くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「エターナル・ドーター」「ショーイング・アップ」「ゴッズ・クリーチャー」

「エターナル・ドーター」

非常にクオリティの高い作品ですが、地味で暗い展開なので一般公開が見送られたのでしょう。A24作品です。ティルダ・スウィントンが母と娘の二役をこなした会話劇で、夜の物語が大半を占めて終盤に明るいライティングに変わる絵作りが見事な一本。しかも、切々と語る娘の母への想いがいつの間にか胸に迫ってきます。ティルダ・スウィントンの演技力の賜物プラス演出力の力強さがなせる一本でした。監督はジョアンナ・ホッグ。

 

霧が煙る森を走る一台の車、中には映画監督のジュリーとその母ロザリンド、そして母の飼い犬ルイが乗っている。運転手が、これから行くホテルでのホラーじみた話を語ったりして、車はホテルの玄関に着く。受付で予約を確認するが、予約したはずの二階の部屋ではない一階だと言われる。それでも強引の二階の部屋に泊まるジュリー達。どうやら二階の部屋は二人の思い出の場所らしい。受付の若い女性は夜になると、大きな音楽を鳴らしてやってくる彼氏?か誰かの車で帰ってしまう。

 

ジュリーは、母をベッドに寝かせ、時々スマホのボイスメモを開いて母の声を録音する。ジュリーは母の話を映画にしようとしていて、別の部屋で執筆を進めているが、なかなか前に進まない。携帯の電波もままならない中で、スタッフとのやりとりも疎遠になる。ロザリンドとレストランで食事をしている時、ロザリンドは、この部屋はかつて居間で、ピーターとの悲しい思い出があると話す。ある夜、飼い犬のルイがいなくなり、ジュリーが探しに行って、ホテルの使用人の黒人ビルと出会う。

 

やがて、ロザリンドの誕生日の日、ジュリーはプレゼントを準備してレストランでお祝いをしようとするがロザリンドは食事はいらないと言う。ケーキを用意していたので、ジュリーがテーブルに持ってきて蝋燭を消す。ところがジュリーの向かいには母の姿は無かった。どうやら、ジュリーは母との思い出のホテルに来たらしく、一人部屋で泣き崩れる。夜、夢の中で母を看取った日を思い出す。翌朝、ビルや受付の女性に見送られてホテルを旅立つジュリーの姿で映画は終わる。

 

母の存在が現実になった時点で画面の明かりは心なしか明るくなる。それまでの暗い映像からジュリーが気持ちが吹っ切れて前に進めたと言う描写だろうかと思います。ホテル内に舞台を限定した映画ですが、主人公の心象風景が次第に見えてくるなかなかの一本でした。

 

「ショーイング・アップ」

劇的な物語が展開するわけでもないが、一羽の鳩を使った淡々としたドラマ作りが見事な一本で、何気無いストーリーなのに、さまざまな人たちの人間模様が見え隠れし、主人公の心の葛藤からその先の希望が見える展開がとっても秀逸な映画でした。監督はケリー・ライカート。

 

様々なポーズのスケッチが壁に貼られているシーンからタイトル、美術学校で教鞭をとり自身も陶芸家のリジーは、個展を控えて日々忙しく作品作りをしている。彼女の住むアパートは隣家に住むジョーという同じくアーティストの女性が所有しているが、リジーは自宅の部屋のお湯が出なくて困っているがなかなか直してくれない。

 

ある夜、リジーの飼い猫が鳥を捕まえて台所で殺しているのを発見し、その死骸を窓から捨てるが、翌朝、ジョーが庭で一羽の怪我をした鳩を拾って、手当てしてやるからとリジーに手伝わせる。ジョーは外出の予定があるので一日だけ鳩を預かって欲しいと強引にリジーに預ける。忙しい中、飼い猫に注意しながら鳩の世話をするが、呼吸がおかしいように感じて獣医のところに連れて行く。そこで、湯たんぽを当てて欲しいだの、敷いた紙は頻繁に変えて欲しいだのと言われる。仕方なくリジーは世話をする。夕方ジョーが引き取りに来るが、世話をした旨を説明して引き渡すが、ジョーは軽くいなしてしまう。

 

