くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「羊飼いと風船」

「羊飼いと風船」

静かで地味な映画ですが、非常にクオリティの高い抒情詩の様な一編でした。監督はチベットのペマツェテン。

 

中国では家族計画の政策が進んでいるというテロップから、舞台は広がる草原と羊たちが群れているチベットとなる。祖父、若夫婦、その子供達という三世代で羊を放牧して暮らすドスカルらの家族、この日二人の息子が風船と称して遊びまわっている姿から映画が始まる。その風船とはコンドームを膨らませたもので、母ドスカルの枕の下から見つけたのだという。叱責する父タルギュに、子供たちは街に行ったら風船を買ってきて欲しいと頼む。

 

タルギュは、牡羊を借りてきて、雌羊に種付けしようとしている。長男は学校へ行っているが、長男を迎えに行った母ドスカルは、長男の担任の先生が、かつての妹の恋人で、何かがあって、妹は尼になっていた。その妹はその男性から一冊の本をもらっていた。

 

淡々と進むさりげない物語なのですが、それとなく、現代のチベットの姿を浮き彫りにしていく映像が見事です。ドスカルは、診療所へ行き、避妊手術をして欲しいと頼む。避妊具のコンドームも無くなってしまい、一方夫のタルギュは旺盛なので、心配したくないのだという。診療所の女先生は、配給のコンドームが切れているので、自分のを一つ分けてあげると渡す。しかし、枕の下に隠していた一つを子供が見つけ、風船にして隣に住む友達の笛と交換してしまう。

 

それをなじる隣の家の父親。この場面が、本来ならユーモアあふれる場面なのだが、この作品ではどこか現実的でシリアスな場面に見えるのが不思議です。そんな時、祖父が亡くなる。家族で火葬にし、祖父の魂の転生はいつになるかと高僧に聞きにいくタルギュ。ドスカルは近いうちに羊が子供を産む夢を見る。

 

まもなくして、ドスカルは妊娠してしまう。堕胎したいと夫に詰め寄るドスカルに夫のタルギュは猛反対する。祖母の転生が長男だったので、祖父の魂も転生して欲しいと願っているのである。しかし、生活を考えると堕ろすしかないというドスカルは一人診療所へ行く。しかし、手術寸前でタルギュと長男が駆けつけ、転生して欲しいので産んで欲しいと懇願する。

 

場面が変わり、タルギュが街に羊を売りにいく。あまり高く売れなかったが、タルギュはその金で風船を二つ買って帰る。そして二人の息子に与えるが、一つはすぐに破れてしまい、もう一つは手を離れて空に上がっていく。登場人物たちそれぞれが空に登る赤い風船を見上げるシーンで映画は終わる。

 

色調を抑えた画面と、透き通るほどに広がる大草原、そして羊たち。その中で素朴に暮らす家族の物語は、特に大事件が起こるわけではないけれども、伝わってくる何かがある。その描写が素晴らしい一遍でした。

映画感想「ヤクザと家族 The Family」「名も無き世界のエンドロール」

「ヤクザと家族 The Family」

映画の出来栄えは一級品だった。ここまで重厚な人間ドラマはここしばらく日本映画で見てこなかった気がします。二重三重に練り込まれた物語に圧倒されました。ただ、何か違和感があります。どこか脚本を書いた藤井道人の偏ったメッセージが見え隠れするように思うのは考え過ぎでしょうか。ラストシーンは涙ぐんでしまうのですが、素直な感動ではない。この違和感が払拭されたら紛れもなく最高の一本だったと思います。監督は藤井道人

 

時は1999年、不良グループのリーダー山本賢治は、父親が自殺したというので葬儀に出ている。ヤクザで薬中でもあった父を半分軽蔑しながら山本は仲間と連んでバイクを乗り回している。いつもいく木村愛子の経営する焼肉屋に行き適当に過ごしていた。そこへ、柴咲組の組長柴咲博らが焼肉を食べに入ってくる。木村愛子の夫は元柴咲組の幹部だったが、殺されたのだ。

 

