くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」「ゴジラ−1.0」

「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」

可もなく不可も無く、たんたん飄々と展開する作品で、これと言って秀でたものもないが、そうかといって貶すところもない映画でした。脇役の立ち位置が見えないので、映画自体は平凡そのもので癒される一本という感じでした。監督は穐山茉由(アキヤママユ)。

 

元アイドルで、将来を考えてフリーライターになった安希子だが、今ひとつ目標がはっきりしない日々だった。そんなある日、駅の階段を上りかけて突然ヒールを溝にはめて転倒してしまう。実際は突然足が動かなくなったのだが、医師の前で機関銃のように喋る姿に医師はしばらく治療しましょうと提案、それから会社を休むことになるが、そのまま家を出れない状態になってしまう。

 

バイトをしながらつなぐ日々の彼女に、友人からルームシェアする人を探しているという連絡が入る。しかも、その家に住むのは56歳のサラリーマンだった。貯金も10万円しか残っていない中、背に腹は変えられずこの提案に乗ってササポンなるおっさんと同居することになる。

 

映画は、ササポンと過ごしながら友達と飲み歩いたり、フリーライターの仕事に希望を見つけるべく奮闘する姿、密かに惹かれる男性にフィアンセがいて振られたり、友達が結婚したり等々を描いていく。主人公以外の登場人物の背景はほとんど描かれていないので、ある意味平坦なドラマに終始するが、逆に癒やされる面もある。

 

片手間に書いたおっさんとの日々を綴ったものがネットで話題になり一気に表舞台に若干戻り、ササポンの家を出ることになって映画は終わる。

 

ササポンが語るさりげない一言に物語の蘊蓄を見せたいところだが、残念ながら引き立っていない。「別れの曲」を練習するササポンのピアノが、安希子が引っ越しの日、上手になったくだりは映画的でしたが、他はそれほど取り上げる場面もなかった。作りよう、演じようによっては楽しい映画になるはずが、緩急、キレのない演出がプラスだったかマイナスだったか、そんな普通の映画でした。

 

ゴジラ−1.0」

期待以上に面白かった。時代背景を元にしたリアリティへのこだわりとこのシリーズらしい荒唐無稽なフィクションを巧みに組み合わせたストーリー展開も上手いし、一昔前のような物語仕立てもノスタルジックで良い。VFXは流石に迫力あるし、やはり本家日本が作ったゴジラは純粋にドラマを持っているからいい。神木隆之介の熱演、朝ドラで演技に幅がついた浜辺美波も良くて、映画が大人向きに仕上がっていました。ラストも観客の気持ちを汲んで涙ぐんでしまいました。監督は山崎貴

 

1945年大戸島、敷島が乗った特攻機が不時着するところから映画は幕を開ける。機体不良で着陸したが、整備主任の橘には不良箇所は見つからない。そんな夜、深海魚が大量に浜に流れ着いたのを敷島は見つける。まもなくして恐竜のような巨大生物が基地を襲う。島民はこの生物をゴジラと呼んで恐れていた。橘は敷島に不時着した零戦の機銃で攻撃するように言うが敷島は発射ボタンが押せず逃げ出してしまう。直後、巨大生物に整備士は殺されてしまう。唯一敷島と橘は生き残るが橘はその事で敷島を責める。

 

終戦となり、敷島は東京へ帰ってくるが両親は空襲で亡くなっていた。戦後のゴタゴタの中、敷島は孤児を抱いた典子と出会う。典子は強引に敷島の家に赤ん坊と一緒に転がり込み一緒に暮らすようになる。年が過ぎ、敷島は生活のために機雷除去の仕事につくことのなり、そこで船乗りの秋津らと知り合う。アメリカはビキニ環礁での水爆実験などを行い米ソの対立は深まっていく。

 

ある時、敷島は海上で大量の深海魚を発見、さらにアメリカ海軍が巨大生物に襲われる事件が起こる。敷島は大戸島で遭遇したゴジラが現れたと確信する。しかも、以前よりはるかに巨大になっていた。しかし米軍はソ連との関係悪化を懸念し表立って軍事行動をとることはなく、ゴジラ対策は日本国一国に丸投げされてしまう。秋津らは、ゴジラの日本上陸を阻止するべく、払い下げられた巡洋艦到着までの時間稼ぎに駆り出されるが、現れたゴジラに太刀打ちできず、駆けつけた巡洋艦も一瞬で破壊されてしまう。

 

さらにゴジラは東京へ上陸してくる。銀座に仕事に出ていた典子は敷島が夢でうなされていたゴジラを目の当たりにする。必死で逃げる典子を敷島がやっと見つけるが、直後ゴジラが放った熱線で大爆発が起こりその爆風で典子は吹き飛ばされ亡くなってしまう。海上へ去ったゴジラに対し、日本はゴジラ対策チームを民間で発足させて対抗しようとする。言い出したのは秋津の知り合いの野田教授だった。

 

ゴジラ退治作戦は、まず相模湾の深海1500メートルにゴジラを沈めて水圧で殺してしまうと言うものだった。さらに、それがうまくいかない場合。再度急激に浮上させて気圧の変化で殺傷する作戦も同時に準備する。かつての海軍経験者が集められ、ゴジラ相模湾に誘導するために敷島が戦闘機に乗ることになるが、GHQに戦闘機は全て使用不能にされていた。そんな時、野田は終戦間近に日本軍が密かに開発していた後部にプロペラがある震電が残されているのを発見、その整備のために敷島は橘を探し出し整備を依頼する。敷島は橘に、震電に大量の爆薬をセットして、ゴジラの口に突っ込みたいと極秘に依頼していた。

 

やがてゴジラが再上陸のために迫って来る。上陸したゴジラを敷島の震電で巧みに相模湾に誘導、四隻の船がゴジラを沈めるべく取り囲む。そして作戦は決行されゴジラは1500メートルに沈むが破壊できなかった。野田は第二案の浮上作戦を指示、ゴジラを巨大な浮上船で浮かび上がらせようとするが、あと少しでゴジラが抵抗、そこへ、地元漁船が応援に来て海軍の船をサポートして力づくでゴジラを引き上げる。海上に出たゴジラだが、備わっていた再生能力で必死に抵抗、そこへ震電が現れゴジラの口に突入する。そしてゴジラは大爆発、さらに震電には脱出装置が組まれていて敷島は無事脱出した。

 

港に戻った敷島に、世話していた孤児を預かっていた近所の燈子が一通の電報を届ける。なんと典子は生きていた。敷島は孤児を連れて病院へ駆けつけ、包帯で覆われながらも笑顔を見せる典子と再会する。こうして物語は終わる。エンドクレジットの後、海に沈んだゴジラの肉片が再生していく様子を写してエンディング。

 

終戦時に存在した震電を巧みに利用し、一見荒唐無稽ながらもゴジラ退治をする作戦を組み立て、さらにリアリティを出すために、なぜ米軍が援助してこないかをやや強引ながら取り入れた練った脚本が上手い。戦後混乱期の街の様子=おそらくCGだろうが、も映像の中にマッチングしてるし、ゴジラの熱線がキノコ雲になり、さらに敷島に黒い雨が降るくだりも恐ろしさを増幅させてくれます。しかも伊福部昭の音楽も使ってノスタルジックに締めくくる。まさにゴジラを知る人が作ったゴジラ映画という感じの一本でした。面白かった。