くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「フリークスアウト」「デスパレート・ラン」

「フリークスアウト」

もっとB級テイストのキワモノ映画かと思っていたら、一級品のクオリティの寓話だった。もう一工夫あれば傑作になっているレベルの映画で、ラストに向かってどんどん引き込まれていくし、クライマックスは切なさと虚しさを兼ね備えた見事な見せ場に仕上がっていました。前宣伝だけで判断すること無かれという典型的な一本でした。監督はガブリエーレ・マイネッティ。

 

第二次大戦下のイタリア、ユダヤ人のサーカス団団長イスラエルが大口上でこれからの見せ物を紹介する場面からカットが変わってサーカスの中へカメラが移る。光と電気を操る少女マティルデ、虫を操るチェンチオ、全身毛むくじゃらの怪力男フルヴィオ、鉄を引きつける磁石男マリオらが芸を披露し、観客を驚かせる。

 

彼らは特殊な能力のせいで普通の生活が送れず、ここで肩を寄せ合って暮らしていた。チェンチオはマティルデが好きだったが、触れると感電してしまうのでどうしようもなく、マティルデもそんな自分が嫌だった。そんな彼らにイスラエルアメリカに渡るという提案をする。そして偽造パスポートを作るために一人三百リラ払うように提案、マティルデら四人は金をイスラエルに預ける。イスラエルはそれを持ってローマに旅立つが、夜になっても戻って来なかった。

 

持ち逃げされたと判断した団員たちは、迫ってくるナチスの戦火から逃れるため、この地を離れることにする。マティルデはイスラエルを信じて一人イスラエルを探しに行くが他の三人は派手なパフォーマンスで人気のベルリンサーカスに居場所を求めてローマへ旅立つ。ベルリンサーカスでは、六本指のピアニストで団長のフランツが、特殊な人間を集めた軍団を作り、ヒトラーに献上して認められようとしていたが、その行為は半ば狂っていて、次々と人体実験をしては失敗していた。

 

そんなこととは知らずフルヴィオらはベルリンサーカスにやってくるが、何やらガスを嗅がされて気を失い、気がつくとそれぞれ特異な装置の実験台になっていた。そんな頃、マティルデは、森の中で気を失っているところをパルチザンのメンバーに助けられる。彼らはそれぞれ様々な障害を持った体をしていて、手のない者、足のない者、片目のない者などさまざまなカタワ者たちの集まりで、ナチスへの反抗心だけで生きながらえているメンバーだった。

 

マティルデはイスラエルを探すべくこの集団に身を置く。たまたま通ったナチスの輸送トラックにイスラエルを見つけたマティルデは、躊躇なく駆け寄っていくが、ナチスに反撃を喰ってしまう。パルチザンのメンバーに助けられ、イスラエルとも声を交わしたものの、イスラエルらは他のユダヤ人と共にトラックで連れ去られていく。

 

マティルデは、フルヴィオらを探してベルリンサーカスにやってくる。そこでフランツに会い、マティルデの能力を見抜いたフランツはマティルデも拉致する。フランツは未来を見ることができる能力があり、その力で、いずれヒトラーは自殺しナチスが負けることなどを予見していたが、四人の救世主が現れ、ドイツを助けると信じていた。その四人をマティルデらだと勘違いし、ベルリンサーカスにやってきた陸軍元帥に彼らの力を見せて自分を認めてもらおうとする。

 

サーカスのステージでマティルデに虎を差し向けて、マティルデの力を引き出そうとするが、心から接するマティルデの優しさに虎はその頭を下げてしまう。しかも小便をフランツにかけてフランツは大恥をかく。狂気に変わったフランツは彼を責めるフランツの兄を殺し、上官の服装を着て、陸軍元帥に付き添ってきたナチスの軍人を率いてマティルデらを追う。

 

混乱の中脱出したマティルデらは、イスラエルが列車に乗せられてドイツで殺されるというのを知り、その列車を襲ってイスラエルを助けようと考える。そこに、フランツらが到着、一斉に列車に襲いかかる。そこへパルチザンのメンバーがやってきて、ナチスとの銃撃戦が始まる。

 

その中、イスラエルはマティルデを撃とうとしたナチスの銃弾を受けて倒れる。ナチスは装甲車なども繰り出して大量の火器でパルチザンを圧倒していく。次々と死んでいくパルチザンのメンバー、そしてイスラエルもマティルデの腕に中で息絶えてしまうに及んで、マティルデの力が爆発する。そしてその炎はみるみるナチスを包んで行き、灰にしてしまう。

 

全てを焼き尽くしたマティルデにはもはや力は残っていず、フランツは敗北を知って自ら自殺する。マティルデに好意のあったチェンチオはようやくマティルデを抱きしめることができ、他のメンバーも駆け寄って抱き合う。そして四人は何処ともなく去っていって映画は終わる。

 

ナチス映画のようでもあるが、どちらかというと宗教的な寓話の雰囲気が漂う映画で、一つ一つのシーンやエピソードも丁寧に描かれている上に、終盤のクライマックスもしっかりと見せ場として仕上げられています。マティルデが過去に母を殺してしまったという苦悩を抱えて生きている設定など登場人物らの背景もそれなりに練られているのが良い。思いつかないけれど、もうひと工夫何かがあれば傑作になったかもしれないクオリテイに作品でした。イタリアの映画賞ダビッド・デイ・ドナテッロ賞で16部門ノミネートされたのもうなづける映画でした。

 

「デスパレート・ラン」

要するに銃規制を訴える映画で、作品としては薄っぺらい凡作だった。手持ちカメラで緊張感を生み出そうとしているが無意味に振り回しているだけなので目障りなだけだし、脚本が全く練られていないので、主人公が犯人と接触してからの緊張感ある見せ場が終盤のわずかだけになっている構成もまずい。エンドクレジット前に出るノアの訴えかけだけをやりたいというお手軽なメッセージ映画でした。監督はフィリップ・ノイス

 

高校生の息子との関係に悩む主人公のエイミーが娘を学校に送り出した場面から映画は始まる。息子のノアは学校へ行かないと部屋にこもっていて、仕方なく一人でジョギングに出る。湖畔の美しい景色の中、やたら電話が鳴ってくる状況で走り続けるエイミー。そんな彼女のそばをパトカーが次々と通り過ぎていく。

 

間も無くして緊急連絡で学校が閉鎖されたことを知る。次の瞬間、ネットニュースでノアが通っている高校に何者かが銃を持って立てこもっているというニュースを知る。ノアは学校へ行っていないはずだが、たまたま近所の人との電話で、ノアが乗っている白い車がないことを知る。知人などからの情報でノアが学校へ行ったらしいと知る。

 

知人や現場の刑事と電話でやりとりしながら、ノアの無事を確認したり、事件の状況を探るエイミー。ジョギングで遠くに来ていて家にも戻れず、父兄が待機している公民館にも行けない。タクシーを呼ぶが渋滞していてなかなか来ない。走りながら情報を収集し、犯人の目星をつけて連絡する。

 

やっとタクシーに乗るが、刑事から犯人との接触が絶たれ、原因がエイミーが犯人と電話で話したらしいとわかる。刑事の指示で犯人と電話で再接触し、そのタイミングで突入すると言われ、必死で犯人と電話するエイミー。そしてSWATが突入、現場についたエイミーが遅れて出てきたノアを抱きしめる。ノアとエイミーは心の交流を取り戻し、ノアは事件のその後を銃規制の大切さを訴える動画配信をしている姿で映画は終わる。

 

なんのことはない底予算のメッセージ映画だった。