「われ幻の魚を見たり」「赤西蠣太」「国士無双」

「われ幻の魚を見たり」

明治時代、十和田湖で鱒の養殖に成功した和井内貞行という人物の半生を描いたいわゆる偉人もので、監督は伊藤大輔ですが、ちょっと場違いなジャンルだった感じで、どこかギクシャクしていました。それでも、こういう人物がいたという勉強になるし、よくある人情物的なストーリーで、それなりにラストは涙しました。古い映画は本当に日本の昔を垣間見れてとってもいいです。

 

雪深い十和田湖の山中、一人の村人が魚を得るために遠出をして戻る途中、行き倒れになる場面から映画は始まる。その捜索に参加していた地元の名士でもある和井内貞行は、十和田湖に魚がいればこんな悲劇は起こらないと一大決心をします。当時十和田湖信仰の中で、湖に生臭い物を流さないと言われていたためである。

 

貞行は鯉を放つが、信者たちの大反対と迫害に遭ってしまう。ところが、間も無くして鯉は成長する。当時十和田湖畔には銀山があり、その鉱夫たちで賑わっていた。鉱夫たちは、ダイナマイトで鯉を取るようになる。このままではダメだと感じた貞行は、湖に漁業権を取得し、鱒の養殖を試みる。しかし、さまざまな種類を放流するが、元々、共食いの習性がありうまくいかない。みるみる家は貧乏暮らしになって行く。

 

貞行は本家の家を売るべく、札幌へお伺いを立てに出かける途中、支笏湖で養殖されている鱒の存在を知る。そして、その卵を手に入れ必死で十和田湖に戻ってきて放流する。程なく日露戦争が起こり。長男は出征する。四年目となるも鱒は戻ってこない。毎日湖を見つめる貞行の元に長男貞時の戦死の訃報が届く。その時、湖の波紋が変わる。鱒がやってきたのだ。家に戻り、妻かつ子を連れ出し湖へゆく。

 

ついに鱒の養殖に成功した貞行は大漁が続き、生活も安定して行く。財を成した貞行は地元の人たちに還元すると妻に告げる。間も無くして、叙勲されることになりその送呈式に出たが、妻は家で病に臥せっている。少しでもはやくと考える貞行は勲章を持って家へと急ぐ。しかし、妻の死に間に合わなかった。こうして映画は終わっていきます。

 

映画の仕上がりは、特に秀でた物ではありませんが、こういう戦前の作品には独特の感慨深い感動が伝わります。見て良かったなあと思える作品でした。

 

赤西蠣太

四十数年ぶりの再見、当時はお話がよくわかっていませんでしたが、実によくできたユーモア満載の映画であることがわかりました。猫の使い方、シーンの繰り返しによる笑い、真上から捉えるカメラワーク、サスペンスフルなストーリー、どれをとっても娯楽のエッセンスが散りばめられています。面白かった。監督は伊丹万作

 

二人の武士が、最近やってきた新参者の侍、赤西蠣太の噂話をしている。赤西蠣太は、一人将棋を打っている。屋根裏にネズミが走る音、武士長屋の端の部屋に猫の声がして、うるさいので隣へ隣へと持って行くコミカルな場面から、ネズミ退治にと赤西蠣太がその猫を貰い受ける展開へ。

 

詰所にいた赤西は、一人の美しい娘をお屋敷に奉公させたいという大棚の接待をする。奥方らの申し出で、赤西蠣太はその娘の呼び名をさざなみと名づける。そんな頃、屋敷内に謀反の気配が出てくる。実は赤西蠣太は殿から遣わされた間者で、謀反の証拠を手に入れようとしていた。

 

たまたまもう一人、謀反の気配の証拠の書付を手にしていた若侍と手を組んで仕事を進めて行く。そんな頃、いよいよ若君の命が狙われるらしいと聞きつけた赤西蠣太だが運悪く腹痛を起こしてしまい、なんとか手を組んだ侍に連絡を取りことなきを得る。赤西蠣太自身は腸捻転らしくだったらしく、自分で腹を切って対処する。とまあ、笑うべきが驚くべきかの展開の後、証拠を掴んだ赤西蠣太は、藩主の元へ行くべく嘘の恋文をわざとバレるようにして居た堪れなくなって出て行くが、それに感づいた謀反の首謀者原田甲斐が後を追わせるが赤西蠣太はなんとか撒いてしまう。そして謀反はばれ、ことなきを得るが、さざなみのところへ挨拶に行った赤西蠣太は、結局嘘の恋文から本当の恋となって映画は終わる。

 

冒頭の猫のユーモラスな場面だけでなく、若君を守るべく、コミカルな繰り返しのシーンの連続で繋いでいく演出、赤西蠣太とさざなみが対峙する場面での父、母と一人ずつ消えて行くテクニックなど、どれもがとっても面白いし楽しい。映画は技術だけではないというのをまざまざと見せつけられます。面白い作品でした。

 

国士無双

現存するフィルムが断片になってしまっているのですが、端折って行くストーリー展開で実に面白い映画にまとめられていました。ある意味荒唐無稽なのですが、そのなんでもありのお遊びに拍手したくなる一本でした。監督は伊丹万作

 

二人の浪人が酒を飲みたいがいい手はないかと話している場面から映画は幕を開ける。この地に剣豪伊勢伊勢守というのがきているから贋物を立てて、それをネタに酒を飲もうということにする。そして、適当な贋物を見立てて大宴会。ともすると正体がバレそうになるコミカルなシーンを連続させて、その場は終わる。

 

やがて本物の伊勢伊勢守は、故郷にさることになり、一方贋物は旅の途中で一人の娘を助ける。その娘は実は本物の一人娘で、本物から、是非自宅でもてなしたいと懇願されるが頑なに贋物が断るので、果たし合いをすることになる。ところが本物は贋物に負けてしまい、本物は剣の神様と言われる仙人の元へ修行に行くも仙人の方が弱く、結局何年か修行して戻ってくる。そして再度贋物と果し合いをするもやはり負けてしまう。こうして映画は終わる。

 

本来のストーリーがどうなのかわかりませんが、程よくまとめられた短編作品になっていました。貴重なフィルムが無くなって行く現実は映画ファンとしては寂しいですね。