そんなところへ、アジア人らしい強盗が飛び込んできて暴れ始める。そして、あわや柴咲博も危ないとなった時、切れた山本はアジア人を殴り倒してその場を収め逃げる。後日、柴咲組の幹部中村が山本の部屋にやってきて山本を組事務所に連れて行く。山本は柴咲に礼を言われながらも、ヤクザを嫌う山本は柴咲の名刺だけ受け取りその場を去る。

 

ところが、山本らがたまたまドラッグの売人から薬と金を奪ったことから、その売人の組織ヤクザ加藤らが山本らを襲う。そして仲間ともども捕まってしまう。そして臓器売買で売り飛ばされる寸前、山本が持っていた柴咲の名刺を加藤が見て、山本らは中村に引き渡される。それがきっかけで山本は昔ながらの義理と人情のヤクザ道を進む柴咲組に入ることになり、盃を交わす。

 

時は2005年、今や幹部級となった山本はかつての弟分細野らを連れて柴咲組を守っていた。恋らしいものも手に入れ、苦学生の工藤由香とも知り合う。しかし警察と癒着して今時の世渡りをする加藤らの組織は何かにつけ柴咲組を目の敵にし、ある時、柴咲博を誘き出し亡き者にしようと襲いかかる。その時、運転していた山本の弟分が死んでしまい、山本も怪我を負う。加藤らは警察に手を回し、うまく丸め込もうとするが、堪えられない山本は病院を抜け出し、細野に拳銃を手配させ、加藤の右腕の川山を襲う。ところがそこへ中村が飛び込み川山を刺す。山本は中村のドスを取り、身代わりとなり中村を逃す。

 

それから14年が経ち、山本は出所してくる。彼を出迎えたのは中村だった。柴咲組の事務所にやってきた山本は、あまりにも変わってしまった組の姿を目の当たりにする。暴対法でまともなヤクザ仕事はできなくなり、収入も減る中、組員は次々と辞めて、柴咲博も癌に犯されていた。中村がなんとか残った数人の組員を養っていたが山本と親しかった細野も今は結婚して娘もいて普通に生活をしていた。しかし、山本と接触することさえも躊躇するほど世の中は変わっていた。

 

細野が由香の居場所を見つけて山本に知らせる。由香は今は公務員となり、14歳の娘もいた。山本が逮捕される直前由香を抱いたときの子供だった。一時は由香から離れようと考えたがどうしても忘れられず、そんな山本に入院している柴咲博は除籍するように勧告する。山本は細野の口利きで産廃業者に就職し、由香らと暮らすようになる。ところが、たまたま細野の同僚が細野と山本の写真をSNSにアップしたことからその素性がバレてしまい、細野は家庭を無くし、由香も役所をクビになり娘も学校に広まり、由香は娘を連れて家を出ていく。

 

山本は木村愛子の焼肉屋へやってくる。そこにはかつて幼かった愛子の息子翼が今や半グレとなって街を牛耳っていた。そして何かにつけて山本の力になろうとするが、そんな中、たまたま加藤に呼びつけられて出かけて、自分の父親を殺した相手が加藤で、警察とも癒着していることを知ってしまう。翼は復讐を誓い、加藤のところへ向かうが、一足早く山本が加藤に襲いかかり殴り殺していた。

 

再び刑務所に入ることを決意し、港にいる山本に一人の男がドスで突き刺してくる。なんと何もかも失った細野だった。山本に恨言を言いながらも涙ぐむ細野。やがて山本は海に落ちて死んでしまう。

 

山本の死んだ場所に立つ翼は花束をそっと置く。帰ろうとしたところへ由香の娘がやってきて、父のことを教えて欲しいという。その娘が山本の娘と分かった翼は、娘に語り始めて映画は終わる。

 

人間ドラマとしては恐ろしいほどによくできていて、圧倒されるほどに感動してしまいます。しかし、何か引っ掛かるのは、ヤクザも人間として扱えというやや偏見めいたメッセージと、出てくる警官が悪徳警官として描いたという正反対のキャラクターの存在ではないでしょうか。確かにヤクザという存在を手放しで毛嫌いするべきではないのかもしれないし、人間であることに変わりはないというメッセージはわかるのですが、ややその部分が押し付けがましく感じるのは私だけでしょうか。いい映画です。一級品の仕上がりだと思いますが、しかし絶対おすすめと書き辛い映画でした。

