くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「パピチャ 未来へのランウェイ」

「パピチャ 未来へのランウェイ」

バストショット以上のカメラアングルと時折挿入する手持ちカメラの映像が全体を緊張感あふれる仕上がりにした映画、こういうアルジェリアの現実をストレートに描かれると、やはりアメリカ映画にない重苦しさを感じてしまいます。30年くらい前を舞台にしていますが未来の見えない締めくくりがストーリーの明るさと好対照になっていたたまれなくなってしまいました。監督はムニア・メドゥール。

 

寮生活をする女子大生のネジュマと友達のワシラが、深夜、寮を飛び出してタクシーの中で着替えて、ダンスホールへ出かけるシーンから映画は始まる。軽快な音楽をタクシーで流してもらい、たどり着いたダンスホールのトイレで、ネジュマが注文を受けたドレスを販売する。青春真っ只中の女子大生の物語のように幕を開ける。

 

しかし、帰りのタクシーが来ずに、たまたま声をかけてもらった若者二人の車で帰宅するが、寮の壁など至る所に、女性の服装はヒジャブを着たこういう姿だというイスラム原理主義者のポスターが貼られている。

 

ネジュマには、アナウンサーをしている姉リンダがいる。仲の良い姉妹だが、ある時、リンダはネジュマの目の前でイスラム原理主義を狂信する女性に撃たれて死んでしまう。ネジュマはそんな世の中に反抗するべくヒジャブの生地にも使う布を加工したファッションショーを企画、ワシラやサミラにも協力を求める。

 

ところが、ネジュマの部屋にイスラム原理主義をうたう黒服の女たちがやってきて部屋を荒らす。次第に街中もイスラム原理主義の空気が強くなり、ネジュマがいつも行く生地屋もオーナーが変わってヒジャブ専門店に変わっていた。そして寮の周りにも壁が作られ、さらにネジュマの部屋が荒らされてめちゃくちゃにされる。しかも、交際していた恋人からも、男尊女卑的な発言を受け、どん底になるネジュマ。しかしワシラらが目覚め、再度ファッションショーを目指そうとするが、寮母は、危険だからと反対。

 

しかし食堂でネジュマたちは他の寮生にも訴え、外にわからない範囲でのファッションショー開催の了解を取る。そして当日、寮生たちの歓声の中ファッションショーが無事終わるかと思われた時、銃を持った男達が乱入。

 

何もかも終わったネジュマは、姉が好きだった赤い花を墓に備える。婚約していたサミラは破談となり行き場もなくなるが、ネジュマの母がそんな彼女を受け入れ、ネジュマが開こうとしている洋装店を一緒にやることになって映画は終わる。

 

結局、彼女らはいまだに変わっていない国で生活しているのだろうという未解決のまま終わっていくのは流石に重い。世界に訴えかけたいメッセージを痛烈に盛り込んだ作品で、バストショット以上のアングルを徹底した登場人物の表情で見せる演出が緊迫感を生み出して、見ている私たちに問題意識を投げかけてきます。良い映画ですが、ずっしりと心に残ります。

 

 

 

 

映画感想「おもかげ」「ホテルニュームーン」「アイヌモシリ」

「おもかげ」

何とも不純な映画、主人公に全然感情移入していかない上に、鬱陶しくさえなってしまった。ただ、ゆっくりと対象に迫っていく長回しのカメラワークがなかなかの作品で、カメラが物語を語るという演出は見応えありました。さらに音の演出も特に前半冴え渡っていたのは見事でしたが、後半に行くに従い、ひどくなっていくのは何とも言えなかった。監督はロドリゴ・ソロゴイェン。

 

主人公エレナとその母が帰ってくる。そこに元夫と旅行中の6歳の息子から電話が入る。父親が戻ってこない上に、自分がどこにいるかわからないという。パニックになるエレナはそのまま飛び出していく。そして10年後、息子が最後の電話をかけたらしいフランスの海辺のレストランでエレナは働いていた。と、まず強引なオープニング。

