くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「言えない秘密」(日本版)「エンジェル・アット・マイ・テーブル」

「言えない秘密」

オリジナル版の台湾映画はもっといいのかもしれませんが、日本版に焼直した段階で、ちょっとテンポが狂ってしまった感がして、しかも脇役の描き方が雑だし、映像のテンポも悪いし、もう一歩乗り切れなかった。主人公のトラウマ感も雪乃の悲壮感も適当な描写で弱い。それでもタイムスリップものは大好きなので、これはこれでラストシーンは胸が熱くなってしまいました。監督は河合勇人

 

イギリス留学から戻った湊人が幼馴染のひかりと音大のキャンパスを歩いている場面から映画は始まる。突然、素敵なピアノの音を聴いた湊人は大学の旧校舎に行きそのピアノ室で雪乃という女子大生に出会う。不思議な曲を弾くこの少女といつのまにか親しくなり、湊人は頻繁に音楽室で雪乃に会うようになる。雪乃は携帯も持っていず謎を帯びた女性で、シークレットという題名の楽譜を大事にしていて、私が弾いた曲は決してこの古い教室のピアノで弾かないでと念を押していた。

 

二人は海に遊びに行き、海に入ってずぶ濡れになって、誰もいない湊人の家で乾かしたりする。音楽室で雪乃が持ってきたポラロイドカメラで写真を撮ったりする。湊人の家は父がカフェをしていて、父はある日、湊人の部屋で壊れたトイピアノを見つけて修理する。湊人は留学中のトラウマでピアノが上手く弾けなくなっていた。そんな彼をひかりがが励まそうとしていた。

 

ある日、湊人は教室で最後列の雪乃にメモを回して、いつものベンチで会おうと知らせるが、来たのはひかりだった。実はひかりが最後列だったのだが、湊人にはその後ろに雪乃が見えていた。ひかりは昔から湊人のことが好きでつい口付けをしてしまう。それを雪乃が目撃、音楽室に逃げ込むが雪乃には喘息の持病があった。湊人は必死で介抱するが、雪乃は一人にして欲しいと湊人を帰らせる。それから雪乃は学校に来なくなる。

 

湊人は、周りの友人たちに雪乃のことを聞くが、誰もそんな女性は知らないと言われる。先日のクリスマスパーティーで湊人は雪乃と踊ったが、友達の写真には湊人しか写っていなかった。湊人は学校で開催されるショパンコンサートに出場が決まれば見に来てほしいと雪乃の家に行き伝える。

 

ショパンコンサートの演奏会に抜擢された湊人がステージで演奏していると、雪乃が遅れて駆けつける。その姿を見た湊人は演奏を中断して雪乃に駆け寄るが、雪乃は瀕死の状態だった。演奏に戻った湊人は終演後、雪乃の家に駆けつける。雪乃の母は湊人を中に入れ、真実を話し始める。

 

雪乃は大学時代病気で入院して、久しぶりに大学に行くと、自分が出るはずだったショパンコンサートも代役に代わっていた。寂しさの中、音楽室のピアノを弾いていた雪乃は、足元にシークレットという題名の楽譜を見つける。その楽譜の曲を弾くと時間が21年後に進んだ。そして気がつくとそこに一人の青年湊人がいた。最初に会った人にしか雪乃の姿は見えないこともわかる。

 

雪乃は、シークレットの楽譜を弾き、未来を行き来する中で自分があと半年で死ぬことを知る。そして、21年後の湊人との恋に溺れ始める。21年前、雪乃は音大のそばのカフェで、マスターが子供が生まれることを知りそのお祝いにトイピアノをプレゼントする。その生まれた子供こそ未来の湊人だった。

 