 

「名も無き世界のエンドロール」

面白いんだけれど、原作もそれほど大したことはないというのが見え見えで、さらに脚本もあまり仕上がりは良くないので、全体が非常に薄っぺらいラブストーリーに仕上がったという感じです。主演の二人の存在感が実に薄くて、あれだけのことをするに至る心理的な切迫感が全然見えてきませんでした。監督は佐藤祐市

 

サンタの格好をしたキダが街を歩いている。時はクリスマスイブ。親友のマコトとと話をしていて、今日がプロポーズ大作戦の仕上げだと言っている。そして物語は彼らの小学校時代へ遡る。映画は小学校時代から順に時間を進める一方で現代の場面と交互にしつこく描かれていきます。

 

悪戯が好きで、なにかのつけキダをからかうマコトたちの姿、そんな二人と仲の良い少女ヨッチ。キダとマコトのクラスにヨッチが来たのは小学校の時。前の学校でいじめられ、自分の存在さえも消されてきたヨッチは、同じく両親のいない境遇のマコトとキダとすぐに仲良くなる。そしていつも二人で過ごすようになっていた。

 

マコトとキダは学校を卒業し自動車工場で働き始めていた。ある日、真っ赤なポルシェに乗ったリサという女がやってきて、金はいくらでも出すから内緒で修理して欲しいという。二ヶ月ほど前に犬を轢いてヘッドライトのあたりをへこませていたリサは、免許も車検証もないというので、社長は一旦断るが、少しして突然受けると言い出す。強引な流れである。マコトはリサに食事に誘うが、見下げる仕草で高飛車に断られる。

 

マコトとキダは高校になり、相変わらず三人一緒に過ごしている。そんな雨のある日、キダはヨッチに告白するが、ヨッチはマコトに数日前に告白されたので諦めて欲しいという。

 

自動車工場で働く二人だが、マコトはある日突然辞める。このままではリサのような女を手に入れられないと考えたのか、それから行方不明になる。そんな時、突然、工場の敷地が道路にかかり、工場は閉鎖せざるを得なくなる。社長はキダに幼馴染で輸入代行を仕事にしているが裏の仕事もしているという会社の社長を紹介する。なんという無理のある展開。

 

キダはそこで交渉屋の仕事をし始めるが、持ち前の性格で社長にも気に入られる。キダはそこでマコトの居場所を見つける。行ってみるとマコトは必死で金を貯め、ワインの会社を買い取ることにしていた。やがて会社社長の地位になったマコトは何かにつけキダに頼み事をし、リサを手に入れるための画策を進めていく。この辺りもかなり雑。

 

修理工場に勤め始めた頃、マコトはキダに、ヨッチへのプロポーズ大作戦を手伝って欲しいと言っていた。キダはサンタの格好で花火の準備をし、マコトはヨッチにサプライズをするべく買い物帰りのヨッチを待っていた。ところが、なかなか来ないのでマコトはヨッチを迎えにいく。

 

リサの父は国会議員で、実はリサの事故も父親が隠蔽し、修理工場にも無理を言って修理させ、最後には立ち退かせるという汚い手段を使っていた。そして、物語は現代、キダはサンタの格好をしてあるイベントに潜入していた。この日モデルでもあるリサのイベントがあり、会場に巨大スクリーンが設置され、若者が集まっていた。

 

その巨大スクリーンに突然、近くで控えているリサの部屋が映る。そこに現れたのはマコトで、マコトはリサと交際していたが、この日リサに最後の言葉を告げる計画だった。マコトは、リサと出会ったのは修理工場であったこと、リサが轢き殺したという犬こそヨッチだったこと、そして何もかもリサの父親が握りつぶしたことを告げる。リサは逆ギレし、マコトを罵倒する。その様子は巨大スクリーンに映されていた。マコトはキダに頼んで爆弾を用意し、リサに部屋で爆破させるつもりだった。