 

ある日、息子の面影を持つジャンと出会う。エレナが執拗にジャンに近づくので次第にジャンはエレナを慕うようになる。エレナはジャンに息子を思い描いているだけなのですが、ジャンは恋心に変わり、それに伴い、二人の周囲を巻き込んで戸惑いが広がっていく。エレナの恋人もそんな彼女を危惧して、早々に引っ越すことにし、その日がやってくるが、ジャンは両親とパリへ戻る日が来る。

 

ジャンは、両親の元を逃げ出し、エレナと最後に会おうとする。エレナは恋人から車を借りてジャンのところへ行き二人は口づけをかわす。そして、エレナが戻ってくるとラモンから電話が入る。こうして映画は終わるのですが、結局十年間も精神的に不安定なままの一人の女が、息子に似た少年に会い、何故か恋愛感情を抱いてしまう何とも一貫性のない作品で、中盤、ジャンに結婚を申し込まれ浮かれるエレナの醜いことはこの上ない。カメラワークや音の演出は見事ですが、何とも言えない鬱陶しい映画だった。

 

「ホテルニュームーン」

久しぶりに陳腐な凡作を見た。登場人物がまず生きていない。しかもカメラも平凡、脚本も陳腐、見ていられなかったがイランと日本の合作という珍しさだけで見た。監督は筒井武文

 

娘モナと母ヌシンがヌシンが腫瘍で手術しないといけないという診断を受ける場面から映画が始まる。ヌシンの行動を不審に思ったモナがヌシンを尾行すると、ヌシンが一人の日本人田中と会っている現場を目撃する。モナはてっきりこの日本人が本当の父親だと思い、調べ始める。

 

一方で、モナはカナダへ留学する計画を立てていた。恋人のサハンドとの関係も厳しい母ヌシンの関わりもあってややこしくなる中、ひたすら田中を調べるモナ。とにかく展開が凡庸で、今時テレビドラマでもやらない流れが続く。

 

サハンドはモナを疑い始め、例によって田中のある秘密は実は平凡そのもの。ヌシンは若い頃、恋人との間で妊娠するが恋人は去ってしまう。その合い挽きの場所がホテルニュームーンらしい。この展開もラストでやっとでてくるという適当さ。

 

そして一人日本へやってきたヌシンは田中に拾われ、そこで出産。子供のいなかった田中夫婦はヌシンの子供を引き取ろうとするが、手放しきれないヌシンは赤ん坊を連れてイランに帰る。そしてモナを育て、昔借りたお金を返そうと、イランに仕事でやってきた田中と会ったという経緯。ラストは、冒頭の腫瘍の手術にヌシンが向かうところで映画は終わる。何とも言えない平凡そのものの展開と、適当な脚本にうんざりし通しで、無理やりのラストも呆れてしまった。

 

アイヌモシリ」(リは正規では小文字です。)

典型的なローカルシネマという感じの一本、まあ北海道フェチみたいなものなのでこれはこれで楽しむことができました。監督は福永壮志。

 

阿寒湖畔アイヌコタンの村に住む中学生のカントは、この村を出ていくことを将来の夢にしていた。そんな時、土地のアイヌ人のデボから、森の奥に隠して飼育している子熊の世話を一緒にしようと提案される。

 

こうして、カントはその子熊をペットのように餌を与えて可愛がるが、デボはこの熊をイヨマンテの儀式にする予定だった。イヨマンテとは、アイヌ民族全員で世話をした子熊を旅立たせる、つまり殺して自然に返してやるとい伝統的な行事でここしばらく行われていなかった。

 

村人たちの複雑な心境の中、イヨマンテの儀式が行われることになりカントは儀式にも出席しないものの、そこにある何かを感じ取って一つ大人に成長する。

 

