くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「愛染かつら」(新版総集編)「帰郷」(大庭秀雄監督版)「夢みるように眠りたい」

「愛染かつら」(新版総集編)

前篇、後篇、続篇、完結篇を再編集してまとめたもので、幾度も映画化されている最初の映画です。これということもなく、ただ、時代を楽しむ一本でした。監督は野村浩将

 

主人公かつ江が娘と散歩しているシーンから、独身であることが条件だという看護婦たちからの責めに切々と事情を話す冒頭場面、そして病院の御曹司の博士号取得のお祝いで歌を歌う場面につながる。

 

あとは、愛染かつらの木で愛を誓い合うものの、ふとした行き違いから誤解が生まれ、やがてクライマックスのハッピーエンドに流れていく。当時熱狂したであろうすれ違いの恋愛劇と、当時モダンであった恋愛の夢物語の組み合わせに、ノスタルジックな感動を覚えてしまいました。一世を風靡し、時代を翻弄させたほどのこういう古い映画は本当に良いです。

 

「帰郷」

これは良かった。単純な人間ドラマ、人生ドラマなのにここまで胸に迫ってくるのはどういうことだろう。主演の佐分利信のの圧倒的な演技力もさることながら、周辺の人物がなんとも言えない世界を構築していく。これこそ日本映画全盛期の力量というものでしょう。ラストシーンにはなぜか胸が熱くなって動けなくなってしまいました。名作。監督は大庭秀雄

 

時は1944年のシンガポール、一人の水商売の女性左衛子がルーレットをしている。隣に中国人風の男守屋が座っている。どこか守屋が気になる左衛子だが、彼は危ない人物だからと友人に教えられる。しかし、まもなくして、左衛子は守屋を紹介される。守屋は実は日本人で、海軍にいるときに不正の責任をとって海軍をやめ、逃亡生活のようなことをしていた。本国日本には妻も娘もいるが、行方不明の守屋はすでに死んだことになっていて、墓もあるという。そんな守屋と左衛子は一夜を過ごす。やがて終戦となる。

 

時は1947年、東京で水商売を始めた左衛子は、たまたま守屋伴子という女性と知り合う。それはシンガポールで一夜を共にした守屋の一人娘だった。左衛子は守屋が日本に戻っていること、しかも妻や伴子にも会っていないことを知る。伴子の母節子は隠岐という政治家志望の野心家とすでに結婚していた。隠岐も決して悪い人間ではないものの、伴子は守屋の日本での居場所を左衛子の店で働く男に突き止めてもらう。

 

伴子は左衛子と共に京都にいる守屋を訪ねる。左衛子は会わず、伴子だけが守屋と会い、守屋が父であるとわかる。そして食事だけして、タクシーで駅に向かう。このタクシーの中の守屋と伴子の会話シーンが素晴らしい。さりげないやり取りなのに、佐分利信の演技力の迫力でじわじわと父親としての存在感が伝わってくる。

 

東京に戻った伴子は父や母に責められるも守屋に会ってきたとは言わない。左衛子はあの時、守屋に会えば良かったと後悔している。そんなとき、伴子の今の父隠岐の講演の場に守屋が現れる。隠岐は守屋が現れたことは何もかもに悪い方向に進むかのように嗜める。それは決して責めているわけではなく、その言葉に守屋も自らの居場所はすでに日本にないことを知る。そして、日本を離れることを決心するが、最後の夜、左衛子が守屋を訪ねる。そして自分も連れていって欲しいという。守屋はカードで左衛子の気持ちを汲むかどうか決め、そして負けた左衛子は残らざるを得なくなる。そのゲームは守屋のイカサマだった。

 

守屋は自分の墓に参ったあと日本を後にする。こうして映画は終わるが、その余韻の深さにしばらくは感動が消えない。墓地をさる守屋の姿、その背中に、戦争が起こした悲劇が浮かび上がってくるのである。まさに名作。その名にふさわしい作品でした。

 

「夢みるように眠りたい」デジタルリマスター版

以前から見たかった一本に、ようやく見ることができました。登場人物の台詞はサイレントで、効果音や背景の人物の言葉だけがトーキーで聞こえるという、ちょっと自主映画のような作品、林海象監督長編デビュー作です。

 

