くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男」「奇跡の海」(4K)

クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男」

鬼才クエンティン・タランティーノのドキュメンタリー。映像のテンポがとってもいいので、全編楽しくて仕方なかった。過去作品を見ているというのもあるけれど、インタビューを受ける俳優やスタッフが楽しそうに語る姿に引き込まれてしまいました。面白いドキュメンタリーでした。監督はタラ・ウッド。

 

タランティーノ監督のデビュー作から最新作までを章を分けて俳優やスタッフが語っていく。時に名シーンや名セリフを挿入しながら描く展開ですが、ここまで凝った映画作りをしていたのかと感心もするし、タランティーノの映画に対する愛が滲み出てくる語りに、本当に映画って面白いものだと感心してしまいます。

 

長年彼を支えて来たハーヴェイ・ワインスタインのセクハラスキャンダルにも踏み込んだ終盤のタランティーノ監督の戸惑いと決裂への流れも、丁寧に描かれているのがとっても良い。元来ドキュメンタリーは見ないけれど。これは本当に楽しめました。

 

奇跡の海

天才と気狂いは紙一重と思わせるような作品ですが、相当な傑作だった。究極の純粋なラブストーリーなのだが、どこか狂気じみている。その狂気が、この映画のものすごい力強さになっているのも事実。狂信的に神を信じ、愛する人のために自己犠牲も厭わない主人公の姿だが、それは単に心の奥底に眠る自分の欲望を満たそうとしているだけにも見えなくもない。その狭間の展開がラストのシュールなエンディングで一気に正当化される瞬間が見事。手放しで傑作と言えないかもしれないが、素晴らしい一本だった。監督はラース・フォン・トリアー

 

古い慣習のままに余所者を排除し、男尊女卑を徹底し、長老会議という組織で理不尽な運営をしている教会で、主人公ベスが結婚の許可を求めている。その教会には鐘がなかった。まもなくして、夫となるヤンが旅客ヘリでやってくるが、待ちきれずに、着陸地点にウェディングドレスで駆けつける。彼女の傍には、彼女の義姉のドドがいる。ドドはベスの兄サムの妻だが数年前にサムを亡くしていた。降りてきたヤンに縋り付くベスの姿は明らかに異常である。どうやらベスは精神的に偏執的な症状を持つ女らしい。

 

式が終わり、披露宴パーティで、化粧室でベスはヤンに体を捧げる。戸惑いながらベスを抱くヤンだが、ベスは処女だった。やがて二人の生活が始まるものの、まもなくしてヤンは油田切削の仕事でベスの元を離れざるを得なくなる。狂ったようにヤンに迫るベスだが、周囲の説得もあり、渋々ヤンを送り出す。しかし、飛び立とうとする旅客ヘリに縋り付くベスの姿はどう見てもおかしい。

 

ベスは時々教会で、神に語りかけ、神の言葉を自分で代弁して会話をしていた。ベスは神に、どんな形でも良いからヤンが戻ってくるようにと祈る。そんな頃、切削作業中の事故でヤンは重傷を負って戻ってきることになる。全身麻痺し、回復の見込みもないヤンの姿にベスは自分が寄り添うから生かせて欲しいと医師に懇願する。しばらくして意識がはっきりしてきたヤンは、不能になりベスに何もしてやれない自分が耐えられず、愛人を作るようにベスに言う。ベスは悲しむが、神との会話の中で、ヤンの願いを叶えることがヤンを救う方法だとお告げを受ける。

 

ベスは、精神科の主治医のリチャードソン医師に体を与えようとするが拒否され、バスの後部席で見知らぬ男性の性器を刺激してやる行動に出る。それが功を奏したか、危篤になったヤンは一時的に回復する。ベスはそれから、娼婦のように男に抱かれるようになるが、ベスにとっては苦しい行動だった。そんなベスをリチャードソン医師もドドも危惧し始める。

 

ヤンの容態は一進一退だったが、ベスは自分の行動こそがヤンを生かす唯一の方法だと次第にエスカレートしていき村でも噂になっていく。ベスは沖に停泊している船に連れて行ってもらうが、最後の最後で逃げ出してしまう。その船は普通の娼婦も避けるほどの所だった。しかし、ヤンの容態はさらに悪くなり、さらに教会からベスは追放されてしまう。

 

狂ったようにヤンに尽くそうとするベスは意を決して再度沖の船に行き、リンチされて戻ってくる。病院に担ぎ込まれたベスは間も無く死んでしまう。その報告を教会にするリチャードソン医師の傍には、ドドと奇跡的に歩けるまでに回復したヤンがいた。葬儀の日、教会は、追放者扱いながらもベスの葬儀は許可する。ヤンと仕事仲間は密かにベスの遺体を盗み、棺の砂を入れて重しにする。そんなこととも知らない教会の長老たちは、地獄へ行くと言いながら葬儀を執り行うが、ドドは、誰にも彼女を地獄に行かせる権利はないと叫ぶ。そして棺から漏れる砂を発見する。

 

その頃、ベスの遺体を持ったヤンと仕事仲間は遺体を油田切削基地に運び、ベスの体を海に流してやる。ところが翌朝、ヤンの仲間がヤンを起こしにくる。ヤンが慌てて海上に出ると鐘の音が鳴り響いていた。カメラは雲の上で鳴り響く鐘を写し、それを仰ぐヤンたちを捉えて映画は終わる。

 

あまりにも純粋な愛を貫いたベスの姿こそが、人々が忘れ去った本当の信仰の気持ちだったのだろう。その描かんとするものはわかりましたが、やはりどこか狂気じみて見える映画でした。