細かいエピソードの数々が雑に処理されているので、カントの成長の物語や儀式が持つ深いメッセージなどは全然伝わってこない作品ですが、阿寒湖畔の姿やイヨマンテの儀式などが見れたのは良かったかなという作品でした。

映画感想「ラブストーリー」「アウェイデイズ」

「ラブストーリー」

16年ぶりの再見、大好きな韓国映画の一本です。決して映画として出来の良いものではないのですが、二代に渡るピュアなラブストーリーの展開にのめり込んでしまうのです。音楽もいいし、やはりラストは涙ぐんでしまいました。監督はクァク・ジェヨン

 

大学生のジヘが母の手紙を見つけるところから映画は始まる。風に舞う手紙、白い鳩といかにもなオープニングはともかく、母の手紙を開いた途端、物語は母の初恋へと飛んでいく。

 

ジヘの母ジュヒは、あるとき都会から田舎に引っ越してきた。家が名家なので、交際相手も厳しくされた。そんな彼女に想いを寄せていたのが同じく名家のテス。彼は友達のジュナにジュヒ宛のラブレターの代筆を頼んでいた。一方現代のジヘも、友達に、好きな先輩サンミンヘのメールの代筆を頼まれていた。

 

ジュヒはいつもテスについてくるジュナにいつの間にか恋心を持ち始める。そして、ジュナとジュヒはテスに隠れて逢瀬を重ねていくが、友人が恋焦がれる女性との恋に悩むジュナだった。一方現代ではジヘも密かにサンミンに憧れを持ち始め、サンミンもジヘの想いが募り始めるが、友達への手前ジヘも悩んでいた。

 

こうして過去と現代のピュアなラブストーリーが重なって展開していく。ところが、ジュヒに失恋したテスは自殺未遂を起こし、それを知ったジュナはジュヒに貰ったネックレスを残して姿を消してしまう。時はベトナム戦争真っ只中となり、韓国でも出兵が始まっていた。

 

時がすぎ、高校を卒業したジュヒは、ジュナが出兵すると聞き、テスと駅へ向かう。そこでジュヒはジュナにネックレスを返す。ジュナはそれを戦場で死守したために重傷を負って帰ってくる。ジュヒの前に現れたジュナの目は見えなくなっていた。

 

ジヘは幼い頃、母ジュヒと河原で遊んでいるときに、思い出の川に遺灰を撒いてほしいとやってきたジュナの家族と遭遇する。そのときに見た虹をジヘは覚えていた。現代、ジヘは友達に全てを告白し、サンミンと恋人同士になって河原を歩いていた。ジヘは母の初恋の物語をサンミンに語り終える。サンミンはゆっくりと首のネックレスを見せる。それはジヘの母ジュヒがジュナに与えたものだった。サンミンはジュナの息子だったのだ。

 

過去に一緒になれなかった恋人たちが子供の代になって恋が成就するラストに涙が止まらない。もちろん、韓国映画独特の稚拙な場面もないわけではないが、雨の使い方や、蛍や古い建物の使い方など、それなりにしっかりと物語を支える脚本になっているのはとってもいい仕上がりです。

 

オープニングのクラシックの名曲からオリジナル曲へ流れる静かなリズムも作品を盛り上げ、私的なラブストーリーの名編に仕上がっていると思いました。

 

「アウェイデイズ」

イギリス映画らしい淡々と描かれる青春ドラマが、静かにしみ入ってくるいい作品でした。監督はパット・ホールデン

 

母の葬儀の場面、カーティはその場で服を着替えて走り出す。バックに流れる曲がまず良い。そして、地元のギャング集団パックに近づく。そして、入るでもなく入って、ひたすら喧嘩を繰り返し始めるカーティ。メンバーの一人エルヴィスがそんな彼に興味を持ち始める。

 

物語はパックのメンバーが遠征と称して列車やバスに乗ってあちこちの集団といざこざを起こしながらも、行き場を見つけられない若者たちの姿を当時の音楽を背景に流して描いていく。