怪盗黒頭巾のチャンバラシーンを撮影しているような場面から映画は始まる。しかしこの作品「永遠の謎」は警視庁の検閲によってラストシーンが撮影されず、幻となった。

 

時は昭和初期の東京に移る。私立探偵魚塚のところに、月島桜と名乗る老婆から娘の桔梗が誘拐されたと電話が入る。最初は取り合わなかったが、執事らしい老人が現れ、身代金と捜査費用を手渡され、魚塚は助手の小林と捜査に乗り出す。しかし、最初の謎が解けたかと思うと桔梗は姿を消し次の身代金と謎が残される。魚塚は謎を解いていきながら、次々と追加される身代金を持って桔梗を探すが、いつのまにかドラマのように出来すぎていることに気がつく。

 

そして、ついに追い詰めた魚塚だが、そこには「永遠の謎」の撮影のクライマックスと重なっていた。さらに、月島桜こそ桔梗であり、自分の幻の映画を完成させるべく桜が計画した事件だとわかる。こうして目的を果たした桜は命を閉じていく。

 

シュールな中に、昭和初期のノスタルジーをあちこちに散りばめ、感性の全てを注ぎ込んだような自主映画的な作風はなかなか近年見かけなくなった映画です。決して劇的でもなんでもないのですが、映画ファンとしてみて良い一本だった気がします。

 

映画感想「人妻椿 前篇」「人妻椿 後篇」「暖流」(再編集版 吉村公三郎監督版)

「人妻椿」(前篇)野村浩将監督版

次から次へと間断なく不幸に見舞われていく主人公の物語は、退屈しないと言うより、突っ込んでしまうくらいだが、娯楽映画としては良くできているのかもしれません。戦前の昭和11年の映画なのにテンポがとっても良い映画です。監督は野村浩将

 

順風満帆の矢野家の夫婦と息子の姿から映画は幕を開けます。矢野を孤児院から救い出して今の地位に育てた恩人の有村社長は、ある男に贈収賄の証拠を突きつけられ、思わず銃で撃ち殺してしまいます。それを、恩のある矢野昭が身代わりになり、大陸へ逃亡。残された妻嘉子と息子を有村社長は面倒を見ると約束するが、俄かに死んでしまう。

 

経緯を知らない有村家の長男夫婦は、嘉子に冷たく当たるが、長男は色気を出して、矢野の夫昭は大陸で瀕死の状態だと言う偽手紙を情婦にせんと金を貸したり店を持たせたりする。しかし、裏を知った嘉子は逃げる。ところがここに、彼女を女優として認めた草間という金持ちの男がいた。有村家の長男も、会社のために妹を草間と結婚させようと画策しているが断られる。

 

一方未亡人となった嘉子は、実家の父を頼ってくるが、生活の苦しい父は網元の男に未亡人を引き合わせ、網元はその父を海で死なせてしまう。あわや網元に嫁がせられる嘉子だが、その村の和尚の計らいで脱出。

 

ところが、嘉子がビル火災に巻き込まれ、たまたま、網元と草間が、叫ぶ未亡人を発見し助けに入るというところで前篇が終わります。本当に、突っ込んでしまうくらい次々と不幸に見舞われていくのはある意味小気味良いですね。

 

「人妻椿」(後篇)

あれよあれよと言う間にラストシーンという駆け抜けるような仕上がり。カットしてるんじゃないかと思うほどに説明シーンはすっ飛ばしでしたが、まあ面白かった。監督は野村浩将

 

火事で焼け出された嘉子、そして彼女を助けるため重傷を負った草間と網元の病院での場面から映画は始まる。そして、退院した嘉子はかつての女中の家に厄介になるが、いづらくなり出ていく。しかし子供が肺炎になる。一方草間は、嘉子にお礼の金を渡すべく嘉子のいた女中の家を訪ねるが、すでに嘉子はいない。しかし三千円という金を女中に託しアメリカへ旅立つ。

 

一方嘉子は、生活のために芸者になる。そこで、かつて有村に殺されたギャングの兄貴分近藤というのに出くわす。そんな頃、嘉子の夫矢野は成功して戻ってる。そして、嘉子の女中も再び嘉子を見つけ、逃すために画策をする。ところが嘉子は、待ち合わせの駅に行けず近藤に連れ去られる。しかし、矢野は、有村に会い、成功して得た金を有村に託し、全てのことを水に流すと言うと、有村も改心する。そして、有村の事件の真相を明らかにして矢野の無実を証明する。やがて矢野も嘉子と会い、嘉子の実家で法事をする場面で映画は終わる。

