くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「オッペンハイマー」「コントラクト・キラー」「白い花びら」

オッペンハイマー

2回目の鑑賞でしたが、この映画の真価を確認できた気がしました。1回目の鑑賞後の感想ではアカデミー賞を取るレベルに若干言及しましたが、ある意味、取るべくしての一本だったかと認識を改めます。それは、これだけの登場人物が語る物語を何の混乱もさせずに描き切った作劇のうまさ、脚本術の卓越さ、そして、この時代を細かい編集とカットの連続で映像として表現した抜きん出た映像演出の感性は拍手して然るべき一本だと今回理解できたことです。そして、背後に見え隠れする核兵器への懸念と、人類が道を誤る瞬間をまるで閃光の如く見せた描写には頭が下がります。哲学的な面もあり、社会批判的な面もあり、人間の性を露呈する怖さもある。確かに長尺ではあるけれど、必然的な長尺を見事に整理して一本にした力量は、近年の監督の及ばない面かもしれません。映画史に残して然るべき一本、そんな恐ろしい作品だった。

 

若き日のオッペンハイマーケンブリッジ大学で、雨の降る空を眺める場面、プロメテウスの火の暗示を語るナレーションと映像から映画は幕を開ける。イギリス、ドイツ、オランダと渡り歩いていく若き日のオッペンハイマーは、当時アメリカではまだ軽視されていた量子理論を研究し、それを母国アメリカにも定着させるべく戻って来る。

 

天才と言われたアインシュタインもすでに過去の人と物理学者の間では考えられてきた時代、世界は戦争という大過に見舞われていく。世界的に核兵器の開発に凌ぎを削る中、ナチスポーランドへ侵攻し、ソ連核分裂実験に成功したことで焦ったアメリカは、グローヴス大佐をリーダーに、核兵器開発のためにオッペンハイマーに白羽の矢を立てる。

 

当時は核開発に肯定的だったオッペンハイマーは、ニューメキシコのロスアラモスに突貫工事で都市を建設して研究施設を作り、アメリカ中の優秀な研究者を集めて核開発を進める。そんな頃、政界で入閣を目指すストローズは、アイソトープ輸出に関してオッペンハイマーに揶揄われたことを恨み、さらに水爆開発にも異論を言われて嫌っていた。

 

戦後、ストローズは、原子力委員会の顧問にオッペンハイマーを招き、委員だったアインシュタインに引き合わせたが、池のそばで佇むアインシュタインオッペンハイマーが何かを語った後、アインシュタインがストローズを無視したような態度を示したことが気になっていた。

 

ストローズは、街の靴売りから立身出世した人物だが科学者に対して異常なほどの劣等感があった。そして、原爆投下後、一躍時の人になったオッペンハイマーを葬るべく共産党員と関わりがあったのではという聴聞会を開き、彼の名声を剥奪する手段に出る。しかし、ストローズが商務長官就任にあたっての公聴会で、それらを明るみにしたヒル博士らによって、結局ストローズは失脚してしまう。

 

オッペンハイマーアインシュタインと交わした会話は何だったのか。アインシュタインは、かつて自分を称賛する賞を授与されたが、それは相対性理論は過去のものだということを示す科学者たちが、自分たちを満足させるために送ったものだと語る。そして、近い将来、オッペンハイマーに賞が授与されることがあるが、それはオッペンハイマーの罪を許したのではなく、自分たちの罪を赦すべく自己満足のためのものだからと言う。オッペンハイマーアインシュタインに、原爆開発時、連鎖反応で世界が破壊される懸念を相談に行ったことがあるが、あの懸念は正しかったと言い、アインシュタインは呆然とした気持ちになってストローズとすれ違う。

 

もう一度、物語を簡単に整理すればこう言うことだったと思います。時間を前後させ、オッペンハイマーパートをカラーでストローズパートをモノクロにして交錯して編集し、周辺の科学者の思惑や、妻や恋人とのエピソードを交え、当時の反共運動いわゆる赤狩りの現実、水爆開発への歩み、そして世界的な緊張感を機関銃のように切り返すカット編集と、恐ろしいほどの音響効果、さらにIMAXカメラの威力を最大限にした映像で徹底的にあの時代を描き切った演出が恐ろしい仕上がりを見せた作品だと思いました。圧巻!