 

いつの間にか、カーティに友情以上のものを感じ始めるエルヴィスは、その気持ちを受け入れてもらえず、列車に飛び込んでしまう。パックの組織内でもいざこざが起こり始め、次第に自分の生き方に疑問を感じ始めるカーティ。

 

そして組織のリーダーも変わり、変化していく中、いつの間にか集団から抜けていくカーティの姿で映画は終わる。イギリス映画らしい空気感が素敵な作品で、こういうちょっと知的な感じのする映像もまた楽しい。

「ザ・ライフルマン」「朝が来る」

「ザ・ライフルマン」

ラトビアの近代史の汚点の一つを描いた作品ということで、勉強していったが、やはりわかりづらい部分もあった。反戦ではなく一人の人間のドラマであり、歴史の一ページという内容で、描かれる表面部分の奥にあるものを感じ取りきれなかった感じでした。監督はジンタルス・ドレイベルグス。

 

戦闘でクタクタになり行軍する兵士たちのカット、時は1915年、第一次大戦真っ只中である。そして物語は2年前に遡る。静かな村で両親と暮らす主人公のアルトゥルス。そこへドイツ兵がやってきたので母はアルトゥルスをベッドの下に隠し、応対に出る。そしてなんとかやり過ごしたと思われた矢先、吠える飼い犬を叱っていた母はドイツ兵に殺される。

 

アルトゥルスと父は軍に志願し、第一次大戦の前線へ向かう。父はかつての英雄で、軍隊経験も長かった。アルトゥルスは、最初は遊び半分で軍隊にいたがまもなくして、戦争の悲惨さに直面する。

 

ドイツ軍の侵攻が激しい上に、ロシアからは十分な援軍を回してもらえず、ラトビアの軍隊は盾のような形でドイツ軍を迎え撃っていた。次々と仲間が死んでいく中、人殺しをすること自体に疑問を感じ始めるアルトゥルスは、上官の命令に逆らったことをきっかけに戦友と軍を逃亡する。ところが友人は途中で追っ手に撃たれ死んでしまう。なんとか故郷へ戻ってきたアルトゥルスだが、ラトビアの国は志願兵を募り、自らの存在を見せつけようとなっていた。時は第一次大戦の末期に近づいていた。

 

子供のような兵士と脱走兵などで組織された軍隊に統率などなく、次々と敵に撃たれ、何をして良いかわからない少年たちに向かって、アルトゥルスは立ち上がり、構えから撃つまでの動作を指揮し始める。そして自らも率先して敵に向かうが、体を銃弾が突き抜けていく。映画は、こうして終わっていき、ラトビアの国の近代史の一ページの悲惨な戦闘のテロップが流れる。

 

アルトゥルスが関わる人々とのドラマをもう少し上手く描けば、戦場シーンが浮き上がったと思うのですが、そこが曖昧なために、ちょっと雑な仕上がりになった感じです。映画自体はそれほど仕上がりの良いものではないですが、知らない歴史を知ったという意味で見る価値のある一本だと思います。

 

「朝が来る」

優等生のように良くできた見事な映画です。脚本の構成、カメラ演出の工夫、ストーリー展開のリズム、どこをとっても教科書のような出来栄えなのですが、いかんせん鼻につく。細かい演出のさりげないところがあざといほどに見え見えに感じて、スッと感情を放り込めないところがある。監督の河瀬直美の手腕でもあり欠点でもある。そもそもこの監督が嫌いなのは、どうも鼻につく細かい演出なのです。ただ、良い映画でした、引き込まれました。

 

いかにも誠実な夫清和と妻の佐登子には愛する息子朝斗がいる。ただ、二人には子供ができないために養子をもらったのである。この舞台設定から映画は始まる。そして、物語はこの夫婦が恋人同士だった頃に戻り、やがて結婚するが清和が無精子症で子供ができないことがわかる。しばらくは札幌まで不妊治療に行っていたが、ある時を境に諦めた二人は旅行にいく。そこでたまたま養子縁組を仲介をしているボランティア団体の報道をテレビで見る。そしてその団体の主催浅見静江と会い、まもなくして一人の赤ん坊を養子に迎える。その赤ん坊の母親は片倉ひかりという中学生だった。

