「グランツーリスモ」
レースシーンを徹底的に描いたシンプルな物語がとにかく面白い。実写だけではないのだろうが、迫真のレースシーンが次々と登場し、さらに終盤に向けての盛り上がりとドラマティックな展開もちゃんと描かれている。実話というリアリティも相まって一級品の娯楽映画に仕上がっていました。面白かった。監督はニール・ブロムカンプ。
グランツーリスモというレースシミュレーションを作った山内一典の偉業をかいつまんで紹介して、そのまま本編へ。グランツーリスモのゲームに夢中の主人公ヤンは、父がサッカーに誘うものってこず、サッカー好きの弟は父に気に入られている日々だった。現実的な仕事をするように進める父スティーブもかつてはレーサーであった。そんな時、英国日産のダニーはグランツーリスモのゲームの勝者を実際にレーサーとして育てるという企画を立ち上げる。
ダニーはチーフエンジニアとして盟友で豊富なレーサー経験もあるジャックを採用する。そんな企画を知ったヤンは友人の勧めもあり参戦し、見事ダニーが立ち上げたGTアカデミー参加の資格を得る。ヤンは世界中から集められたゲーマーたちの中で実際のレースのトレーニングを受け、見事最終優勝し実際のレースデビューの資格を得る。そして、プロライセンス取得のためにレースの出場するが、なかなか好成績にならない。しかし、最後のレースで見事入賞しライセンスを得て日産との契約となる。
プロレーサーとなったヤンは次々とレースに出場するが、ドイツで行われたレースで、風に煽られ客席まで飛び込む大事故を起こしてしまう。観客も死傷し、落ち込んだヤンを励ましたのは、かつてル・マンのレースで身近にライバルが死ぬところを見てレーサーを諦めたジャックだった。ヤンはジャックに励まされ立ち直るが、チーム日産は事故の影響で解散の危機に陥っていた。唯一、ル・マンのレースで入賞できればチーム解散は免れるとなったダニーたちは、ヤンを中心に、GTアカデミーにきた二人のゲーマーを加え、ル・マンレースに参戦する。そして接戦の末、三位入賞を果たす。こうして映画は終わります。
ストーリーだけ書くと実にシンプルですが、実写とCG、さらにドローンカメラなどを多用した今時の映像が抜群の効果を生んでいて、次々と間断なく描かれるレースシーンが迫力満点、空中に舞い上がるクラッシュシーンをクライマックスへの転換点にした構成も見事で、ラストシーンまで面倒な人間ドラマや葛藤を最小限に絞った脚本が良かった。面白い娯楽映画の典型的な一本でした。
「ミステリーと言う勿れ」
面白おかしく頭で作った薄っぺらいミステリーで、推理ドラマの面白さもなく登場人物が生身の人間に見えないほどドライな存在になっている。それよりも脚本が悪いのか、ストーリーの展開がダラダラと間延びしているし、脇役が生きていないし、テレビサイズのものを無理やり映画サイズに引き延ばしたような印象を受けました。主人公のカリスマ的な面白さも、いつもの言葉遊びの楽しさもなく、非常な凡作だった。監督は松山博昭。
一台の車が崖から落ちて炎上、場面が変わり、主人公久能整が広島の美術館から出て来るところから映画は始まる。突然話しかけて来た狩集汐路という少女に無理やり連れて行かれた所は、狩集家の当主の遺言書開示の場だった。そこでは、息子、娘が八年前の交通事故で全員死亡し、残された孫、理紀之助、新音、汐路、ゆららが、四つの謎の蔵の鍵を受け継いで、元の場所に戻すべしという謎の言葉を授かる。その謎を解いたら遺産が手に入るという出だしだが、いきなり、その蔵には大したものはなく、謎解きの面白さは半減。
さらに、汐路達は、狩集家の先祖が実は本当の狩集家の人間を殺してこの家を乗っ取った鬼の話を捩った舞台劇の存在を知る。そしてどうやら天パの血筋の人間が過去に殺されているらしいという真相も見えてくる。冒頭の、殺されかかる孫たちのそれぞれの出来事が汐路の自作自演であったり、狩集家の顧問弁護士車坂の孫朝晴はいかにも正義感で登場したりと、登場人物がどんどん勢揃いするのだが、芝居がかった汐路の演技と、冴えない久能整の存在感が全く引き立ってこない上に、他の主要人物の個性も面白みなく描かれているので、ひたすらダラダラする。
八年前の事故で運転していたのは汐路の父弥だったが、彼は、狩集家を乗っ取った鬼が唯一逃した本当の血族の娘の復讐に怯えていて、その逃げた少女の子孫の行方を突き止めたらしいことがわかる。そしてそこへ向かう途中、事故を起こしたことも判明する。その全てが、弥が隠しているUSBメモリーにあることがわかり、その隠し場所を明かして罠を仕掛ける。そこへ現れたのは朝晴だった。狩集家の顧問弁護士車坂家と顧問税理士に真壁家は、過去の惨殺事件を隠蔽するべく殺戮を繰り返していたらしく、その使命感に燃えた朝晴が弥らを殺したことが判明、警察に逮捕される。もう辻褄合わせも甚だしい。
汐路らと整は弥が突き止めた少女の子孫の女性を訪ねていき、そこで、蔵で見つけた人形の残りを発見、弥達が生前子供達にプレゼントするはずだったアクセサリーを引き渡され、整は東京への帰路について映画は終わる。
脇役の存在も使い捨てていくので映画が膨らんでこないし、当初のとっかかりからの推理ドラマが盛り上がってこないままにあっさり真相が次々と明らかになる脚本が実に弱い。それを補う演出力もなく、結局テレビサイズの焼き直しで仕上がった感じの映画でした。原作はもっとしっかり書かれているのでしょうが、本当に残念な作品でした。