 

とまあ、ドタバタのクライマックスですが、悪人が次々とあっさり改心すると言う流れもツッコミどころ満載、単純明快な流れなので、素直に主人公の行く末を追いかけることができるので肩が凝りませんでした。

 

「暖流」(再編集版 吉村公三郎監督版)

以前、増村保造版を見たことがあるが、こちらは現存するのはこのフィルムだけらしい戦前の吉村公三郎監督版。正直たんたんと流れる一昔前の恋愛ドラマという感じで、これと言うのめり込めるものはありませんでした。

 

大病院の院長の娘啓子が指の怪我で訪れる場面から映画が始まる。彼女に気がある笹島医師が担当。経営が傾いているこの病院の院長は日疋という男を立て直しのために雇い入れる。病で余命わずかを知った院長は病院をスムーズに引き継ぐべく雇い入れたのだ。日疋は、看護婦の一人石渡に声をかけ、病院内の人事の裏話を聞き取ることを始める。

 

しかし、いつのまにか石渡は日疋に仕事以上の感情を持ち始める。一方日疋は、何度も自宅に出入りするうちに院長の娘啓子を思うようになり、啓子も日疋のことが気になり始める。啓子に気がある笹島は啓子に結婚を申し込むが、女癖の悪い笹島を問い詰め、啓子は笹島から離れる。そんな頃、仕事が一段落してきた中で、日疋は啓子に結婚を申し込む。しかし色良い返事をもらう前に、啓子は石渡の日疋への気持ちを察し、自分は身を引くことを決意し、石渡の背中を押してやる。

 

石渡は病院を辞めたが、日疋の家を訪ねる。そこへ啓子にふられた日疋が帰ってくる。そして日疋は石渡と結婚を決める。仕事が最終段階に入り、別荘に住んでもらっている啓子とその母の元を訪ねた日疋は、夜明けの海岸で、石渡と結婚することに決めたことを啓子に話す。啓子は日疋に気づかれないように涙を流して映画は終わっていく。

 

吉村公三郎らしいシンメトリーでしっかりとした構図の画面を繰り返す映像は、品の良さを感じさせますが、物語にハリが生み出しきれず、ちょっと退屈な流れになった感じです。二部作で作られたものを再編集で一本にしたためにリズムが狂ったのかもしれないのは残念。

映画感想「樹海村」「哀愁しんでれら」

「樹海村」

まあ、「犬鳴村」よりはそれなりに面白かったです。でも、理由づけが全くできてないので、ただのホラー場面の連続という感じでした。監督は清水崇

 

樹海村の自殺者をパトロールしているのでしょうか、車に乗った男女が走っていると、幼い姉妹が飛び出してくる。タイトルが終わると、いかにもなYouTuberみたいな女の子が自撮りしながら樹海の中に入り、突然パニックになって倒れてしまう。そんな心霊サイトばかり見ている引きこもりの少女響のカットに変わる。姉の鳴が話しかけても無視するように仲の悪い姉妹。

 

結婚する友達の引っ越しの手伝いに行った響と鳴、そして鳴の彼氏でお寺の息子と山間の家に行きその軒下で古ぼけた箱を見つける。その箱は決して調べたりしてはいけないものだと響は言うが、この家の管理人がその箱を持って帰ろうとして車に轢かれる。

 

寺の息子がその箱を父の寺に持ち込み、その住職はお祓いをしようとするが、何物かを感じる。直後、寺は全焼し、箱を燃やそうとしている響の姿が防犯カメラに映っていて、響は病院へ入る。しかし、鳴らの周りでは不思議なことが起こり始め、結婚した友達の奥さんが行方不明となる。そして、鳴とその恋人らが樹海に消えたらしい奥さんを探しにいくが、パトロールの人たちと出会う。さらに、行方不明の奥さんは木の中に取り込まれていた。

 

