「リトル・ワンダーズ」
ゆるゆるに展開するお伽話という感じの作品で、子供向けのおはなし的な空気感の中に、辛辣な大人の世界と、純粋無垢な子供達の冒険活劇が楽しい映画だった。監督はウェストン・ラズーリ。
森の中、詩を口ずさんでいる少女ペタルのカットから映画は幕を開ける。小さなバイクに乗り覆面をしたアリス、ヘイゼル、ジョディの三人の割ガキ集団不死身のワニ団がとある倉庫に忍び込み箱に入った何かを盗み出し家に戻る。ご馳走を準備し、風邪で寝ているママの隙をついてゲームをしようとしたら、テレビにパスワードがかけられていた。仕方なくママのところへ行くが、ブルーベリーパイを買ってきてくれたらパスワードを教えるというので、三人はパイ屋さんへ行く。しかしパイは売り切れ、しかもパイ職人のおばさんは風邪で休んでいた。
おばさんの家に行き、風邪を治す冷たい何かをもってこいと言われて、捨てられていた不気味な人形を届けてなんとかレシピを聞く。スーパーに行って材料を盗んだものの、最後の卵がジョンという大男に買われてしまう。ヘイゼル達は男の家をつき止め、カバンに入った卵を手に入れようと車の荷台から助手席に入ろうとする。実はここは魔法の剣一味のアジトで、アンナという呪文を使う女性をリーダーに密猟をして剥製を作り金を稼いでいた。アンナは二人の双子の娘サッズとケルズに呪文をかけて自由に操り、弟マーティやジョンと、国立公園にヒラジカを狩るために出かけることになる。しかし末娘のペタルは留守番を言い渡される。
ペタルはジョンのトラックの道具箱に隠れていたが、そこへヘイゼルらが乗り込んで来たのだ。ヘイゼル達が卵を盗もうとした時、ジョンらが出てきたので三人は荷台に隠れる。ところが、ジョンはそのままアンナ達と一緒に車を走らせ、国立公園の森にやってきた。帰ることもできないヘイゼル達はジョンの卵を手に入れるべく、作戦を練って行く。森の中でヘイゼル達はペタルと出会う。
アンナ達は森の奥に進み、ジョンは食事の準備をし始めるが、アリス達が囮になってジョンを誘き寄せ、その間にヘイゼルが卵を手に入れに行くことになる。しかし、ヘイゼルはジョンが作りかけにご馳走に目が眩みそれをを食べ、さらに酒を飲んだために酔っ払って戻ってきたジョンに捕まってしまう。
一方アンナ達は目の前に目的のヘラジカを見つけるが銃の弾をマーティが持って来ていなくて、マーティは弾を取りにジョンのところに戻って来る。そこではジョンがヘイゼルを縛っていた。そこへアリスやペタルが呪文をかけた双子と共に駆けつけ、ヘイゼルを救出、森の外へ向かうが、そこに売り物のクラシックカーが打ち捨てられていたので、アリスやヘイゼルの知識で車を始動させる。しかし、ヘイゼルらが持ってきたジョンのカバンには卵がなかった。ヘイゼルが酔っ払ってみんな焼いてしまったのだ。
ペタルが、知っている酒場に飼っている鶏がいるというのでそこへ向かう。そこで、ペタルはアンナの知り合いの男と交渉して卵を手に入れるが、男達はすんなりと渡してくれない、そんなすったもんだの中、ジョンのカバンにあったスマホの位置情報からアリス達を追ってきたアンナがやって来て、ヘイゼル達を拘束し、今にも殺そうと迫るが、倉庫の盗難映像からヘイゼル達を追っていた警察が駆けつける。
ヘイゼル達は警官に逮捕されるが、最後にヘラジカのことをしゃべったヘイゼルの言葉から、アンナらの乗って来た車のナンバーを調べた警官が、アンナ達は魔法の剣一味だと判明、アンナらを逮捕する。ヘイゼルら三人とペタルはその場を脱出、ペタルが盗んでいたもう一個の卵を持ってヘイゼルの家に戻り、ブルーベリーパイを焼いてママのベッドに届け、パスワードを聞き出してペタルも加わってゲームを始めて映画は終わる。
ツッコミどころもないわけではないが。全体をお伽話だと割り切れば、これもまたご愛嬌で、呪文で人を操ったり、卵一個で大騒動になったり、お姫様と自称するペタルの存在であったり、それでいて大人の世界が妙に胡散臭いばかりだったり、さまざまがとにかく面白い。一風変わった作劇の作品ですが、このオリジナリティが楽しい一本でした。
「徒花 ADABANA」
生きることの意味、人生の意味、命の価値観などさまざまなイメージをシュールな展開で描いたかなり個性的な作品。監督の個人的な視点を押し付けて来るような気がしないでもないですが、こういう映画もありだろうという作品だった。監督は甲斐さやか。
あるウイルスの蔓延で人類の人口が激減、労働力の確保の必要もあり、最新技術によるクローン技術の発展した旨のテロップの後、白い人形が並べられそれが動き出す映像から映画は幕を開ける。裕福な家庭で育った新次は妻と暮らし娘も生まれて理想的な家庭を営んでいたが、不治の病で病院で療養している。この世界では、裕福な家庭では万が一に備えて身代わりとして自身のクローンである それ を作っていて、新次にも それ が存在していた。