 

ある程度の告白が明るみになったところで、キダはマコトにそれ以上やらないように、部屋に向かうが、行ってみた部屋は違う部屋で、直後向かいのホテルに部屋が爆発する。マコトのキダへの最後の悪戯だった。こうして映画は終わっていく。

 

最後に真相が明らかになる降りは終盤予測できる上に、あまりサプライズなテンポが生み出せていない。さらにここまで執念深くマコトが思い込むという熱い恋愛感情がスクリーンから伝わってこないので、非常に物語が弱い。決して演技力のない役者ではないが、演出の弱さか脚本の弱さか、本当に物足りない仕上がりになっていました。

映画感想「夏、至るころ」「天国にちがいない」

「夏、至るころ」

全編ゆるゆるな映画で、これというテンポもなく、どこへ向かうという核もなく、淡々と青春の物語、池田エライザの半自伝だと言いますが、その物語が綴られていく。冒頭部分はカット割が妙なのは個性なのかなんなのか、そのうちそれも見慣れてしまって、普通にラストを迎える。そんな映画だった。監督は池田エライザ

 

ワイヤーで作られたツリーのようなジャングルジムに高校生の翔と泰我が登っている。進学するか就職するかの話で、泰我は進学して公務員になりといい、翔は地元で太鼓を続けたいという。二人は地元の祭りの太鼓の奏者だった。

 

平凡な家庭を作るという泰我に、翔は平凡、幸せとは何なのかと自問自答し始める。祖父の鳥の爪を切るためペットショップを訪れ、そこで都という女の子と知り合う。都の話を泰我としていた翔はそこに都がいて、都は自分のギターを処分したいという。しかし店は閉店していたので、三人は翔らの高校へ忍び込みプールに飛び込んで戯れる。

 

翔と泰我は、この町で見える二本煙突が一本に見えるところを見つけたら幸せになるというのを聞く。翔は探し回るが見つからず、やっと見つけたところに泰我がいた。泰我はやはり太鼓を続けたいと言い、二人は祭りで太鼓を鳴らす。

 

やがて、翔は海外へ行くことを決め旅立っていく。しあわせの青い鳥と絡めた幸せメッセージが全く機能しておらず、チグハグで何を言いたいのかがまとまっていないのは、なんとも残念。結局、作っている自分しかわからない仕上がりになった作品という感じでした。

 

「天国にちがいない」

小ネタを散りばめたシュールコメディという空気感の映画で、いくらか面白いのですが、次第にその繰り返しに飽きてくる。シンメトリーな画面を徹底し、スレイマン監督のみがキャストという展開で描かれる独創的な映像は、物語も掴めないし、映像芸術的な雰囲気もあり、100分程度の作品でもしんどかった。監督はエリア・スレイマン

 

キリスト教の儀式が行われている場面から映画は始まる。そして、建物に入ろうとするが、中に誰かいて扉を開けないので、神父が怒って脇の入り口からドアを蹴破る。こうして物語?が始まる。

 

レイマン監督の庭の果実を隣人が勝手に取っている場面から、物語はスレイマン監督が新作映画の企画を売り込むためにイスラエルのナザレからニューヨークへ向かう旅を描いているらしいが、解説を読まないと全くわからない。

 

途中のパリでは洗練されたファッションや美しい街並みを見て、ニューヨークでは映画学校などに招かれるがチグハグで全く通じない。結局、企画は断られ、再び故郷に戻ってくる。

 

というお話らしいが、繰り返される小ネタの数々の間に空間移動の場面が少なく、終始ストップした演技のアップがほとんどで、どういう風にスレイマン監督が移動しているのか混乱してしまう。面白い映画なのですが、せいぜい60分くらいでまとめる感じの作品ではないかと思います。

映画感想「おもいで写真」「理由なき反抗」

「おもいで写真」

これというほどの映画ではなかったけれど、最後まで飽きずに見ることができた。さりげないエピソードの積み重ねですが、お年の方が微笑む姿の連続に癒される年齢になったのでしょうかね。監督は熊澤尚人

 

