くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「はざまに生きる、春」「aftersun/アフターサン」

「はざまに生きる、春」

小品ですが、めちゃくちゃに良かった。特にカメラワークが良い。オーソドックスに捉えているカメラが、春が屋内と意気投合し始めるきっかけで躍動感あふれる手持ちカメラに変わる。しかもこの瞬間だけ輝いたように映像が踊ります。なので、際立ってこちらも引き込まれていく。そして、アスペルガー症候群で淡々と言葉を投げて来る屋内と純粋に心をわからせようとする春の微妙なすれ違いも実にうまく処理されている。ラスト、一旦、締めくくっておきながら、屋内の気持ちを端的に幸せの辞典の定義で語るラストが見事。良い映画でした。監督は葛里華。

 

一人の女性春が呼び出されて行ってみるとアパートの壁にブルーの絵を書いている屋内と出会う。光を閉じ込める瞬間を描いているのだという。そして時が遡る。雑誌編集室で三年目を迎えた春は今日も編集長に叱られながら、仕事をこなしている。編集長から取材に付き添うように言われてついていったのは、アスペルガー症候群ながら独特の絵を描く屋内透という画家だった。彼はブルーの絵しか描かない青年だった。完全に発達障害ではないグレーな存在、はざま、という障害者だと先輩に教えられる。

 

最初は鞄持ちでついていったが、屋内が歯に絹を着せないストレートな物言いで目の前のことに夢中になる姿に、人の顔色ばかり見てきた自分の心があらわれる思いがする。後日、屋内から春に電話が入る。月が綺麗だから見ろというが春の家からはぼやけて見えない。そこで屋内は自分の家に来いという。春が屋内の家に行き、望遠鏡で月を見せてもらうが、屋内と話をしていると、彼の純粋でストレートな物言いの心地よさにどんどん引き込まれていく。この場面が瞬間手持ちカメラになって映像が踊り始め、まるで春の心を映しているようである。

 

それから春は、屋内にたびたび呼び出され、春には桜が咲くから春を待っていると言われて、また桜を見にこいと言われる。さらにさくらんぼもできるからぜひ来て欲しいと言われる。編集室では春の企画が通り、屋内透の特集が組まれることになる。春は屋内と水族館に行き、人物を描いたことがないという屋内とお互いの写真を撮りあったりする。水族館に入る際、はざまのことを春が言うと、自分は普通の障害者だからと障害者手帳で入場する。次第に屋内に惹かれていく自分に気がつき始める春だが、彼女には同棲している雑誌記者の恋人がいた。彼は、春を愛していて何かにつけベタベタして来るが、いつのまにかそんな彼の態度をそっけなくいなすようになっていた。

 

やがて特集の記事が完成に近づき、以前から屋内が今回の特集のために描くと言っていた絵が届くが、てっきり自分が描かれていると思ったが、ブルーの海の絵だった。しかしそれは屋内と春が水族館の帰り二人で見た海だった。しかし春にはショックだった。そんな春に会社の先輩は、決して屋内を好きになってはいけないと念を押す。

 

それは彼がアスペルガー症候群である事も理由の一つだった。しかし春は屋内に一緒にホラー映画を観ようと誘われていていそいそと彼の家に向かった。しかし、結局一晩過ごしただけで、春が臨んだ流れにならなかった。もどかしく思いながら、どう気持ちを伝えたら良いかわからないまま、屋内の家を後にする春だった。

 

特集が掲載された頃、屋内に彼女ができたという噂を聞く。それは、特集のために春が頼んだ新人のカメラマンのことらしかった。そのカメラマンは、屋内を撮影しにいった際に屋内と意気投合した姿を見ていたからである。春は彼女の写真展を見に行き、そこで、春が屋内とデートした時に作ったガラスの花瓶を見つける。好きな人に花を生けてプレゼントするのが素敵だとそのガラス工房の人が言っていたのを思い出す。

 

仕事も落ち着いた春に屋内から久しぶりに連絡がはいる。桜が咲いたから見にこいという。それは以前屋内と約束した桜だった。春は気乗りしないまま出掛けていく。そして、純粋に春に桜の説明をする屋内に、お互い幸せになろうと告げる。それは春の最後の言葉でもあった。

 

雑誌の打ち上げの夜、春は同僚らと集まっていた。そこへ、来ないだろうと思っていた屋内がかつての絵を持ってやって来る。それを春が見ると、ブルーの海に色鮮やかな様々が描かれていた。そしてよく見るとその片隅に春の姿もあった。今までブルーしか興味がなかったが、春のことを思うとなぜか他の色も描きたくなり、春さんが好きな色がわからないので、全ての色を描いてみたのだという。じっと屋内を見つめる春の前で屋内の携帯が鳴る。

