くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「やくざ囃子」「芸者小夏ひとり寝る夜の小夏」「君たちはどう生きるか」

「やくざ囃子

日本映画量産時代の一本で、映画のクオリティとかそんなものはどうでもよくて、見ているだけで。時代が遡って、不思議な世界に溶け込んでしまう至福のひと時というのを味わいました。監督はマキノ雅弘

 

船旅をする彌太郎と留八らは、船の中で眠る一人の娘篠と出会う。彼女は武家出身だったが片足が悪くびっこを引いているので嫁ぐこともできないまま兄の元にやって来た。港に着くと兄の治三郎が迎えるが、彌太郎はすっかり篠に惚れてしまい、篠もまた彌太郎に惹かれていた。しかし、篠はやくざものが嫌いだった。

 

治三郎は篠の手術の費用を稼ぐために滑川というヤクザの用心棒になっていた。篠と一緒になるべく彌太郎は何かにつけ篠のところにやってくる。このやりとりを、船の中で彌太郎が篠からとったかんざしのやり取りで延々と続く様は、相当にゆるゆるである。彌太郎は篠との思いをなんとか治三郎に伝えようとするが。やはりヤクザと武家という身分がありうまくいかない。

 

治三郎は金ができたので篠を医者に見せるべくしばらく滑川親分のところを離れるというが、それでは賭場を狙う別の親分に狙われるから困ると親分が言う。しかしその代わりしばらく彌太郎がいれば大丈夫だということになって、彌太郎にしばらく残ってくれるように治三郎は頼むのだが、後半、この展開はどうでもよくなっている。(笑)

 

やがて祭りの夜、彌太郎は篠と踊りにいく約束をする。面を被り、治三郎に気づかれまいとするが治三郎は妹篠の気持ちを重々わかっていて、この日、一人で対立するヤクザもののところに殴り込んでいく。そこへ彌太郎も駆けつけ、大立ち回りの後、翌朝、彌太郎は治三郎に篠と一緒になりたいから船で出ていくと告白、治三郎は彌太郎と一騎打ちをし、自ら手を切られ、彌太郎の片足も切ってびっこをにし、二人の仲を許してやって映画は終わる。

 

雑な脚本ですが、立ち回りの場面で突然歌が入ったり、全体がいかにも映画全盛期のなんでもありに満ち満ちていてとにかく楽しい。まるでひと時代タイムスリップしたかのような錯覚に陥る面白さに酔いしれてしまいました。面白かった。

 

「芸者小夏ひとり寝る夜の小夏」

たわいのない物語でしたが、人情味あふれるあったかい空気感と、一昔前の風景、そしてかつては当然だった男と女の関係になぜか癒されるいい映画でした。と言って決して映画のクオリティが高いというのではなく、丁寧に紡いでいくドラマの中に人間味が溢れているのはとっても良かったのです。監督は青柳信雄

 

先代の楠見社長に世話になっていた元芸者の夏子は、楠見が亡くなり心にぽっかり穴が空いたような日々を送っていた。社長の腹心の部下でもあった川島は夏子の住まいを訪ねてはあれこれ世話を焼くが、実は夏子に惚れていた。家庭を蔑ろにして夏子との逢瀬の機会を作る川島だが、二台目社長の佐久間が、夏子の世話をすると言い出す。

 

最初は拒んでいた夏子だが、かつて世話になった伊豆の茶屋の神岡に段取りをつけられて結局一夜を共にすることになる。その後は、夏子は佐久間に素直に惹かれるようになり、女中も雇い、毎日も落ち着いて来たが、ある時、伊豆にゴルフに誘われた際、何かにつけて自分の指示で夏子を動かそうとすることに夏子は耐えきれなくなりひとり東京に戻ってくる。

 

東京へ戻ってしばらくして、川島が慌てて駆け込んでくる。佐久間が横領か何かの罪に問われ、行方をくらましたというのである。心配で夜も眠れない夏子だが、ある雨の夜、佐久間がやって来る。夏子は佐久間の存在が自分には必要だと改めて感じ、お互い抱き合うが、翌朝、刑事が佐久間を逮捕にやってくる。夏子は佐久間を送り出し、また一人になって、富士山を眺める。川島は子供と釣りをしている場面で映画は終わる。

 

