「そして光ありき」
一見、近代化に飲み込まれていく原住民部落の哀愁の物語の如く見えるのですが、風刺と毒を散りばめたユーモア満載の演出が至る所に見え隠れする相当ハイレベルな快作でした。原住民の言葉は都度字幕が出ず、時々サイレント映画のように説明字幕が挿入されるだけで、映像だけで物語を理解していく流れになります。どちらかというとファンタジーというジャンルでしょうか。あっと驚くような展開もあって面白いし、妙にシリアスなメッセージの押し付けもない淡々とした空気感も良い。ある意味傑作かもしれない逸品でした。監督はオタール・イオセリアーニ。
ジャングル奥地、巨大な大木が切り倒され、その大木がトラックで輸送される。街ではトラックの運転手が靴を磨いてもらい雑誌を買ってまた現場に戻る。朝日が昇る様子をハイスピードで捉えて舞台はディオラ族の村、セリフに字幕が全くつかず、時折説明の黒幕が挿入される。
夫のストゥラが飲んだくれて寝てばかりなので、妻のオコノロは離婚を決め、イェレと結婚することになる。丸木を叩いて会話を交わしたりする。水飲み場のそばに首が転がっていて、その首を拾い上げ、傍の胴体の上に乗せるとその胴体が息を吹き返す。あっという場面から、ワニに乗って女性が川を下っていたり、男たちが川で洗濯をしていたりと、原住民の寓話的なお話だとわかる。
雨が降らないからと、地蔵のような人形に祈祷師バディニャが捧げ物をすると突然雨が降り出す。そして、ええ加減降ったら、止ませてくださいというとすぐに晴れる。女同士の嫉妬の喧嘩があったり、女性の取り合いがあったり、妊娠したら父親を決められるとか、女性の力が圧倒的の強い部族みたいである。
オコノロとイェレの夫婦生活は上手くいかず、オコノロは子供を連れて村を出ていく。イェレはオコノロを探すためにロバを引いて旅立つ。村には森林伐採のトラックやトラクターが頻繁に来るようになり、奥地を切り終えた業者は村の木を切り倒し始める。こんなところに住んでいられないと離れていく部族も現れる。
そんな頃、イェレは、街に向かっていた。途中、ズボンをもらい、シャツをもらい、帽子をもらい、キリスト教の教会を通り、パスポートのようなものを作ってもらい、ようやくイェレを見つける。そして二人で村に戻ることになる。村では次々と木々が倒され、村人は村を離れることにする。お祈りをする地蔵を持って出た祈祷師が永遠に呪われれば良いと罵声を浴びせて去る。まもなくして村は炎に包まれていく。それを遠くから白人が双眼鏡で見ている。
イェレとオコノロが戻ってみると村は焼け野原だった。村をさった人たちは街で暮らしている。美しい着物を着るようになり、炉端ではたくさんの地蔵像を並べて売っている。この場面で映画は終わる。ニヤリとするラストです。
ジャングルが開発され、原木が伐採され、原住民が追われていく様を描いているのですが、どこかコミカルに見える展開が、ある意味、相当に上手い。しかも、毒か風刺か、散りばめられる不思議な風習もかえって映画を奥深いものにしているから不思議です。原住民の言葉を翻訳せず、映像だけで語っていくスタイルはかなり異質ですが、なかなか面白い作品でした。