くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「それでも私は生きていく」「私、オルガ・ヘプナロヴァー」

「それでも私は生きていく」

こういう映画は好きですね。これという劇的な出来事が起こるわけでもないけれども、人生のひとときの機微を淡々と綴る物語は、どこかしんみりと胸に迫ってしまいます。こういう映画を作るのは才能がないとできません。いい映画でした。監督はミア・ハンセン=ラブ。

 

心地よい音楽を背景に、通りを主人公サンドラがこちらに歩いてくるところから映画は始まる。シングルマザーの彼女は通訳の仕事をしながら、視力がなく次第に記憶力も薄れていく父ゲオルグの看病をし、娘リンと暮らしている。ゲオルグの元妻は二十年前に離婚している。ゲオルグは元哲学の教師だった。ゲオルグには恋人レイラもいた。そんな時、サンドラは旧友のクレマンと出会い恋に落ちる。クレマンには妻子がいたが、サンドラとの恋が燃え上がり、ことあるごとに体を合わせる。

 

オルグの症状は次第に悪化していき、サンドラの介護だけではこなせないほどになってくるにつけ、妻フランソワーズら周囲の人たちの勧めの中施設に入ることになる。映画は、入所しては転院を繰り返さざるを得ないゲオルグの人生、衰えていく心、そんな父を見ながら、クレマンとの恋に燃え上がっていくサンドラの姿を淡々と描いていく。

 

オルグは、ある時は、最低の施設に回されるが、最後には理想に近い施設に入所が決まる。しかし、サンドラが見舞っても、ゲオルグは恋人レイラの名を呼ぶばかりで、サンドラは悲しくなってしまう。クレマンはサンドラとの恋を成就させるべく、妻と別れる決心をしたとサンドラに告げる。そしてしばらく時間を空いたのち、サンドラの元に戻ってきたクレマンはリンと三人でゲオルグの元を訪れ、そのまま公園に遊びに行き、パリの街並みを丘の上から見下ろすカットにブルーの文字が被り映画は終わる。

 

淡々と進む人生の瞬間瞬間、何気ない物語なのに、いつの間にか心に何か灯火が灯って来る。そんな心地よい感覚のいい映画でした。

 

「私、オルガ・ヘプナロヴァー」

ここまで直球で演出したのなら、もっとこちらに訴えかけてくる迫力ある何かが感じられてもいい物ですが、反抗的に捻くれた一人の精神異常の変態女の身勝手な行動を描いた映画にしか見えなかった。モノクロームの画面と、ひたすらタバコを吸っている主人公の描写は面白いのですが、周囲の人物の関係が今一つ掴めない上に、ストーリーの流れが読みづらい鬱陶しい作品だった。チェコスロバキア最後の女性死刑囚オルガ・ヘプナロヴァーのドラマです。監督はトマーシュ・バインレプ、ペトル・カズダ。

 

学校へ行く時間になったと起こされるベッドの中のオルガのショットから映画は幕を開ける。体調が悪いから休むと答えるが、直後トイレで吐く。精神安定剤を過剰に摂取したと医師に言われ、自殺未遂らしいが、そんな切羽詰まった姿にも見えない。家族の中でも孤立している風のオルガは病院へ入院し、そこで同様に入院している女性たちに暴行を加えられる。

 

オルガはレズビアンらしく、親しくなったイトカという少女と体を合わせる、しばらく親しくするが、結局、無口でタバコばかり吸い、服装もだらしないオルガは愛想を尽かされてしまう。イトカといる時は微かに笑顔も見せたオルガだが、再び不貞腐れた顔立ちに変わる。仕事でトラックの運転手をしているが、その技術を褒められ、新車を任される。しかし、オルガはそのトラックで歩道に乗り上げ、次々と人を跳ねて8人が死亡、12人が負傷する。

 

裁判でオルガは、自分を性的障害者だと呼び、犯行前には新聞社に虐待に対する社会への復讐だという声明文を送っていた。裁判でも、事件によって社会に対し復讐を果たしたオルガは反省の色を全く見せなかった。死刑が求刑され一年が過ぎる頃には、オルガは別人格が事件を起こしたかの供述などみみせる。そして、死刑執行の日、必死で抵抗するオルガだが、死刑執行され吊るされた彼女の姿で映画は終わる。

 

犯行声明を送るくだりの描写が弱いために、解説で判断する形になっていて、この部分をしっかり描けばもっと重厚な仕上がりになった気がします。凡作ではないけれど、今一歩という出来栄えの映画でした。