一人戻った鳴は響の部屋のカーペットの下に不気味な地図を発見する。あの不気味な箱は、昔、樹海に捨てられた人々が作った樹海村にあった呪いの箱だった。鳴はその地図に則って箱を返すために樹海へはいっていくが、そこで、樹海村の人々に捕まる。しかし、彼女を助けたのは、鳴と響が幼い時に自殺したと聞いている母親だった。鳴らの母は、呪いの箱を樹海に返しに行って自らを犠牲にして娘たちを守ったのだ。というか、なんで、その箱が身近なところに現れるのかの理由づけが全くない。

 

鳴は母と脱出するが、母は樹海の洞窟に落ちてしまう。鳴に襲いかかってくる樹海村の化け物。そんな鳴を助けたのが入院しているはずの響だった。そして、響は自らを犠牲にして鳴を逃す。

 

時が経ち、鳴は結婚して子供がいる。その子供が物置に入っていって、響ちゃんと呼ぶと、そこにあの呪いの箱があって映画は終わる。で、結局、どういう解決したのか良く分からないエンディングでした。さすがにクライマックスの絵作りは、清水崇の才能が出ていて、安っぽくなかったのは良かった。

 

「哀愁しんでれら」

久しぶりに、毒のある日本映画の傑作に出会いました。ストーリー構成の面白さ、先の読めないワクワク感、従来の価値観を覆す奇抜さ、キャスト選定の成功、などどれをとっても工夫がみられ本当に面白かった。土屋太鳳は嫌いな女優なのですが、それを払拭して、拍手してしまいました。監督は渡辺亮平。

 

一人の女性が教室の机の上を歩く逆さまの映像から映画は幕を開けます。上品なドレスを着た彼女が白衣を脱ぎ捨てて、彼方に去って物語は始まる。児童相談所で仕事をする小春はこの日もある家庭を訪問していた。まともに相手をしない母親の手を力ませに掴んで、必死で子供の無事を確かめようとするが、奥から出てきた子供は手を振るだけ。職場に戻った小春は行き場のないストレスをぶつける。

 

母が突然家を出てから母代わりに高校生の千夏、そして父の面倒を見ている小春。自転車屋を営む気のいい父親、この日も疲れた小春はカレーを作り千夏に悪態をつかれながらも楽しい食卓。同居の祖父が突然風呂場で倒れ、父が慌てて病院へ車で連れていくが途中で酔っ払いの自転車を避けたために事故を起こす。救急車で病院へ連れて行った小春たちだが、火の不始末で自宅が火事になっている。そして一階の自転車店が燃えてしまい、父は就職先を探す羽目に。この導入部の畳み掛けが実に鮮やかで小気味いい。

 

踏んだり蹴ったりの一夜の後、小春は夜道、たまたま酔っ払いが踏切の中で倒れてしまったのを目撃、見過ごそうと思ったが助けてしまう。渡された名刺には、開業医であることを示す文字があった。小春の友達に背中を押され、助けた男性大悟とデートをするが、大悟には小学生の娘ヒカルがいた。ヒカルと小春はすぐに意気投合し、大悟と小春の仲もどんどん発展、さらに大悟は千夏の家庭教師を務めた上に、小春の父の就職も世話し、祖父の入院先まで手配する。とんとん拍子に進む中、当然のように小春と大悟は結婚する。

 

このまま普通に終わるはずはないと見ていたら案の定で、ヒカルはみるみる赤ちゃん返りをし始め、一方、学歴や教養に極端に拘る大悟の本性も現れてくる。ヒカルは小春が毎日持たせてくれている弁当を食べずに、弁当は作ってくれないと学校では言っていたり、小春にもらった筆箱をトイレに捨てていたりする。小春はヒカルの本性が見えてくるに従い、母親としての自分はどうするか悩む一方で、なんとも言えないストレスに押しつぶされていく。

 

そんな時、ヒカルのクラスの女の子が窓から落ちて死んでしまう。その子はヒカルがひそかに好きな男の子といつも仲良くしていた女の子だった。ますます追い詰められていく小春は、ある時、大悟の部屋で大悟が大切にしているうさぎの剥製を壊してしまい、それをヒカルに見られ、あまりにヒカルが極端に大騒ぎするので、つい叩いてしまう。ところがそれが大悟にバレ、完璧を求める大悟は小春を追い出す。しかし、ヒカルが泣きついてくる。それでもその場を去る小春。

 