東京でメイクアーティストになる夢を挫折し、祖母の葬儀に主人公結子が故郷に戻ってくるところから映画は始まる。祖母の遺影がピンボケ写真しかなかったという幼馴染の一郎が結子に告げる。役場に勤める一郎は、落ち込んでいる結子に、お年寄りの遺影写真を撮って回る仕事を頼む。結子は気乗りしないままに、高齢化が進む団地を回り始める。

 

最初は受け入れられなかったが、一人の婦人和子と出会ったことで、遺影よりおもいで写真を撮ることで仕事を進めるようになる。映画は、様々な老人の思い出写真を撮りながら、その背後の人生の断片を描き、結子の両親の過去や、一郎との切ない思い出が語られていく。

 

一見平凡な物語ですが、脚本がしっかり描かれているせいか薄っぺらくならずに畳重ねられているのがいい。そして、東京のデザイン会社に行くつもりだった一郎は、地元が好きだと分かり、結子に告白めいたことを言って映画は終わっていく。まあ普通の映画でした。

 

「理由なき反抗」

洋画劇場で見たきりで、長いことスクリーンを待っていた名作を、ようやく見ることができた。こんなに素晴らしい名作だったんだと改めて感動。たった一晩の物語に凝縮された青春の1ページのあまりに残酷であまりに切ない物語に自然と涙が溢れてきました。冒頭の伏線がラストで生きる脚本の素晴らしさも秀逸でした。監督はニコラス・レイ

 

道路上で猿のおもちゃのアップから、そこに酔っ払ったジムが転がるオープニングで映画は始まる。泥酔いしたジムは警察署へ連れて行かれる。そこには不良グループと一緒に捕まっているジュディ、両親に放っとかれて家出したプレイトウがいた。震えているプレイトウにジムは上着を貸してやる。ジュディは釈放される時にコンパクトを忘れていく。

 

ジュディの両親は十六歳になったジュディの扱いに困っていて、ジュディは両親への反抗から不良のバズらと付き合っている。ジムは前の学校で暴力沙汰を起こし、ここへ引っ越してきた。母がやたら偉そうで父を尻に引き、何かにつけ世間体を重んじてジムとの間にも溝がある。ジムは初めての登校でバズらに目をつけられ、チキンレースをすることになる。

 

バズは、ジムのことを少し気に入っていて、半分友情親交も含めチキンレースを行うことにした。そして夜、ジムとバズはジュディの掛け声で車を崖めがけてスタートさせるが、ジムは飛び降りたが、バズは服が引っかかりそのまま転落して死んでしまう。ジムは罪の意識で警察へ赴くが、頼りにしていたレイ警部は不在だった。バズの仲間はてっきり自分らをタレコミにきたと思い、ジムをつけ狙おうとする。

 

一方、プレイトウは家に帰ったものの両親は養育費だけ置いていて不在で、枕の下に隠していたピストルを持って家を出る。そんな頃、不良たちはプレイトウを脅して手に入れたジムの家に嫌がらせをしにいくが、ジムはジュディを連れてプレイトウに教えてもらっていた山の頂の空き家へ行く。プレイトウも間も無く現れ、三人で自由を楽しもうと思ったが、一人眠ってしまったプレイトウのところに不良グループが現れる。プレイトウは慌ててそのうちの一人をピストルで撃ち、逃げて、昼に行ったプラネタリウムに逃げ込む。

 

ジムとジュディはプレイトウを追ってプラネタリウムに行くが、すでに警察や両親が駆けつけていた。なんとかプラネタリウムに潜り込んだジムたちはプレイトウを説得し、ピストルから弾を抜いて返す。ジムは自分の赤いジャケットをプレイトウに与える。灯を落とし、下がるように叫ぶジムと一緒にプレイトウも現れる。レイ警部らも待ち構えるが、つい灯をつけ、警官が銃でプレイトウを撃ってしまう。プレイトウは死に、ジムらは両親に抱きしめられ、映画は終わっていく。夜が明け、あたりは明るくなっていた。

 