決して良くできた作品ではないし、女中のエピソードは必要なのかどうかと思われるほどに雑な脚本ですが、かつては当然だった二号さんという存在や、懐かしい昭和初期の風景などになぜか癒されてしまう作品でした。

 

君たちはどう生きるか

結局、どういう話を作りたかったのか、どういうメッセージを伝えたかったのか、どれもが、その場限りにしか見えない展開と、いかにもな映像表現を断片的に紡いでいく造形だけを二時間近く見せてくる作品という印象でした。シュールな作品だといえばそれまでですが、これまでの作品を繋ぎ合わせた感さえ見えてしまう。完全極秘にして、自分がやってみたいことを試したのでしょうか。煙に巻かれた感じだけの映画でした。監督は宮崎駿

 

空襲警報が鳴り響く東京の場面から映画は幕を開けます。主人公眞人の母がいる病院が火事だという声で、父たちが向かっていく。そして、戦争から三年後に母が亡くなり、四年目に東京を離れたという眞人のセリフから物語は始まる。

 

ある街にやって来た眞人とその父はお屋敷からの迎えの車に出迎えられる。乗っているのは新しい母親の夏子で、眞人の実母の妹らしい。巨大な邸宅にやって来た眞人は、不気味な青鷺に出迎えられる。父は軍需産業を経営しているらしい。新しい学校に行き、そこで喧嘩をするが、自分で頭に石を打ちつけて血だらけで帰ってくる。時折眞人の周りに青鷺が現れ、母のところに連れて行ってやるなどと言葉をしゃべる。

 

近くの沼で青鷺に見据えられ、蛙に襲われた眞人だが、夏子が放った矢で、青鷺が去ると、全てが元通りになる。夏子は妊娠していて、間も無く子供が生まれるらしい。眞人は青鷺を倒すべく弓矢を作り、青鷺の羽をつけた矢を持って青鷺を狙う。屋敷の敷地の外れに巨大な塔があり、眞人は青鷺に導かれその中を覗くが入り口が埋もれていて入れなかった。その塔はこの家の大叔父が本をたくさん読んだ末に行方不明になった塔だった。のちにわかるが、この塔は大叔父が作ったのではなく空から降って来たらしい。

 

ある時、夏子が森の中に消えていくのを見た眞人は、父たちと一緒に森に探しにいくがなかなか見つからない。眞人は使用人の婆さんのキリコを連れて森の茂みの奥に入っていく。そこで塔の中に入り、青鷺が眞人の母と夏子がいると導くままに地面の底に沈んでいく。眞人はそこで何やら書いてある門を開いてしまい、たくさんのペリカンに襲われるが、一人の若者=若き日の父に助けられる。

 

若者は、将来人間の赤ん坊になる妖精のようなものに餌をやって地上へ送り出すが、その妖精をペリカンが襲う。そこへ火を扱う若き日のキリコが登場し助ける。眞人はキリコと和解した青鷺と共に大叔父が住む異世界へ突入、夏子を探す。夏子は産屋で赤ん坊を産もうとしていたが、入ってはいけない部屋で、そこへ眞人が入ってしまい、インコ大王の怒りに触れ、インコ軍団が襲ってくる。しかし、青鷺やキリコに助けられ、眞人は大叔父の所にたどり着く。

 

大叔父は、この世界の突如を守るための積み木の番人をしていて、その後継者に眞人を選ぶ。しかし眞人は夏子を連れ帰ることが大切だと、夏子を助け、元の世界に戻る。そこでは父たちが出迎える。やがて戦争が終わり、眞人たちは東京へ戻ったという眞人の言葉で映画は終わる。

 

随所に、かつてのジブリ作品を思わせるシーンが散りばめられ、悪くいうとオリジナリティはない気もしますし、そもそもラストの意味がほとんど理解できないままでした。眞人が語る悪意についてや大叔父が語る世界の秩序、ラストで大叔父の申し出を断る眞人の言い分は現実世界で友達を作るということなど、様々なメッセージは確かに見え隠れしますが、しっかりと訴えて来ていない気がしなくもないです。と言っても、もう一回見ればわかるのかと言われれば。そもそも、その表現演出が不十分なのか脚本が弱いのか、結局ぼやける気もします。出来がいいのか悪いのかなんとも言えない映画だった。