 

ある時、佐登子の家に電話がかかる。その相手は片倉ひかりだという。驚く佐登子だが、清和と一緒に会うことにする。やってきたのは金髪のいかにもヤンキー風の女だった。そしてその女は、子供を返すか金をくれと迫る。佐登子はその女に、あなたはひかりではないと告げる。そして物語は片倉ひかりの中学時代に移る。

 

憧れの同級生と恋に落ちたひかりは、間も無くして妊娠していることがわかる。両親も驚愕し、その対処に困っている時、浅見静江の主催する団体を知り、彼女の元へひかりを預ける。ひかりは広島の沖合の島にある浅見静江の施設に行く。そこにはひかりと似た境遇の女性たちがいた。まもなくして男の子を産んだひかりは、佐登子たち夫婦に子供を引き取ってもらう。その引き取りの場で、佐登子と清和はひかりと会う。ひかりは、子供を託した後、高校受験を進めるはずが家を飛び出し新聞配達をしていた。

 

住み込みで新聞配達をして暮らしていたひかりだが、同じ部屋に一人の派手な女性と同居するようになる。ある時、店にヤクザ風の男が来て、いつの間にかひかりは同居の女性の借金の保証人になっていた。まあこの辺りはかなりありきたりでリアリティが薄いのだが、ひかりがいかにも純粋な中学生から金髪のヤンキーに変わっていく様の時間の流れが実にうまい。そして、ひかりは佐登子に電話をする。

 

そして、ひかりは佐登子夫婦のところにやってくる。ひかりの脅しに、清和らは何もかも朝斗が知っていることなどを訴える。そこへ朝斗が幼稚園から帰ってくる。会うかどうか迫る佐登子夫婦に、ひかりは土下座して、自分は片倉ひかりではないと答える。

 

そして、ひかりが帰った後、かつて赤ん坊を受け入れたときに片倉ひかりが佐登子に託した手紙を再度見てみると、文面の後に、何かを書いた跡があった。それを鉛筆で擦ってみると、ひかりの本心が浮かび上がる。片倉ひかりは、佐登子らと会った後、新聞屋から姿を消していて、刑事が探しに来ていた。佐登子は、ひかりを見つけ、あなたの本心がわかっていなかったと涙を流す。そばに朝斗もいた。そして、佐登子は以前から話していた広島のお母ちゃんはこの人だと告げて映画は終わる。

 

浅見静江の場面は、ドキュメンタリータッチのカメラワークを徹底し、前半の佐登子夫婦のカメラと明らかに違う演出を行なっている。しかも、やってきた金髪女は誰?というミステリー、さらに、刑事の訪問、手紙の謎、など、最後まで観客の興味を離さないように構成された脚本が見事。ただ、エンドロールでの歌に朝斗の声を入れてみたり、途中途中に挿入されるインサートカットが実にあざとくて、賞狙いを意識したかに見える演出はいただけない。映画自体にやや余裕がないために息をつかせない硬さが少し気になる映画でした。

映画感想「キーパー ある兵士の奇跡」

「キーパー ある兵士の奇跡」

可もなく不可もなしという良質の作品でした。もうちょっと思い切ったキレのある毒があっても良かった気がしますが、その辺りを抑えたために映画にハリがなくなった感じですね。でも良い映画でした。監督はマルクス・H・ローゼンミラー。

 

一人の女性マーガレットがダンスホールで踊っている。時は1944年。カットが変わり、森の中をいくドイツ軍。敵に攻撃され、ドイツ兵のトラウトマンはイギリスの捕虜となる。

 