たった一晩の物語で、何もかもを詰め込んだ素晴らしい脚本がまず見事で、思春期の危うい子供たちの心の物語が絶妙の展開でどんどん表現されていくのに圧倒されます。名作とはこういうものですね。

映画感想「花束みたいな恋をした」

「花束みたいな恋をした」

さすがに坂本裕二脚本、とっても素敵な恋愛ファンタジーに仕上がっていました。物語全体のまとまりはテレビドラマ的でも有りますが、偶然が偶然を呼び、有り得ないラブストーリーが、ひとときの現実を忘れさせてくれました。監督は土井裕泰

 

2020年、とあるカフェでひと組のカップルがイヤフォンを一つづつつけて音楽を聴いている。それを見た一人の女性山根麦は、それはおかしいという。一方でもう一人の男性八谷絹も同じことを呟く。それぞれが彼氏彼女と一緒で、麦と絹は同時に立ち上がり、カップルに忠告しに行こうとするがお互い目があって元の席に戻る。二人はかつて恋人通しだった。そして物語は2014年に戻る。

 

大学生の麦は友達の人数合わせでカラオケに誘われて向かうが、場違いな思いをしている。一方で、一人の大学生絹はGoogleアースに自分が映っていることを発見し友達に吹聴して盛り上がっている。そんな彼も、これまた人数合わせでカラオケに誘われる。

 

麦も絹も付き合いで終電間近までカラオケにいて、麦は母からトイレットペーパーを買ってきてというメールをもらい、トイレットペーパーをだかえて駅に来るがそこで絹とばったり出会う。お互い終電を逃して、たまたま同じく終電を逃した男女と一緒に遅くまで開いている居酒屋へ。そこで、絹は押井守がいることを発見するが、男女は全く知らない。ところが一緒に来た麦はそれを分かり、一気に麦と絹は意気投合、しかも趣味も何もかもが全く同じで、そのまま麦は絹のアパートで朝を迎える。

 

それぞれの趣味があまりにも同じことから二度のデートの後三度目で絹は麦に告白し恋人同士になる。やがて、大学を卒業しフリーターとなり、二人の関係はどんどん熟成していく。まもなくして麦は就職、二人は同棲生活を始める。絹は大好きなイラストの仕事をこなすものの、麦の収入に支えられていたが、絹は就職することを決意する。

 

なんとか普通の会社の営業職についた絹だが、次第に仕事にかまけていくようになる。一方、麦はたまたま知り合ったイベント会社の人に誘われて派遣ながらもイベントの会社に転職する。イラストで食べていくという夢を捨てて普通の社会人になって必死に働く絹と次第に小さなすれ違いが起こり始める。2015年、2016年、2017年と年を重ね、やがて二人が知り合って5年目の2019年となる。麦と絹は別れる方向へ進み始め、友人の結婚式に出席した帰り、二人が初めて行ったファミレスに寄る。そこで絹は、結婚してもう一度二人で生きていこうと提案、麦も納得するが、そこへ、かつての自分達と同じようなカップルが入ってきて、五年前の自分達と同じ会話を始めるに及んで、もう元に戻れないことを悟る。

 

時は2020年、カフェを出たところで彼女を待つ絹、麦もまた彼氏と出てくる。二人はそれぞれの相手と手を組んで別々の方向へ歩いていく。そして何気なく手を振ってお互いの別れを確かめる。

 

家に戻った麦は、今日元カレにあったと呟く。家に帰った絹は今日元カノにあったと呟き、パソコンのGoogleアースを開くと、なんと、そこに二人が手を繋いでいる写真があった。映画はこうして終わる。

 

導入部のファンタジックな出会いシーンはとっても素敵で、そのまま、二人の人生の歩みが普通に描かれ、やがてお互い未来を見据えながら別々に生きていく展開は、いかにもテレビドラマ的ですが、そんな偶然のなせるほんのひとときの瞬間もあってもいいかなと思う。もう少し、踏み込んだ演出が見たかったけど、若いカップルが見たら、ほのぼのと感動するのだろうなと思います。そんな作品でした。

映画感想「プラットフォーム」「クラッシュ」(4K無修正版)

