くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「バルド、偽りの記憶と一握りの真実」「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」

「バルド、偽りの記憶と一握りの真実」

撮影監督のダリウス・コンジが65ミリフィルムで撮影した映像が素晴らしいという友人の感想で京都まで見にきた。広角レンズと長回し、そして縦横無尽に移動するカメラワークで描かれる現実と夢を行き来する映像世界を堪能できる一本。シュールであり、映像詩であり、どこかコミカルでさえある、不思議な世界観に陶酔感さえ覚えるのですが、ストーリーを追うより、映像を楽しむ映画でした。監督はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

 

広大な大地を俯瞰で捉える画面、彼方まで伸びた木々の影、人間の伸びたシルエットがジャンプしては降り、またジャンプして彼方を目指していく。この冒頭部に引き込まれる。画面が変わると赤ん坊を取り出した医師たちのカットから、この赤ん坊マテオが、もう一度お腹に戻りたいと言っているので、母体に戻す。衝撃的かつちょっとコミカルなシーンで、のちにこのマテオは生後三十時間で亡くなったことがわかる。

 

病院の廊下では主人公シルベリオが待っていて、妻が出てくると、臍の緒をひきづっている。著名なジャーナリストでドキュメンタリー映画作家でもあるシルベリオは、権威ある賞が決まり、故郷のメキシコへ帰ることになる。妻とのベッドシーン、息子ロレンソとの会話シーンなど、長回しと広角レンズで描く場面が続く。

 

メキシコに着いて、テレビ出演するが、コメンテーターが嫌いなのかシルベリオは全く喋らない。その後のパーティでのダンスシーンがまず圧巻。大胆にダンスをすり人達の間を縫っていき、シルベリオの姿に最後は焦点を合わせる。舞台上でシルベリオが紹介されるが、人前に立つのが嫌いなシルベリオは、トイレに逃げる。そこで亡き父に会い、言葉を交わす。この時、シルベリオの体が小さく描写される。その後、母の家に行き、母と会話を交わす。夢なのか現実なのかという繰り返しである。

 

街に出ると、突然、人が次々と倒れて町中人の波となり、その中を歩くシルベリオ。シュールな場面を繰り返しながら、裕福な友人の紹介で豪華ホテルに泊まり、浜辺のビーチを楽しむ。妻はマテオを解放してやると言って、卵のような入れ物から小さか赤ん坊を出して海に流す。赤ん坊は波に泳いで流れていく。

 

娘のカミラ、息子のロレンソ、妻と共にシルベリオはアメリカに戻ることになる。空港で失礼な態度を示された後、自宅に帰る。サンタモニカ行きの列車に一人乗るシルベリオだが、終点でも気が付かない。実は脳梗塞で意識がなかった。場面が変わり。賞の受賞会場で、カミラが亡くなった父の代わりにスピーチを読み上げる場面からベッドで横たわるシルベリオ、周りに家族が集まっている。ドアからシルベリオが入ってくる。部屋を出て砂漠を歩くシルベリオ。冒頭のシーンになり、俯瞰で捉えるカメラ、冒頭のシルエットは亡くなったシルベリオだったらしく、映画は終わっていく。

 

とにかく映像を楽しむ作品で、ベッドで宙に浮かぶ妻に姿や、口が動いていないのにセリフが聞こえる演出、妻とのSEXシーンで、冒頭でお腹に戻した赤ん坊が顔を出すなどのコミカルなシーンなどなど、さまざまな場面がとっても楽しい。ネットフリックス配信作品ですが、スクリーンで見てこそ値打ちのある一本だったと思います。

 

ギレルモ・デル・トロピノッキオ」

ピノッキオのお話はこんなに良かったっけと思わせるほど感動してしまいました。ストップモーションアニメの面白さもさることながら、ストーリー展開のテンポが良いのか、最後までどんどん引き込まれて楽しめました。監督はギレルモ・デル・トロとストップアニメの巨匠マーク・グスタフソン。