何もかもに疲れた小春は、自暴自棄になり線路の中で倒れてしまう。あわや電車がという時、大悟が駆けつけ小春を助け、もう一度やり直すことに。小春は母親として生きる覚悟を決める。一方大悟も、今までの思い出などを捨て、小春、ヒカルと三人で生きる決意をする。そんなある時、ヒカルの靴が学校で盗まれる。大悟と小春は学校に駆け込むが、そこに、ヒカルのクラスメートの男の子が、クラスの女の子を突き落としたのはヒカルだと言う。

 

家に落書きをされたりする大悟たちだが、小春は、自分たちがヒカルのためにできることはまだあると言う。校医でもある大悟は新型インフルエンザの予防接種の仕事が間もなくある。そこで、ある計画する。

 

そして、予防接種の日、大悟は手際良く注射をしていく。傍には看護服姿の小春がいる。一人の少女が小春に、ヒカル宛の手紙を渡すが小春は読まない。接種が終わり、小春はもらった手紙を読む。ヒカルの無実はみんなわかっていると書いていたが小春は無視する。

 

まもなくして、教室で、たった一人の生徒ヒカルに小春が算数の授業をしている。大悟もその場にいる。廊下では大勢の子供たちが死んでいる。ワクチンの代わりにインシュリンを注射したのだ。映画の冒頭で、糖尿病の注射をする小春の父親が呟いた一言がここで生きてくる。こうして映画は終わる。

 

日本映画もやるじゃないか。このタイミングで、ここまで毒のある物語を臆面もせずに平然と演出し、仕上げたスタッフたちに拍手したい。サスペンスとしても面白いし、現代の学校や親のあり方へのブラックユーモアも効いている。良い人役ばかりの土屋太鳳、田中圭の配置も上手い。絵作りもなかなか凝っていて面白い。大傑作と拍手したい一本でした。

映画感想「羊飼いと風船」

「羊飼いと風船」

静かで地味な映画ですが、非常にクオリティの高い抒情詩の様な一編でした。監督はチベットのペマツェテン。

 

中国では家族計画の政策が進んでいるというテロップから、舞台は広がる草原と羊たちが群れているチベットとなる。祖父、若夫婦、その子供達という三世代で羊を放牧して暮らすドスカルらの家族、この日二人の息子が風船と称して遊びまわっている姿から映画が始まる。その風船とはコンドームを膨らませたもので、母ドスカルの枕の下から見つけたのだという。叱責する父タルギュに、子供たちは街に行ったら風船を買ってきて欲しいと頼む。

 

タルギュは、牡羊を借りてきて、雌羊に種付けしようとしている。長男は学校へ行っているが、長男を迎えに行った母ドスカルは、長男の担任の先生が、かつての妹の恋人で、何かがあって、妹は尼になっていた。その妹はその男性から一冊の本をもらっていた。

 

淡々と進むさりげない物語なのですが、それとなく、現代のチベットの姿を浮き彫りにしていく映像が見事です。ドスカルは、診療所へ行き、避妊手術をして欲しいと頼む。避妊具のコンドームも無くなってしまい、一方夫のタルギュは旺盛なので、心配したくないのだという。診療所の女先生は、配給のコンドームが切れているので、自分のを一つ分けてあげると渡す。しかし、枕の下に隠していた一つを子供が見つけ、風船にして隣に住む友達の笛と交換してしまう。

 

それをなじる隣の家の父親。この場面が、本来ならユーモアあふれる場面なのだが、この作品ではどこか現実的でシリアスな場面に見えるのが不思議です。そんな時、祖父が亡くなる。家族で火葬にし、祖父の魂の転生はいつになるかと高僧に聞きにいくタルギュ。ドスカルは近いうちに羊が子供を産む夢を見る。

 

まもなくして、ドスカルは妊娠してしまう。堕胎したいと夫に詰め寄るドスカルに夫のタルギュは猛反対する。祖母の転生が長男だったので、祖父の魂も転生して欲しいと願っているのである。しかし、生活を考えると堕ろすしかないというドスカルは一人診療所へ行く。しかし、手術寸前でタルギュと長男が駆けつけ、転生して欲しいので産んで欲しいと懇願する。

 

