くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「No.10」

「No.10」

なんだこれは?という映画である。前半を真面目に追いかけているといつの間にかはぐらかされて、後半から終盤、とんでもない展開になった上、じゃあ、あれはなんだったのかと自己嫌悪にさえ陥る映画。面白いといえば面白いし、やりたい放題と言えばやりたい放題の作品で呆気にとられてしまった。監督はアレックス・ファン・バーメルダム。

 

荒波の風景から、一人の老紳士マリウスが朝食を持って自室にやってくる。マリウスを呼ぶ妻の声に反応して朝食を食べる。妻は病気で寝たきりらしく、仕事に行く夫マリウスに悪態をつくもマリウスは出かけてしまう。こうして映画は始まる。マリウスは迎えの車に乗る。着いたところは舞台の稽古場で、ギュンターという役者を中心に、演出家カールが指示をしている。

 

カールは妻のイサベルと仲良く、イサベルも女優で、次の朝稽古に一緒に行こうというカールに、イサベルは自分のバイクで行くからと家を出る。そしてイサベルは別の男とベッドの中にいた。相手はギュンターだった。イサベルとギュンターは不倫関係だった。この日、ギュンターの娘リジーが彼氏を連れてくるからとイサベルに早く帰るように促すが間に合わず、イサベルを寝室に隠して、ギュンターとリジーその彼氏で食事をする。リジーは病院で肺が一つしかないと言われたことを話し、ギュンターにも検査を受けてほしいというが生まれてこの方ギュンターもリジーも病気になったことがないから嫌だと答える。そしてリジーらは帰る。

 

翌朝、ギュンターは朝食を買いに外に出るが、橋の上でサングラスの男に意味不明の言葉「カマヒ」と囁かれる。その後、部屋に戻り、イサベルと別れて迎えの車に乗る。中にはマリウスやカールらも乗っている。ギュンターの乗った車とイサベルのバイクが出くわさないように、ギュンターはイサベルにメールを送る。ところが途中、車の前方を塞がれて時間が狂う。間一髪でイサベルのバイクと出くわさなかったが、車のドアミラーからマリウスは、イサベルがギュンターの家を出る現場を見てしまう。

 

一方舞台の稽古では、マリウスは妻のことでセリフを覚える暇がなく、演出のカールを苛立たせていた。稽古を終えたカールにマリウスは、イサベルとギュンターは付き合っているようだと告げ口する。リジーはギュンターの誕生日のサプライズのためにギュンターをカメラで撮影していたが、そこでイサベルとの関係を知ってしまう。一方、翌日からカールは執拗にギュンターを蔑ろしにしてマリウスのセリフを増やしたり役を端役から主役に変更し、一方でギュンターを端役に変えたりし始める。

 

時々、ギュンターの隣の家の白髪の男や、謎の神父とその助手のシーンが挿入される。神父と助手はギュンターやリジーを監視しているようである。マリウスが妻の介護でセリフが覚えられないことでギュンターが不具合にならないように、マリウスの妻を殺すように指示したりする。そしてライジェンバッハという男がマリウスの妻を殺害してしまう。

 

やがて舞台本番、マリウスはプロンプターを入れて欲しいと頼む。しかしギュンターは、マリウスがカールにイサベルとの不倫を告げ口したと知り、復讐のため本番直前にプロンプターを気絶させて自分がその場に座り、マリウスのセリフを言った直後、マリウスの足に釘を打ち込む。

 

マリウスが逃げた車の中でいると、かつて橋の上で出会ったサングラスの男が一通の招待状を渡す。そして橋の上で言った言葉は「ママ」という意味だという。マリウスは子供の頃森で発見された過去があった。ギュンターは教会へ行き、そこの懺悔室でイノセンスという黒人に声をかけられる。ギュンターは招待状のままに森の奥にある一軒の教会へ向かうがギュンターをリジーが後をつけていた。

 

ギュンターが教会の中に入り、地下奥に進んで行くと謎の司教らが出迎え、実はギュンターは異星人で、地球の生物と交配できるか試すために送り込まれた十二人の一人だと告げられる。そして、ギュンター一人だけ追跡できたのだという。肺が一つであったり、病気を全くしないのが異星人の証拠だと言われる。

 

教会を出たギュンターは後をつけてきたリジーに、異星人であることを話し、リジーは半信半疑ながらも信じる。そしてやがて母星へ帰る日が近づく。リジー、ギュンター、司教らが森の教会の地下深くにある宇宙船に乗り込み、やがて宇宙船は地面の中から現れて宇宙へ飛び立つ。司教らはギュンターらの星にキリスト教を布教するために宗教画やキリスト像などを積み込んでいた。

 

宇宙空間へ出てから、異星人は司教やキリスト像、その関係者たちを宇宙に放出してしまう。リジーは、宇宙船の中に謎の部屋を見つけ、そこはギュンターの母の映像にあった景色のセットがあるのを見つける。ギュンターらは宇宙船のベッドに横になる。宇宙空間に漂うキリスト像や司教、助手の姿で映画は終わる。

 

なんとも突拍子もない展開であれよあれよとラストシーンに繋がっていく。いったい前半の流れはなんの意味があったのかと思ってしまうが、実は全てが舞台の中のギュンターの妄想だったのかという深読みさえしてしまうラストシーンである。コメディ仕立てではあるものの、見終わってぽかんとしてしまう映画だった。