くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「カサンドラ・クロス」「ファースト・カウ」

カサンドラ・クロス

大流行したパニック映画の終盤を飾る作品ですが、かなり物語が破綻してきているのがわかります。オールスターキャストで所狭しと往年の大スターが登場しますが、ほとんど人間ドラマが吹っ飛んでしまって、しかも終盤は銃撃戦になってしまうので、かなり無理のあるクライマックスになっています。それでも、鉄橋落下のシーンはまさにこの時代のエンタメ感満載だし退屈はしなかった。監督はジョルジュ・パン・コスマトス

 

ジュネーブの保健機構の施設に救急車がやって来る。しかしそれに乗っているのはテロリストだった。爆弾を仕掛けたものの警備員に銃撃され、危険区域の細菌室に逃げ込んでしまう。そして一人は窓から脱出、一人は重症で捕まるが二人とも悪性肺炎菌に感染してしまう。捕まった一人を調べた医師はこの細菌がアメリカ軍が極秘で研究しているものだと知る。駆けつけたのはマッケンジー大佐だった。彼は逃げたもう一人を追跡し、大陸横断特急に乗ったことを突き止める。

 

本来の目的地ストックホルムから、感染車両を受け入れてくれるポーランドに進路変更させるが、最後にカサンドラ・クロスという老朽化した鉄橋を渡る必要があった。一方車内では高名な脳外科医のチェンバレン博士が乗っていて乗客の異変に気がつく。列車内と連絡がついたマッケンジー大佐は、病原菌に冒された犯人が車内にいることを告げ、目的地をポーランドに変更したことを話す。チェンバレン博士は、犯人を隔離するが間も無く昏睡状態になり、犯人から伝染したと思われる犬をかろうじてヘリコプター運び出すが犯人は乗せられず間も無く死んでしまう。

 

ポーランド国境で停車した車両は周囲を鉄板で覆われ、警備隊が中に入り、ことの次第を乗客に説明し列車は発車する。しかし、収容した犬はやがて回復する。それにより高濃度の酸素で細菌が死滅することが判明、車内でも一部を除いて患者が回復してきた。しかし、中のトラブルでマッケンジー大佐と連絡がつかなくなり、さらにカサンドラ・クロスが危険であることがチェンバレン博士らも知ることになり、列車を止めるべく車内の警備員達から列車を乗っ取って止める作戦に出る。そして銃撃の末、最前列の車両を切り離すことに成功するが、程なくカサンドラ・クロスに差し掛かり、列車の三分の一は落下して大炎上した。

 

全てを隠蔽するべく工作していたマッケンジー大佐は、全員死亡したものと判断して作戦室を出る。しかし鉄橋下ではチェンバレン博士らが助かった乗客を車内から避難させていた。こうして映画は終わって行く。

 

職務とはいえ、あえて全員抹殺の仕事をこなしたマッケンジー大佐の苦悩とそれに贖う医師の視線、ユダヤ人迫害にあった過去のある老人や、麻薬密売人、武器商人の妻だが純粋に男性を愛する中年女性、麻薬捜査官、などなどの人間ドラマが交錯するもののやや力不足。この辺りからパニック映画に翳りが見え始めたのが顕著な一本ですが退屈はしなかった。

 

「ファースト・カウ」

西部開拓時代を時間的に凝縮させて切り取ったとっても不思議な作りの佳作だった。後半一気に時が流れて行く様がさまざまな暗喩を込めた映像と美しい景色、そして、レトロな空気感に潜んだ心地よい音楽が映像詩としてのアメリカの歴史の1ページを切り取る。決して大河ロマンでも大作ではないけれど、じわっと時間の重みを感じさせてくれました。監督はケリー・ライカート

 

オレゴン州、広大な川を一隻の巨大なタンカーが遡って来る。傍の森で一匹の犬が何やら掘り当てる。飼い主がその場に行くと白骨だった。さらに掘り起こして行くと二体の白骨遺体が露になり、飼い主の女性が空を仰いでカットが変わると黄色いキノコを摘み取る男の手に変わる。

 

彼はこの森の猟をする集団に雇われて食糧探しをしていたらしい。何も見つけられず叱責された男は、ある夜、真っ裸の中国人が隠れているのを見つける。男はその中国人を荷車に隠し、やがて砦に辿り着く。男の名はクッキーと呼ばれていた。中国人の名はキング・ルーと言って、奴隷として使われていたが逃げ出してきたのだという。

 

二人は砦の隅の小屋で生活を始める。この地に一頭の牛が連れられて来る。この地に住む仲買商の男が連れてきたのだが、一頭だけが生きてこの地に来たらしい。菓子作りの修行をしたことがあるクッキーは牛の乳を使ってドーナツを焼いてみたらどうかと考える。夜、仲買商の庭へ行きクッキーが牛から乳を搾り、キング・ルーは木の上で見張りをして、人が来たらフクロウの真似をする段取りをする。

 

クッキーが焼いたドーナツは、これと言って楽しみのない市場の男達に気に入られ、みるみる売れて金が貯まって行く。貯まった金は大きな木の幹に隠し、末は大きなホテルに進出しようと夢を抱く。そんな二人の前にある日、仲買商が現れドーナツを求める。そしてすっかりそのドーナツが気に入った仲買商は、自宅に招き菓子を作って欲しいと提案する。危険を承知していた二人だが、何事もリスクが伴うと屋敷に行き、菓子を提供する。

 

その夜もいつものように忍び込んで牛の乳を搾り始めるが、たまたま仲買商の使用人が庭に出てきてクッキー達は見つかってしまう。しかもキング・ルーは木から落ちてしまう。瀕死で逃げる二人を銃を持った使用人達が追い詰める。キング・ルーは川に飛び込むがクッキーはその勇気がなく茂みに隠れる。仲買商らはキング・ルーを追って行く。クッキーが目覚めると先住民の小屋だった。しかも頭に怪我をしていて咳も止まらなかった。しばらくその小屋で過ごしたクッキーはキング・ルーを探しに行く。

 

一方、キング・ルーは逃げ切って先住民のカヌーに乗せてもらって川を下って行く。かつての小屋に戻ってきたキング・ルーは隠していた金を取ろうとするが、仲買商の男たちが小屋にやってきて小屋を荒らす。キング・ルーはとりあえず隠れた。しばらくして、クッキーもこの小屋にやって来る。そしてキング・ルーと再会、ここは危ないからと川を下って帆船に乗って逃げようというキング・ルーの提案で二人は森を逃げ始めるが、クッキーの頭の傷は重症だった。森のはずれでクッキーは一休みして横たわる。じっとそれをみていたキング・ルーも横たわる。こうして映画は終わる。多分二人はこのまま冒頭のシーンの白骨になりましたということだろう。

 

川を下ったはずのキング・ルーが小屋に現れたり、茂みに隠れていただけのクッキーが先住民の小屋で目覚めたり、後半部分は時間と空間が交錯する作りになっている。それまでの順当な流れから一転したシュールな展開で一気に西部開拓時代の時間を語り切るという手腕は見事で、緩やかな景色や心地よい音楽、素朴な人々の姿、言葉が全く分からない先住民のセリフなどが相まって不思議に切り取られた時間の一瞬を感じることができます。小品ながらとっても面白い作品でした。

 

ある夜、