ジーにはショーンというちょっと精神的に不安定な兄弟がいる。ショーンの家に行くとショーンは家の裏庭を掘っていた。ショーンがおかしいと思ったリジーは母に連絡をする。リジーの作品は完成して、最後の一体を残して焼いてもらう。完成品は期待通りの出来栄えだったが、最後の一体、自信作は火の具合で半分焦げてしまう。

 

ジーの部屋のお湯の件はジョーがのらりくらりとサボっていてリジーは次第にイラつき始め辛辣なメールを送ってしまう。やがて個展の日、母はショーンを連れに行くが不在でそのまま個展にやってくる。ショーンは後から一人でやって来る。父やその友人もやってくる。ジョーは鳩を連れてやって来るが、見に来ていた子供が勝手に鳩の包帯を解いてやり、すると鳩は飛び立つ。すでに怪我は治っていた。リジーとジョーは外に鳩を探しに出るが見つからず、二人は次の個展の話などをして彼方に歩いて行く。背後に鳩の鳴き声がして映画は終わる。

 

淡々と流れるたわいない物語なのに、鳩が取り持った何気ない心のつながりが小さなうねりとなってドラマを描いて行く。一見ジョーとリジーは確執があるようなのに、さりげなく親しみを取り戻すラストが実にうまい。ちょっとした秀作でした。

 

「ゴッズ・クリーチャー」

宗教的なメッセージが垣間見られる展開ですが、全体に非常に暗い作品でした。と言っても映画のクオリティが低いわけではないのですが、男性優位とキリスト教への風刺が見え隠れする中に母の歪んだ愛と自分勝手な息子の姿という物語はさすがにしんどかった。監督はサエラ・デイヴィス、アナ・ローズ・ホーマー。

 

牡蠣の養殖を生業にする港町、牡蠣の選別の仕事の合間に同僚と世間話をしている主人公アイリーンの姿から映画は幕を開ける。彼方に救急車のサイレンが聞こえ、どうやら同僚の息子マークが溺れて亡くなったらしい。その葬儀の場にアイリーンの息子で長らく行方が分からなかったブライアンが帰って来る。悲しみの場面にも関わらず喜びを隠せないアイリーンはブライアンを抱きしめる。ブライアンは祖父の牡蠣養殖を引き継ぎたいという。祖父はすでに認知症だった。

 

ブライアンは父に指導されて牡蠣養殖場を示されるが、収入を安定させるまでは一年間収入の手段を考えないといけないと言われる。アイリーンは養殖に必要な網籠を同業のフランシスからブライアンが盗むのを見て見ぬふりをし、同僚のサラに指摘されても知らないふりをする。さらに密猟にも手を出したブライアンは父に叱責されるがブライアンは怯むことがなかった。

 

そんなある夜、アイリーンは警察に呼び出される。ブライアンがレイプ事件を起こしたと訴えられたのだという。アイリーンはその事件の時ブライアンは自宅にいたと嘘を言う。実はブライアンは家にいなかった。翌日、サラが職場に遅れてやって来る。その後、サラは無断欠勤を始める。ブライアンは判事に呼び出され、アイリーンも出廷してブライアンのアリバイを証言させられるが、アイリーンがブライアンが自宅にいたことを否定しなかったため、ブライアンは不起訴にされる。しかも、ブライアンの仲間達の男どもはブライアンを守りサラが悪いかのように村八分にする。

 

真実を知るアイリーンは次第に罪悪感に苛まれ、娘にもそっぽを剥かれるが、ブライアンは性懲りもなく別の女に手を出し始める。そんな頃、祖父が亡くなる。葬儀の場に現れたサラはブライアンに唾を吐く。職場に戻ったアイリーンだが、まともな気持ちになれない。何事もないように振る舞うブライアンを見たアイリーンは一緒に牡蠣の養殖場に行き、ブライアンをその場に置き去りにしてボートで去る。この地の男は泳ぐことを禁じられているため泳げずに溺れて死んでしまう。アイリーンはサラの家に行き、この地を去る必要はないと言うがサラは車に乗り懐かしい景色を横目で見ながら車で去っていき映画は終わる。

 

なんとも暗い映画であるが、背後には宗教的な教理で男の泳ぐことを禁じた奇妙な制約とそんな宗教への風刺、さらに男性優位に位置付けている昔ながらの慣習への皮肉を盛り込んだメッセージが痛烈に訴えかけてくる作品でした。