捕虜収容所では、イギリス軍曹スマイスによる執拗ないじめが繰り返されるのだが、サッカーが好きだったトラウトマンは、キーパーの真似事をして遊んだりする。この収容所シーンがもう少し毒があれば映画がしまった気がするが実にさらりと描かれている。そこで地元のサッカーチームの監督にスカウトされ、ゴールキーパーとして活躍し始める。しかし、敵国ドイツのトラウトマンへに風当たりはキツく何かにつけ蔑まれる。ここが非常に弱い。しかし、ひたすらゴールキーパーとして実績を重ねるうちに受け入れられ、さらに監督の娘マーガレットとも心を通じ始める。そして、ある時、イギリスのプロチームマンチェスターシティの監督ロバーツに見出される。

 

やがてドイツ兵が釈放される日が来て、マーガレットと結婚も決めたトラウトマンはマンチェスターシティのチームに入る。しかしここでも市民の反感は強く、チームのイメージダウンに近いことになるが、マーガレットの父とマーガレットが、トラウトマンが責められる現場に乗り込み、さらにその行動に心打たれた地元のラビの声明もあって、トラウトマンの立場は緩んでいく。そして、試合で大活躍していくトラウトマンだが、ある時試合中に大怪我を負う。それでも最後まで試合に出てマンチェスターシティは優勝。

 

入院するトラウトマンは自宅に電話するが、その時、アイスを買いに出た一人息子が事故で死んでしまう。実は戦場で、一人の少年が撃たれるのを庇いきれなかった過去がトラウトマンにはあった。

 

子供の墓にきたトラウトマンは、そこで家族をドイツ軍に殺されたスマイスと再会する。そして立ち直ったトラウトマンは再びチームに戻り活躍し始めて映画は終わっていく。トラウトマンもマーガレットも立ち直ったというテロップとともにエンディング。

 

丁寧に描かれた脚本と、やはり自国の映画ということもあって、ドイツもイギリスも戦争非難への極端なシーンがほとんど抑えられているのがはっきり見えてしまい、映画が、もう一歩わくを越えられなかった感じでした。でも良い映画です。

映画感想「薬の神じゃない!」「靴ひも」

「薬の神じゃない!」

中国のプロパガンダ映画ですが、娯楽映画としては相当によくできていました。物語の構成、キャラクターの配置、ストーリー展開、ともにオーソドックスながら、素直に胸が熱くなって涙が溢れてしまいました。良かった。監督はウェン・ムーイエ。

 

上海で輸入の強壮剤を中心に商売をしている主人公チョンは、商売もうまくいかず家賃も払えず、妻は息子と出て行ってろくでもない毎日を送っていた。そんな彼のところにリュという一人の男が紹介されてやってくる。彼は白血病なのだが、スイスの輸入薬が高くて治療を続けられない。インドのジェネリック薬を輸入してもらえないかと持ちかけてくる。もちろん違法行為なのだが、前金を預かることを条件にチョンはインドへ向かう。

 

現地の製造業者と交渉して、安価で手に入れたチョンは、早速上海へ戻るがなかなか売れない。リュはダンサーで娘が白血病のスーフェイを通じて患者の会に拡散。みるみる患者が集まり、チョンは正式にインドから輸入する代理店契約を得る。さらに、金髪の青年で家族に白血病がいる若者や牧師なども参加して組織的に販売を増やして行くチョン。しかし、ある時、チャンという紛い物の偽薬取扱の男が登場し、チョンの仕事を妨害し始めるが、チャンをやり込ませたものの、チャンはチョンを妨害して行くる。

 

一方警察も正規薬の会社の依頼もあって偽薬の取り締まりを強化、若い刑事が担当となって捜査を始めるが、成分が同じで価格だけが安いということを知り、この取り締まりに若い刑事は疑問を感じてしまい、なかなか本気に捜査が進まない。

 

