「エル プラネタ」
モノクロームとデジタルワイプを繰り返す作品ですが、どうも何を描きたいのかが見えてこない映画でした。特に絵が美しいわけでもなく、シュールなわけでもなく、その日暮らしの母と娘の日常をただ語っていく感じの作品でした。監督はアマリア・ウルマン。
解説によるとレオはロンドンで学生生活を終え、スペインの田舎町ヒホンに帰ってきたが、母マリアは破産寸前でアパートも追い出されようとしている。その日暮らしながらSNSやネットを使ってハッタリを効かせた生活を続けている。という内容らしいが、その描写が全くなされていないので、なんのことかという感じである。
ネットで知り合ったらしい男とレオが会う場面から映画は始まり、どうやらその男はレオを金で買おうとしているらしいが体よくレオはその場を去る。毎日の食事にも困る母娘だが、知り合いというだけで名前を出しては食事をし、品物を買っては返品を繰り返し、時に万引きまでして、どうにか生きていく。
ある日、雑貨屋でアマデウスという青年と知り合ったレオは一抹の望みで一夜を共にするが、彼は妻子もある男だった。家に帰れば電気も止められ、マリアもどうしようもないながら追い詰められているが、それほどの悲壮感はこの二人にはない。ある朝、チャイムの音でマリアが玄関に出ていくと警察が来ていた。マリアは、刑務所に行けば食事も与えられるとようやく救われるかのようにあっさりと警官に同行する。奥にいたレオはなかなか戻らないマリアの名を呼び映画は終わる。
面白い映画といえばそれもありですが、登場人物や舞台設定を描写するという演出が皆無に近いので、脚本に工夫が欲しかった気もします。まあオリジナリティのある作品ではありました。
「小間使の日記」
何がという感想が書けないのですが、面白い。どんどんストーリーの先が気になってのめり込んでいきます。しかも、画面もしっかりと決まっていて美しい。解説によればフランスの縮図としての風刺映画だと言いますが、確かにその奥深さが垣間見られるのも見事です。ジャン・ルノワールの旧版は見たことがないですが、名作でした。監督はルイス・ブニュエル。
空を覆うどんよりとした雲の場面から映画は幕を開ける。列車の中から外を捉える画面が延々と続きタイトル。駅を降りてきたのは一人の女性セレスティーヌ。彼女はモンテイユ家の小間使いとしてパリからやってきた。ついて早々、この家の主人であるモンテイユの妻から細かい指示を言われる。しかもそのどれもが高価な調度品や敷物についての細々した説明だった。夫のモンテイユは妻に疎まれ、憂さ晴らしに狩をしているが、一向に本気でもない。庭師のジョゼフは粗野で大柄な性格だが、どこか気品を残している。隣人の元軍人の大尉はモンテイユに何かにつけてちょっかいを出し仲が悪い。
そんな家で働き始めたセレスティーヌだが、この家の大旦那の部屋に呼ばれ、何やら靴をあてがわれたり、本を読むように言われる。その態度はどこか常軌を逸しているようだが、素直に応じるセレスティーヌ。妻に相手にされないモンテイユはセレスティーヌに言い寄ってくる。さらに隣の大尉も、妻のローズが疎ましくなり、さりげなくセレスティーヌに近づいてくる。
ある時、大旦那が突然発作で死んでしまう。ちょうどその日、森を通ったジョゼフがは、一人の少女クレールと出会う。セレスティーヌはクレールのことを可愛がっていた。クレールが森の奥に一人去ると、ジョゼフは突然彼女の後を追う。まもなくして、森で惨殺されたクレールが発見される。
大旦那の死後、仕事を辞めてパリに帰ろうとしていたセレスティーヌは、駅でクレールの死を知り引き返してくる。そして、ジョゼフが怪しいと思い近付くが、ジョゼフはセレスティーヌと結婚したいと言い寄ってくる。しかし、決して体を求めることをしなかった。二人でシェルブールで店を出そうと提案さえしてきた。そんな頃、隣人の大尉もセレスティーヌに求婚してくる。
セレスティーヌもジョゼフの気持ちを受け入れて、モンテイユに報告に行くが、セレスティーヌが手に入らないと判断したモンテイユは、次のターゲットに下女のマリアンヌに近づき始める。一方、セレスティーヌはジョゼフの部屋にあった靴の底金を剥がし、それを証拠にして、ジョゼフを逮捕させる。そしてセレスティーヌは大尉と結婚する。明らかに財産目的だった。
しばらくしてジョゼフは証拠不十分で釈放される。そしてシェルブールで別の女と店を始めた場面となる。街にはデモをする人たちが通り過ぎる。ジョゼフがデモの声に応じると。デモをする人もその声に応じて、彼方へ去っていく。カメラはどんよりした雲のカットになってFINの文字が出る。
映画的なサスペンスを盛り込みながら、あちこちに風刺を効かせた演出は並のレベルをはるかに超えたクオリテイで、見ているわたしたちを唸らせてくれます。見事な作品でした。