「カジノ」
初公開以来の再見ですが、やはり傑作だった。これだけ映像を操れる人はいないでしょう。細かいカットと目まぐるしい人物関係の相関図を描いていきながら次々と展開するエピソードの羅列が全く退屈しない。しかも単純に面白い上に人間ドラマもしっかり描けているから凄い。やはり名作だった。監督はマーティン・スコセッシ。
主人公サムが家を出て車に乗ると、車が大爆発しサムが吹っ飛ばされる場面から映画は幕を開ける。予想屋の才能がある若き日のサムはカジノで頭角を表し、まもなくしてタンジールという店を任されることになる。カジノの金はボスと呼ばれるリオらの権力者が牛耳っていて、そこに集められていた。リオらに気に入られたサムはニッキーという相棒をつけてもらうが、何かにつけて暴力的なニッキーは問題も多かった。それでもニッキーはサムをサポートし、サムはみるみる大きくなって行く。
そんな時、サムはカジノに来ていたジンジャーという女性と知り合う。独特の魅力を持つジンジャーにサムは一目惚れし、やがて結婚するが、彼女はなぜかヒモのような男レスターが忘れられず、サムはあくまで金蔓でしかなかった。それでも二人の間には娘も生まれ、サムはジンジャーを信じて銀行に預けた隠し金の金庫の鍵も預けるほどだった。ところが、ニッキーがラスベガスに乗り込んで来て、ギャングまがいの行動で勢力を伸ばして来たため、警察やFBIから目をつけられるようになる。そしてとうとうニッキーはカジノ出入り禁止になってしまう。
そんなニッキーに、サムもできる限り保護してやろうとするが、ニッキーは自分なりの方法で力をつけて行く。一方、ジンジャーは何かにつけてサムの金を手に入れてレスターに手渡すようになり、薬やアルコールに溺れ、業をにやしたサムは次第に暴力的にジンジャーに接するようになる。ジンジャーはニッキーに相談し、いつの間にか体の関係になってしまう。さらに、リオらボスグループにも歪みが出て、口の軽いメンバーの言動からさまざまな裏情報がFBIに漏れ始める。そしてとうとう、FBIと警察はリオらを逮捕することとなる。
しかし、リオらは次々と証人を殺してしまい、ニッキーも殺される。ジンジャーは、サムの金を持って逃げたものの、結局たちの悪い連中に金を取られ、最後は薬物過剰摂取で死んでしまった。サムはこの日も車で出かけようとしたが、突然車が発火、しかし足元に金属板を敷いていたため、すんでのところでサムは一命を取り留める。
アメリカを離れ余生を暮らすサムは、今も予想屋の仕事で一から出直している。かつてのカジノは取り壊され、時代の流れの中大手企業が進出して、今はディズニーランドの如くなってしまったというナレーションの中映画は幕を閉じる。
三時間近くあるのに、そして目まぐるしいほどに次々と出来事が起こるにも関わらず、全く退屈しないし、ジンジャーを演じたシャロン・ストーンの熱演もあって、スクリーンから目を離せない。やはり見事な一本だった。
「妹」
荒削りなストーリーではあるけれど、面倒なメッセージなどもなく、兄の妹への思いを映像表現として淡々と描いて行く演出は見事なもので、ストーリー展開を生真面目に追って行くと視点を間違えてしまう、心象風景を描いたような秀作でした。監督は藤田敏八。
地下鉄のホーム、最終電車から一人の女性ねりが降りてくる。地上階段を出たところでおもちゃの時計を拾い、公衆電話から声色を変えて兄秋夫に電話をする。そして深夜、かつて食堂を経営していたらしい秋夫の家にねりがやって来て映画は幕を開ける。どうやら鎌倉に嫁いだのだが、夫耕三と別れて飛び出して来たのだという。詳細を聞いても的を得ないねり。翌朝、耕三の妹いずみがやってくる。耕三も行方がわからないのだという。
秋夫はもぐりの引っ越し業をやっていて、この朝、いずみを乗せたまま仕事に向かうが、荷台にねりが乗っていた。連絡をもらった場所に家がなく困っている秋夫に、ねりが、嘘の電話をしたと謝る。ねりは耕三とブティックを経営していたが、いずみを交えた関係がうまくいかなかったのではないかといずみは心配していたが、結局わからずいずみは帰ってしまう。
自分の妹と知りながらも、女の色香が漂うねりに戸惑う秋夫は、引っ越し仕事をした女子大生に誘われるままに体を合わせたりしてしまう。ねりは耕三の兄夫婦やいずみらに呼ばれて問い詰められたりするが、結局耕三が出て行った理由は分からなかった。ある時、ねりは叔母がやっている天ぷら屋で働くと出て行く。秋夫の恋人ミナコが時々出入りするので気を遣ったのだ。しかし秋夫はすぐにねりを連れ帰り、愛しい妹に、なけなしの金で買った花嫁衣装を着せて写真を撮り、これを持って耕三の帰りを待つようにという。
食堂も立ち退くことを決め、秋夫はねりを送り出すが、まもなくして、ねりが置き手紙を残して行方がわからなくなったといずみから聞く。海の見える寺で出家したらしいがその後もどこかへ行ったらしい。秋夫は行方不明のねりの写真を貼ったトラックでおでん屋をしながら過ごす場面で映画は幕を閉じる。
秋夫のねりへの複雑な思いを、ねりをまるで実在しない女性であるかのような心象風景の存在であるかに演出して行く展開が、次第に切なさに変わっていくのがなんとも言えない。一見荒っぽいが、その荒っぽさは、秋夫の気持ちを語る上で不可欠であるかのような絵作りに引き込まれてしまう一本でした。