チャンは違法薬の輸入は罪が重いから、販路を売れとチョンに迫ってくる。チョンも、いずれは辞めないといけないと判断し、チャンの申し出を受け、組織は解散する。そして一年が経つ。

 

チョンは別の事業を起こして成功していたが、チャンは値段を上げたために密告され逃亡していた。安い薬が手に入らなくなったリュは症状が悪化し、まもなくして死んでしまう。チョンはもう一度薬を調達することにし、インドへ打診する。そして仕入れた薬を原価で販売し始める。しかしスイスの薬品会社の本社がインドにも圧力をかけ、製造ができなくなる。チョンは小売りから高めに買い戻したインドの業者から仕入れ、赤字のまま販売を進める。自分の使命だと判断したチョンは危険を覚悟で上海のみでなく全国へ販路を広げる。

 

一方警察は、チョンらが港で搬入する現場を捉えていた。たまたま、チョンのところを離れてトイレに行った金髪青年は、パトカーを見つけ、チョンを逮捕させないために、車を奪って薬ごと逃走し、パトカーに追いかけられ事故を起こす。病院で金髪青年は死に、駆けつけたチョンはその場で逮捕され、裁判となる。一方、追っていた若い刑事は上層部の対応に嫌気がさして退職する。

 

チョンは裁判にかけられるが、情状酌量で5年の実刑で止められる。護送されるチョンの車の周りには白血病の患者たちが見送る。そして、3年で減刑されて出所してきたチョンをかつての若い刑事が出迎えて映画は終わる。

 

映画の常道に乗っ取ってストーリーが進むのとエピソードの配分が良いために、娯楽映画として素直に見ていられるし、メッセージも嫌味なく伝わって胸が熱くなる。プロパガンダ映画ですが、良い映画だったと思います。

 

「靴ひも」

物語はよくある展開でこれというのはないのですが、主人公がガディなのかルーベンなのかが、それぞれのエピソードの配分が同じレベルなので、今ひとつまとまらない作品でした。監督はヤコブ・ゴールドワッサー。

 

小さな自動車修理工場を営むルーベンのところに一本の電話が入る。別れた妻が事故で亡くなったという。葬儀の場に行ったルーベンはそこで、30年以上も遠ざけていた息子のガディと出会う。彼は発達障害がありサポートが必要だった。施設が見つかるまでガディの世話をするようにソーシャルワーカーのイラナに言われたルーベンは仕方なくしばらく引き取り、工場の仕事をさせる。

 

最初はギクシャクしていた二人だが次第に打ち解け始め、お互いに愛おしむようになる。しかし、ルーベンは腎臓の機能が弱り透析しないといけなくなる。しかもかなり悪化していて、早急な腎臓移植が必要だった。

 

近親者に提供者がいない中、ガディが唯一のドナーと考えられ、ルーベンもそれを受け入れることになる。そして手術をするが、ルーベンは感染症を起こして死んでしまう。ガディは、かねてから予定していた村のような施設へ行くことになり、体験で行った時にみそめた一人の女性と恋人同士になって映画は終わる。

 

じゃあ、ルーベンのイラナとの恋はなんだったのか?ガディが靴ひもを結ぶという、題名の由来にもなっているエピソードは何だったのか?今ひとつ、全体の流れに一貫性がなく、ラストもこれという工夫もない作品でした。

映画感想「本気のしるし 劇場版」

「本気のしるし 劇場版」

連続ドラマの再編集らしいストーリー展開とキャラクター設定、しかも鬱陶しい女とこれまた鬱陶しい男に、ぐだぐだした展開に、特に前半はスクリーンにものを投げようかと思った。後半、少しほぐれてきた一方で平凡な展開に変わって行くのがなんとも言えない仕上がり。ラストは大体予想できる締めくくり、映画としての出来栄えはまあまあですが、個人的には耐えられない作品でした。監督は深田晃司

 