「プラットフォーム」

グロい上に暗い。恐ろしいほどに陰惨な不条理劇だが中身がシュールでなんのことか理解しきれなかった。何かメッセージは見える気もするのですが描ききれなかった一本。監督はガルダー・ガステル

 

何やら豪華な食事が準備されている場面から映画は始まる。カットが変わると一人の男ゴレンが殺風景な部屋で目を覚ます。そこにはもう一人トリマカシという老人がいる。ここは43階なのでまだ食事にありつけるという。ゴレンは志願してここに来て、認定を受けることができるというが、認定の意味は最後までわからなかった。階上から降りてくる食べ残しを食べると、その食事はさらに下へと運ばれる。そして一ヶ月過ごすと眠らされ新たな階層で目を覚ます。

 

一ヶ月後、ゴレンは171階で目を覚ます。降りてくるテーブルには食べ物は残っていない。トリマカシはゴレンをベッドに縛っていて、少しづつ切り刻んで生き延びるのだという。しかし、テーブルに乗って子供を探しているという女が降りてきて、ゴレンを助ける。そしてトリマカシを殺したその女はトリマカシの肉を食べる。ゴレンは最初は拒否するが食べざるを得なくなる。そして一ヶ月、次は6階だった。一緒に部屋には黒人の男がいて、ロープを持っていた。これで最上階まで引き上げてもらおうとするが、上の階の人間に騙されロープはなくしてしまう。

 

ゴレンは降りてきた食事を階下に分配するという方法を提案して、黒人の男とテーブルに乗り、順番に食事を配分しながら降りていく。そして、最下層まで無事分け与え、再度階上まで登ってこのシステムの破壊を計画する。しかし、予定以上に階下は多く、ようやく330階で最下層になるが、途中で殺し合いに遭い二人は瀕死の状態だった。そして最下層には一人の少女がいた。

 

その少女にゴレンらが必死で守ってきた唯一のケーキを食べさせ、少女をテーブルに乗せて階上へ送り出して映画は終わる。なんかメッセージがあるように思うのですが、なんとも言えない暗さの漂う作品で息苦しかった。

 

「クラッシュ」(デビッド・クローネンバーグ版)

ロードショーでもみたのですがほとんど覚えていませんでした。監督はデビッド・クローネンバーグ

 

倦怠期になったジェームズとキャサリン。キャサリンは飛行機の格納庫で自慰に耽っている。ジェームズも職場でアバンチュールに耽っているが、今ひとつエクスタシーに達せなかった。そんな二人はある日交通事故に遭う。ジェームズはそに時衝突して夫を亡くしたヘレンとSEXをし、さらに交通事故の時に感じたエクスタシーが忘れられず、同様の快楽に耽る集団のリーダーボーンと知り合い、危険な世界に入っていく。

 

映画は、瀕死の状態を故意に作り出すことでSEXを繰り返していくジェームズの姿を中心に、キャサリンとのSEXに新たなエクスタシーを求めるべく、キャサリンの乗る車にわざと追突して事故を起こさせ、その場でキャサリンを抱くジェームズのシーンで終わっていく。

 

無修正版ということですが、これという過激な描写も今となっては普通レベルで、しかしながら全体に漂うスタイリッシュな画面がなかなか見応えのある作品でした。

映画感想「白昼堂々」

「白昼堂々」

はちゃめちゃなコメディですが、頭から終わりまで勢いがあって楽しい。監督は野村芳太郎

 

デパートでスリを繰り返す主人公たちの場面から映画が始まり、かつての盟友2人が再会。一人はデパートの防犯係、一人はスリ集団の元締めみたいになっている。そんな二人を中心に、一匹狼のスリが加わって、さらにスリ担当何十年という刑事も入り、人情ドラマも絡んで、デパートの売り上げを強奪しようという無茶な計画へ発展。しかし結局捕まって、それでも懲りない面々の場面で映画は終わっていく。

 

あれよあれよとテンポ良く流れていくのがとにかく心地よくて楽しい。ジメジメするところもなくあっけらかんとした爽やかな娯楽映画に仕上がっているのがなんとも言えない幸福感を呼んでくれました。