 

屋内は春を連れて店を飛び出す。今夜は皆既月食、しかもスーパームーンなのだという。しかし都会の中で月はよく見えなかった。しかし春は葉桜を屋内に教える。屋内はその葉桜に奇跡的にできたさくらんぼをとって春に与える。ハルが言った、幸せになろうというのを辞書で調べたら、今のままずっとこのままでいたいと思う事と出ていたのだという。屋内は春を見つめ、春も屋内を見つめる。こうして映画は終わる。

 

とにかく、屋内と春の微妙なすれ違いが見事に描かれていてしかも障害者というものへの視点も決してありきたりなものにせず、冷静に捉えているのが抜群に良い。さらにカメラや小道具、セリフにこだわった演出もさりげなくて、映画を引き立てているし、それでいて、ぼんやりとしたピュアなラブストーリーの空気感に引き込まれてしまいます。本当に良い映画でした。

 

「aftersun/アフターサン」

短いカットの断片をつなぎ合わせて、一つの物語として構築する面白さ、思春期の主人公の少女と父との懐かしい思い出へのノスタルジー、息遣いだけを描いただけの映像の挿入、そんなさりげない場面が次々と展開し、大人になった主人公のカットを細かく繰り返しながらのドラマに、果たして見えない行間の何かがあるものかどうか、父のその後がどうなったのか全ては推測の中で映画は終わっていく。それでも何か心に切ない思い出だけが残る。父から娘に宛てた一言の手紙、一緒に撮ったポラロイド写真、淡い初恋の思い出を聴く姿、などなどがラストで一気に思い出されて来る映像に胸が熱くなります。どこか懐かしさを感じるとっても瑞々しい映画だった。監督はシャーロット・ウェルズ。

 

父カラムにビデオカメラを向ける娘ソフィ。自分は11歳で、父親はおそらく30歳だが間も無く31歳になるらしく、それを130歳、131歳とふざけている。時折、踊り狂う女性のカットが挿入され、おそらくソフィの20年後の姿、つまりこの時の父の年齢のソフィの姿である。

 

カラムとソフィはトルコに旅行に向かう。ホテルでチェックインするが、ツインの部屋のはずがダブルになっていてベッドが一つしかないと苦情を言うカラム。小さなベッドに父が寝て、娘のソフィは大きなベッドに寝かす。どうやらスコットランドから来たらしく、カラムは離婚しているのか時折ソフィの母に電話をするくだりがある。

 

父と娘は仲が良くて、一緒にレストランに行ったり、プールで泳いだり、同じ観光客の青年たちとビリヤードをしたりする。ソフィは同年代の少年マイケルと親しくなり、バイクゲームをしたりする。映画は二人のバカンスの様子を淡々と描くが、ベッドで眠るソフィの寝息やカラムの寝息をじっと捉えたりする。

 

夜、カラオケを歌うソフィ、部屋に帰ろうと言うカラムにソフィは残ると言い、カラムは一人帰る。マイケルに誘われ夜のプールでキスをする。部屋に戻ると鍵がなくてソフィはホテルのロビーで寝ているが、ボーイに鍵を開けてもらい中に入ると大人の女性が寝ていて、現代のソフィの姿、パートナーと目覚める彼女のカット、一人の男が夜の海に入っていくカットもあるが、これはカラムなのか。そして旅先なのか不明。

 

海上でソフィはカラムに、マイケルとキスしたことを話す。カラムはこれから大人になっていく中でなんでも話して欲しいとソフィにいう。ベッドで泣き崩れるカラムの後ろ姿、ソフィ宛に、「愛してる、パパより」という手紙が映る。やがてバカンスが終わり、母の元に帰るソフィを空港で見送るカラム、手にはビデオカメラがありソフィを追っている。ソフィが去った後、ビデオカメラを閉じたカラムがシンメトリーな廊下の奥に消えていって映画は終わる。

 

なんとも言えない切なさの残る作品で、ソフィはおそらくレズビアンで、パートナーと暮らしているらしく、トルコに父と旅行をした時の父の年齢になったソフィが思い出を回想しているだけかもしれず、その後父との物語が見えてこないことから、父は何かで亡くなったのか、物語は曖昧になってしまうのですが、とにかく父との思い出を切なく語る作品という映画だったと思います。映像の語り口がとっても良かった。