おもちゃ販売の会社に勤める一路は、この日小売店の品物の不備を見つけて持ち帰る。帰り際、店長にまた飲みに行こうと言われ、面倒臭そうに車に乗る。会社に戻って見ると美奈という若手社員が怒られていて、先輩の細川が庇っている。倉庫にいると恋人の美奈がやってきてキスをする。一路が家に帰ると、そこで待っていたのは細川だった。こうして一路の舞台が紹介される。

 

ある夜、コンビニで一路は葉山浮世と追う女性と知り合う。コンビニの帰り、浮世の運転する車が踏切で立ち往生し、それを一路が助けるが、警察の聞き取りに、運転していたのは一路だと言い、一路は困惑する。すぐに浮世は訂正するが、タクシー代がないからと言うので一路はタクシー代を貸してやる。どこか気になる一路のところにレンタカー会社から電話が入り、浮世に連絡がつかないという。

 

そしてなんとか浮世を見つけ自宅で寝かせる一路。時々やってくる細川にも浮世の存在を知られる。さらに浮世にはヤクザに多額の借金があるらしく、風俗に売られようとしている。そんな浮世の借金を肩代わりする一路に興味を持った二がヤクザの男脇田だった。

 

一路はたまたま街のベンチで寝ている浮世を見つけ、金を与えて、浮世の家らしいところへ行くが裏から入る。家賃滞納で取り立てが来るらしい。とりあえず、その場は帰るが、後日尋ねると誰もいない。そこへ一人の男正がやってくる。彼も浮世を探していると言う。

 

物語は、何かにつけだらしない上に、男にフラフラくっつく浮世と彼女に振り回される一路の展開となる。実は正は浮世の夫であることがわかり、どうやら浮世は正に拉致されている様子。それでも、必死で戻ってほしいと言う正について浮世は一路のもとからさる。こうして物語は後半へ。

 

一路と細川は、たまたま一緒のところを美奈に隠し撮りされ会社の人事部に知らされ、社内恋愛禁止の処置で細川は転勤させられる。その流れで、一路と細川は結婚する方向へ。そんな頃、家にいられなくなり逃げ出した浮世は一路のアパートに転がり込む。

 

また、一路は美奈に恋愛感情はないとはっきり言ったため、逆恨みした美奈は会社の発注を操作して迷惑をかける。その尻拭いに奔走する一路の前にIT企業で成長する会社の社長峰内が紹介される。そして、一路の苦境をカバーする代わりにヘッドハンティングに応じてほしいと言う。実は峰内はかつて浮世と心中未遂事件を起こしていた。一路は気持ちがはっきりしなくなり、細川と結婚できないとはっきり伝える。

 

こうして、物語は新たな展開へ。まもなくして峰内の会社の不正が表に出て、峰内を助けるのは私しかいないと浮世は一路の元を離れて行く。一方、一路は細川との婚約を破棄し、会社も辞めて何処かへ消えてしまう。一路が行方不明になったことを知った浮世は、本当に愛しているには一路だとわかり、峰内の元を去る。こうして一年が経つ。

 

浮世は健康食品のセールスをしながら一路を探し始める。そして三年が経った頃、突然脇田がやってきて、一路のいどころを200万で買えと言う。浮世は金を払い、脇田に聞いた場所に行くとそこのアパートは火事にあっていた。途方に暮れた浮世は夜の公園で、偶然ベンチで寝ている一路を発見、自分のアパートに連れ帰る。しかし、一路はこれでは昔と何も変わっていないと出て行く。

 

浮世は追いかけ、踏切に自ら入って一路に助けられ、「愛してる」と初めて口にして抱き合ってエンディング。少しストーリーの前後が間違っておるかもしれませんが、とにかく浮世の何十回と出てくる「すみません」のセリフが鬱陶しい。もちろん意図した脚本だし原作もあるので仕方ないのですが、たまらなくめんどくさい女と、さらにそんな女に振り回される男の不甲斐なさがたまらない映画でした。嫌いな映画です。