病の手術を控えて不安になっている新次は、臨床心理士まひろに、過去の記憶を辿るように勧められ回想する日々だった。海辺で知り合った謎の女、幼い頃、森の奥の洞窟で見たクローン人間が捨てられる現場、母にかけられた言葉などを思い出す中、自分の それ に会いたいと懇願する。
新次はガラスを挟んで それ と対峙するが、自身と瓜二つ以上に落ち着いた それ の存在に戸惑いを隠せなかった。そして、やがて新次は自ら死を選んでいく。そんな出来事に悩むまひろもまた それ をガラス越しに対峙し、自身は若年性アルツハイマーであることを担当医に相談するが、担当医は、言葉少なにまひろを励ましてさっていって映画は終わる。
と、こういう話なのかなという理解ですが、暗い画面でほとんど表情が見えず、これという映像の妙味工夫もない作品で、淡々と進むだけの展開は実にシュールそのもので、どう評価したらいいのかわからないような一本だった。
「トラップ」
コメディタッチを狙った感じのサスペンスで、その意味ではなかなか面白い作品だった。監督はM・ナイト・シャマランですが、そもそもB級サスペンスを作って来た監督としてはこういう境地もありではないかと思う。いかにもアホなFBIの存在や、物語のほとんどを占めるレディ・レイブンのエピソード場面、いかにも馬鹿面のクーパーのキャラクター、それぞれがツッコミどころよりも爆笑展開である。こういう作劇パターンもありという着想はなかなかの物だなと思える一本だった。
良き父クーパーと愛娘のライリーが、この日、念願のミュージシャンレディ・レイブンのライブに向かおうとしている場面から映画は幕を開ける。クーパーがいい席をとってくれたこともありライリーは大盛り上がりである。しかし、会場に着いたクーパーは、異常なくらいの警備員の数や警官の姿に不審に思う。やがてステージが始まるが、クーパーは理由をつけてはライリーの元を離れ会場周辺を調べ始める。そしてグッズ売り場の店員と親しくなり、この会場に世間を騒がせる殺人鬼ブッチャーが来るので警備が来ているという情報を手に入れる。どうやらこの会場を罠にして殺人鬼を呼び込み、その帰り際に逮捕する計画らしかった。
この後、クーパーは店員のIDを盗んだり警察の無線機をとったりするのだが、時折老婦人の幻覚を見る場面などもあり、明らかにクーパーこそが殺人鬼で、逃げる方法を模索しているのが本編だとわかってしまう。FBIの老練なプロファイラーの女性を警戒しながら、クーパーはライリーと脱出する方法をこれでもかとあみだしていく。
関係者に嘘をついて、ライリーを夢観る少女に選んでもらってレディ・レイブンのステージに立たせる。楽屋の出口は警備のチェックがかからないという情報を得たからだが、結局、レディ・レイブンを人質に近い状態にして彼女のリムジンに乗り込むことに成功する。クーパーは一人の男を拉致し、ガスを噴出するスイッチをスマホに仕込んでいて、レディ・レイブンが変な真似をしたら男を殺すと脅していた。
レディ・レイブンは、ライリーの家に行きたいと言い出し、ライリーの家でピアノを弾き、その動画を撮るクーパーのスマホをちょっとしか隙に手に入れてトイレに立て篭もる。そして自身のSNSで、拉致されている男を助けさせる。そこへ家族を二階へ追いやったクーパーが入ってくる。
しかし、拉致した男はすでに脱出していた。クーパーはレディ・レイブンを人質にして車で逃げようとするが、ガレージ前に家族が立ち塞がる。そして、警察も駆けつけるが、クーパーはガレージを閉めて、抜け穴から隣の家を通って脱出、警官の服を奪って、レディ・レイブンのリムジンの運転手になり代わりリムジンを奪う。そして、レディ・レイブンを手錠で拉致してリムジンを走らせるが、レディ・レイブンが窓を開けて群衆に助けを求め、そこに警察が駆けつけて、レディ・レイブンは助かるが、クーパーは服を脱いで民間人の中に消える。
クーパーの自宅では、子供達は妹の家に行き、妻のレイチェルがFBIのプロファイラーと話している。そして、レイチェルは一人残るが、家の中にはクーパーがいた。肉切り包丁で殺さんとするクーパーにレイチェルは、ライリーが作ったパイを最後に食べようと提案、クーパーはそのパイを食べるが、なんとそこには薬が混ぜられ、クーパーはフラフラになって立ち上がる。そこへFBIのショックガンが撃たれ、クーパーはついに逮捕。警察の車に乗る前に、庭の自転車を起こして乗り込む。全て終わったかと思われたが、自転車のスポークがはずされていて、護送車の中でクーパーは手錠を外して笑って映画は終わる。これはないやろうというエンディング。エンドクレジットの後、グッズ販売の店員がクーパーが犯人だと知って呆気にとられて暗転。
終始、コメディである。あり得ないあり得ないと繰り返しながら物語が進むが、ちょっと展開がくどすぎる気がし、ここをもっと鮮やかにすればもっと楽しい映画になったろうにと思った。まあ、最近のM・ナイト・シャマランはこの程度という作品でした。