 

ゼペット爺さんが、息子カルロのお墓のそばで嘆いている場面から時が少し遡り、カルロが元気な頃、ゼペット爺さんとの幸せな日々が描かれて映画は始まる。時は第一次大戦下でしょうか、空には爆撃機が飛んでいる。教会のキリストの像を作る仕事をしていたゼペット爺さんは、この日もカルロと教会へ来ていた。ところが空襲で飛行機が迫ってくる。ゼペット爺さんとカルロは一旦外に出たが、松ぼっくりを取りにカルロが教会に戻った時、たまたま捨てた爆弾が投下され教会を直撃しカルロは死んでしまう。

 

ゼペット爺さんは嘆き悲しみ、カルロが拾いにもどった松ぼっくりを墓のそばに埋めて、くる日も来る日も墓のそばで泣き崩れ、時が経つ。そばに植えた松も大きくなり、そこに一匹のコオロギのクリケットが住みつく。ところがゼペット爺さんは何を思ったか松の木を切り、狂ったように人形を掘り上げる。眠ってしまったゼペット爺さんのそばに横たわる人形のところに現れたのは木の精だった。木の精は、人形に命を与える。

 

翌朝、目が覚めたゼペット爺さんは、生きてるかのように動き回る人形に驚き、ピノッキオと名付ける。しかし、いたずらばかりするピノッキオは街の人々に疎まれる。そんな人形に目をつけたのは、ここにきていた興行師だった。彼は猿のシュプレツァトゥーラを使って、ピノッキオを誘い、言葉巧みにショーをやらせるが、ゼペット爺さんはピノッキオを救出する。

 

世話ばかり焼かせるピノッキオに辟易すると愚痴をこぼすゼペット爺さんを見て、ピノッキオは、爺さんを助けるべく家を出て、興行師の元に行き、正式に生きた人形として一緒に旅回りをするようになる。

 

いなくなったピノッキオを探してゼペット爺さんも旅に出る。ところが、海を渡る際に怪物魚に飲み込まれてしまう。一方、ピノッキオは興行師のもとであちこち回りながら仕事をしていたが、興行師は、ピノッキオの稼ぎを爺さんに送金しようともしていなかった。何かと叱り飛ばされる猿のシュプレツァトゥーラもそんな興行師に不満を持ち、ムッソリーニが客でやってきたショーで、ピノッキオと一緒に好き放題を演じ、興行師の怒りを買う。

 

ところが、興行師とピノッキオが言い争っている際、シュプレツァトゥーラも巻き込んで揉み合いになり崖下に落ちてしまう。なんとか木切れに捕まっていたピノッキオとシュプレツァトゥーラだが、怪物魚に飲み込まれてしまい、ようやくゼペット爺さんとピノッキオは再会する。

 

くしゃみのタイミングで脱出する方法に気がついたクリケットの知恵で、四人は怪物魚から飛び出し、追ってきた怪物魚も、飲みこんだ機雷が爆発して吹き飛んでしまう。黄泉の入り口に来たピノッキオは、海に沈んだ爺さんを助けるために、自分の永遠の命と引き換えに規則を破り即座に蘇って溺れる爺さんを助け、ピノッキオは命果てる。ピノッキオの教育をするようにと木の精に頼まれていたクリケットは、ピノッキオの指導はやり遂げたから一つだけ叶えてもらえる希望を、ピノッキオの蘇りに使いたいと言う。

 

こうして、ピノッキオ、ゼペット爺さん、クリケット、シュプレツァトゥーラらのその後の人生が描かれ、寿命のあるゼペット爺さん、クリケット、シュプレツァトゥーラらは順に死んでいき、最後に残ったピノッキオは、旅立って映画は終わる。

 

とってもいい作品に仕上がっていて、アニメのクオリティも素晴らしく、物語の展開も絶妙で、見事です。いい映画でした。