くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「麻希のいる世界」「ファイヤーボール」(デヴィッド・クローネンバーグ監督版)

「麻希のいる世界」

それほど期待していなかったのですが、とってもいい映画でした。映画としての出来栄えもしっかりしてるのですが、演じている役者さんもレベルが高い。普通の青春ムービーのようでいて、辛辣なところはちゃんと描かれている上に、物語が深い。終盤からラストの流れも秀逸で、さりげなく感動させるエンディングも良かった。監督は塩田明彦

 

浜辺を一人の女子高生由希が歩いている。背後の小屋から男が出てくる。続いて女子高生麻希が出てくる。校庭で由希は麻希に近づいていく。麻希の歌の才能を知っている由希は麻希をなんとか表舞台に出してやりたいと考えている。麻希がバイトしているボーリング場へ一緒にバイトに行き親しくなろうとする。そんな由希に由希の主治医の息子祐介が、麻希には良くない噂があるから近づくなという。由希は重い持病を患っていて、ストレスがかかると気を失ってしまい、最悪死に至ることもある体だった。主治医の伊波は由希の母と交際をしていた。

 

由希は麻希を無理矢理誘い、軽音楽部へ入ろうとするが、裕介は認めない。そんな祐介に、バンド演奏でバトルをしようと由希は持ちかけるが、バトル当日麻希は現れなかった。それなら自分達だけでと考えた由希は祐介を誘う。麻希はかつて祐介と付き合っていたことを告白する。しかし祐介の心は由希にあった。曲が完成するが、一人祐介の部屋で練習しようとアンプに接続した麻希は突然倒れてしまう。由希の心が自分に向かないので、麻希を遠ざけようと祐介がアンプに細工をしていたのだ。祐介は警察に逮捕され、父の伊波も病院を辞めることになる。

 

由希は麻希の病院へ駆けつけるが、正気を無くして伊波に突っかかりその場に倒れてしまう。一命を取り留めた麻希だが、記憶を全て無くし、新たな記憶で人生をやり直すために転院していく。病院で目覚めた由希は言葉を発することができなくなっていた。由希は、かつて伊波も麻希が関係があったのだろうと責め、麻希の行き先を無理矢理聞く。

 

由希は麻希が住んでいるという新しい住所に行き、麻希を待つ。やがて麻希が自転車で通る。そして、由希を見て、多分友達だろうと話しかける。麻希は今はカオルという名だという。由希はかつて麻希が歌った曲を聴かせてやる。麻希は由希からそのデータをもらうが、これから予定があるからと由希に別れを告げて走り去る。その様子をじっと見つめる由希の目に涙が浮かぶ。直後、由希はその場に倒れる。涙が頬をつたい映画は終わる。おそらく死んだのだろうと思われるラストである。

 

由希の麻希への危うい恋愛感情をほのめかせながら、裕介の狂気的な由希への想い、伊波と由希の母の物語が実に巧みに組み合わされて、非常に層の厚いドラマになっている。画面作りや演出にも細かい工夫が見られ、役者それぞれの存在感も際立っている仕上がりが見事。いい映画に出会った感じです。

 

「ファイヤーボール」

わかりやすい勧善懲悪のB級映画という感じの一本で、監督がデヴィッド・クローネンバーグと知らなければ普通の映画です。

 

ファニーカーを輸送するトレーラーが道をゆく場面にテンポ良い音楽が流れ、ファニーカーのドラッグレースで、ベテランのスターレーサーロニーに憧れるビリーが試合で負ける場面から映画は始まる。大企業をバックに持つフィルは、スターレーサーのロニーを使ってマスコミ受けする取材ばかり行って、レースにはほとんど興味がなかった。

 

フィルは、自分の好みで、新人のビリーが乗る車をロニーと交代させ、マスコミ宣伝に使う。さらに、フィルに反抗的な態度をとったロニーを首にして、ギャルを後釜にし、汚い手段でギャルの車に勝たせ、さらにビリーが満身の思いで調整したマシンも取り上げる。ビリー、ロニーらはクビになったが、フィルに仕返しをするために取り上げられたマシンを盗み出し、フィルの会社のレーシング大会に出場する。

 

決勝大会まで進んだロニーたちだが、最後の決戦ではロニーはビリーにドライバーの席を譲る。そしていよいよ決勝戦、フィルたちは汚い手段でギャルに勝たせようと画策し、レース場にオイルを巻いて妨害しようとする。それを知ったギャルはスタート直後ビリーの車をコースから追い出し、自らオイルの撒かれた道路に突っ込んで大爆発する。さらに、飛行機で逃げようとするフィルにロニーはマシンで突っ込んで、墜落させる。ロニーたちは自分達の力でチームを作るべく旅立って行って映画は終わる。

 

ドラッグレースという独特の競技を舞台にしたわかりやすいドラマで、なんのこともないけれど、何も考えず見れるという普通の映画でした。