やがて雪乃は死期が迫り、最後に湊人の演奏を聴きたくて、湊人のショパンコンサートの会場へ向かったのだ。湊人は雪乃の母に見せられた雪乃の日記を読み、雪乃が音楽室で死んだそばにあったというシークレットの楽譜に、湊人に会いたいという文字が浮き上がるのを見て、深夜旧校舎の音楽室に行き、シークレットの曲を演奏する。

 

時が遡り、そこに雪乃が倒れていた。湊人は雪乃を抱き寄せ、もう一度二人でシークレットの曲を弾こうとするが雪乃は生き絶えてしまう。湊人が気がつくと21年後の音楽室だった。実家のカフェに戻った湊人は父から雪乃の日記を預けられたと手渡される。そこには雪乃と湊人が映ったポラロイド写真があった。こうして映画は終わる。

 

とにかく、エピソードやシーンのあれこれがみんなチグハグで無理矢理感が目立ちすぎて、オリジナル版のストーリーの整理が全く出来ていない上に、とってつけたような脇役の登場に映画のテンポがぐちゃぐちゃになっている。クライマックスの真相が明らかになる切ない展開が全く生きていないのがとっても残念な仕上がりの映画だった。

 

「エンジェル・アット・マイ・テーブル」

時代性もあり実在の作家をモデルにした作品なので仕方ないのですが、主人公を取り巻く人々がいかにも品がなくて汚い描写になっているのがなんとも好みではないし、主人公の女性が男性に隷属的で、しかもどこか頭が弱いキャラクターとして描いているのは「ピアノレッスン」同様、拒否反応してしまう。映画のクオリティは見事ではあるけれど、個人的に好みではない作品だった。監督はジェーン・カンピオン

 

1924年ニュージーランド赤毛のジャネットが双子として生まれてくるところから映画は幕を開ける。少女時代のジャネットはジーンという愛称で呼ばれ、内気で奥手の少女だったが、ポピーというませた少女と仲良くなって、ファックなどの言葉を覚えてしまう。たまたまポピーの兄テッドとジャネットの姉マートルがSEXしているのを見てしまい、単純なジャネットは食事の席で父に言ったために、父の怒りを買って、ポピーの兄弟と付き合えなくなる。

 

やがて15歳になったジャネットは、本好きな少女に成長していた。人より遅れて初潮を迎え、ロマンチックなことを夢見ながら、将来詩人になろうと考え始める。姉マートルの死、戦争の勃発などを経て18歳になったジャネットは師範学校に入るべく妹のイザベルと一緒に叔母の家で下宿することになる。

 

学校では女生徒たちの憧れのフォレスト教授に文才を求められるが、社交的なイザベルと対照的なジャネットは授業実習で極度の緊張から教室を逃げ出し自殺未遂してしまう。フォレスト教授の勧めもあって精神病院に入ったジャネットは、そこで精神分裂病と診断され、隔離治療されるようになる。

 

入院中も執筆活動を続けるが、入院中の八年間に200回ものショック療法を受けることになる。さらにロボトミー手術も予定されたが、出版された本が文学賞を受けるにあたり、手術は免れようやく退院し自由な執筆活動を始める。作家のフランク・サージソンに認められたジャネットはヨーロッパへの文学基金を受けられることになり、ニュージーランドを離れてロンドンへ行く。

 

ロンドンの下宿先でパトリックに親切にされ、スペインに渡った彼女はアメリカ人のベルナードとひと夏の恋を経験、妊娠するが、ベルナードがアメリカに帰った後流産してしまう。自身の意思で精神病院へ行ったジャネットは、そこで精神分裂病は誤診だったことが判明し、ジャネットは病気への恐怖からようやく逃れる。そんな時、父が亡くなったという連絡が入りニュージーランドに戻った彼女は静かな自然の中で執筆を続ける姿で映画は幕を閉じる。

 

緻密で非常によく出来た作品ながら、登場人物それぞれがどうも受け入れられないキャラクターばかりで、嫌悪感が先に立ってしまって素直に楽しめなかった。でも一見の価値のある一本だったと思います。