 

コントラクト・キラー」

シンプルな物語に、ユーモアを交えた展開を散りばめた素朴なラブストーリー。フィクションとしての映画の面白さを突き詰めていく作りがとっても楽しい作品でした。監督はアキ・カウリスマキ

 

英国水道局、そこで働くレオは、水道局が民営化になる事で、突然、たった一つの金時計だけもらい解雇される。絶望したレオは金時計を金に変え、ホームセンターでロープを買い、自殺しようとするがうまくいかない。たまたま新聞記事で、自分を殺してくれるコントラクト・キラーの存在を知り、路上で情報を探って、コントラクト・キラーの元締めのところにやって来る。そこには何人か男たちがいたが、実際に殺人をするのは別の人間だと告げられる。レオは金を渡して契約を結ぶ。

 

後日、殺されるためにカフェでぼんやりしていた彼のところに、マーガレットという花売り娘が現れる。一目で惚れてしまったレオは殺し屋から逃げるようになる。レオとマーガレットはホテルに泊まる。一方レオを狙う殺し屋は肺癌で、余命わずかだった。そしてついにレオの泊まるホテルを発見する。たまたまレオがタバコを買いに出たところへ殺し屋が部屋に入って来る。そこへレオが帰ってきたのでマーガレットは花瓶で殺し屋を殴り倒し逃げる。

 

レオは、契約を破棄しようと、街でコントラクト・キラーの元締めのところに行った際見かけた男を見つけて後をつけると、なんとその男たちは宝石店に強盗に入ったところに出くわす。その上、男たちは店主を銃で撃って、そのピストルをレオに捕ませて逃げてしまう。防犯カメラにレオの姿が写されてレオは新聞に載ってしまう。一方、マーガレットはレオの行方を探していた。レオは列車に飛び込もうと考えたができなかった。

 

ホテルの受付の情報で、レオを見かけたという墓地へ向かったマーガレットは、途中立ち寄ったハンバーガー店でレオと再会する。そして二人で逃げることにし、マーガレットは駅へ行って切符を手配し、レオは一旦ホテルに戻ってきたが、そこへ殺し屋がやって来る。その頃、宝石店を襲った強盗が警察に捕まりレオの容疑は晴れていた。それを新聞で知ったマーガレットは急いでレオのもとにむかう。レオはホテルの受付の男の機転で逃げるが、殺し屋に追いつかれる。ところが殺し屋は銃を出し、レオの目の前で自殺してしまう。安心したレオが通りに出ると猛スピードで走るタクシーに乗ったマーガレットと出会う。危うく轢き殺されそうになるがすんでのところでタクシーは止まり、二人は見つめあって映画は終わる。

 

あれよあれよと展開するお話がとにかくユーモア満点に突き進んでいくテンポが面白い作品でした。

 

「白い花びら」

モノクロサイレントの形式で、セリフは全て字幕、仰々しい音楽をバックに流しながら、一昔前のような物語をクソ真面目に描いていく、これもまたユーモアの一環かと思わせる一本で楽しかった。監督はアキ・カウリスマキ

 

マルヤとユハがバイクで微笑ましく走る姿のアップから映画は幕を開ける。農場で作った野菜を売りに行く二人は、いかにも仲の良い夫婦という感じで幸せそのものでほのぼのした情景である。ひと稼ぎして家に帰り、ユハは妻マルヤの料理を美味しそうに食べ、ベッドを共にする。

 

ある日、派手なオープンカーを乗ってシェイメッカが通りかかるが、車が故障してユハに助けられる。ユハが車を修理している間、シェイメッカはマルヤに色目を使う。元々歳の離れた夫と貧しい農場生活だったマルヤは、都会的で若いシェイメッカにすっかり惚れ込んでしまう。やがて車が治ってシェイメッカは去っていくが、去り際にマルヤに、必ず迎えに来ると約束する。

 

そして数ヶ月、マルヤはすっかり変わってしまい、派手な化粧をし、ユハの食事も満足に作らなくなくなる。そんな頃、シェイメッカが再び農場を訪れる。そして三人でダンスホールに行くが、シェイメッカがマルヤとダンスをする間も酒好きなユハは酔い潰れるまで飲んでしまう。ユハを家に連れ帰ったが、マルヤは家を出る決心をし、ユハに手紙を残してシェイメッカと出ていく。

 

ところが、シェイメッカがマルヤを連れて行った家は、いかにも夜の仕事をしているような女達と派手な姉がいた。しかも、シェイメッカはマルヤにもホステスのような仕事をするように強要する。マルヤが拒否すると、女中のように使い始める。そんな時、マルヤは隙を見て逃げ出すが、列車に乗ろうとして気を失って病院で目を覚ます。そして妊娠したことを知る。まもなくして子供が産まれる。

 

冬が来て春が来る。ヨハはマルヤのことが忘れられず、意を決してマルヤを連れ帰るべく、斧を研いで街へ向かう。そして、シェイメッカの家に殴り込み、シェイメッカの手下を殴り倒してシェイメッカに迫るが、シェイメッカは銃でユハを撃つ。それでもユハはシェイメッカを追い詰め斧で殺す。そしてマルヤと赤ん坊を助け出してタクシーで逃し、自分はゴミの山の中で倒れて息を引き取り映画は終わる。

 

なんのことはないのだが、カウリスマキだと思うと、これもユーモアかと思ってしまう作品でした。