場面が変わり、タルギュが街に羊を売りにいく。あまり高く売れなかったが、タルギュはその金で風船を二つ買って帰る。そして二人の息子に与えるが、一つはすぐに破れてしまい、もう一つは手を離れて空に上がっていく。登場人物たちそれぞれが空に登る赤い風船を見上げるシーンで映画は終わる。

 

色調を抑えた画面と、透き通るほどに広がる大草原、そして羊たち。その中で素朴に暮らす家族の物語は、特に大事件が起こるわけではないけれども、伝わってくる何かがある。その描写が素晴らしい一遍でした。

映画感想「ヤクザと家族 The Family」「名も無き世界のエンドロール」

「ヤクザと家族 The Family」

映画の出来栄えは一級品だった。ここまで重厚な人間ドラマはここしばらく日本映画で見てこなかった気がします。二重三重に練り込まれた物語に圧倒されました。ただ、何か違和感があります。どこか脚本を書いた藤井道人の偏ったメッセージが見え隠れするように思うのは考え過ぎでしょうか。ラストシーンは涙ぐんでしまうのですが、素直な感動ではない。この違和感が払拭されたら紛れもなく最高の一本だったと思います。監督は藤井道人

 

時は1999年、不良グループのリーダー山本賢治は、父親が自殺したというので葬儀に出ている。ヤクザで薬中でもあった父を半分軽蔑しながら山本は仲間と連んでバイクを乗り回している。いつもいく木村愛子の経営する焼肉屋に行き適当に過ごしていた。そこへ、柴咲組の組長柴咲博らが焼肉を食べに入ってくる。木村愛子の夫は元柴咲組の幹部だったが、殺されたのだ。

 

そんなところへ、アジア人らしい強盗が飛び込んできて暴れ始める。そして、あわや柴咲博も危ないとなった時、切れた山本はアジア人を殴り倒してその場を収め逃げる。後日、柴咲組の幹部中村が山本の部屋にやってきて山本を組事務所に連れて行く。山本は柴咲に礼を言われながらも、ヤクザを嫌う山本は柴咲の名刺だけ受け取りその場を去る。

 

ところが、山本らがたまたまドラッグの売人から薬と金を奪ったことから、その売人の組織ヤクザ加藤らが山本らを襲う。そして仲間ともども捕まってしまう。そして臓器売買で売り飛ばされる寸前、山本が持っていた柴咲の名刺を加藤が見て、山本らは中村に引き渡される。それがきっかけで山本は昔ながらの義理と人情のヤクザ道を進む柴咲組に入ることになり、盃を交わす。

 

時は2005年、今や幹部級となった山本はかつての弟分細野らを連れて柴咲組を守っていた。恋らしいものも手に入れ、苦学生の工藤由香とも知り合う。しかし警察と癒着して今時の世渡りをする加藤らの組織は何かにつけ柴咲組を目の敵にし、ある時、柴咲博を誘き出し亡き者にしようと襲いかかる。その時、運転していた山本の弟分が死んでしまい、山本も怪我を負う。加藤らは警察に手を回し、うまく丸め込もうとするが、堪えられない山本は病院を抜け出し、細野に拳銃を手配させ、加藤の右腕の川山を襲う。ところがそこへ中村が飛び込み川山を刺す。山本は中村のドスを取り、身代わりとなり中村を逃す。

 

それから14年が経ち、山本は出所してくる。彼を出迎えたのは中村だった。柴咲組の事務所にやってきた山本は、あまりにも変わってしまった組の姿を目の当たりにする。暴対法でまともなヤクザ仕事はできなくなり、収入も減る中、組員は次々と辞めて、柴咲博も癌に犯されていた。中村がなんとか残った数人の組員を養っていたが山本と親しかった細野も今は結婚して娘もいて普通に生活をしていた。しかし、山本と接触することさえも躊躇するほど世の中は変わっていた。

 

細野が由香の居場所を見つけて山本に知らせる。由香は今は公務員となり、14歳の娘もいた。山本が逮捕される直前由香を抱いたときの子供だった。一時は由香から離れようと考えたがどうしても忘れられず、そんな山本に入院している柴咲博は除籍するように勧告する。山本は細野の口利きで産廃業者に就職し、由香らと暮らすようになる。ところが、たまたま細野の同僚が細野と山本の写真をSNSにアップしたことからその素性がバレてしまい、細野は家庭を無くし、由香も役所をクビになり娘も学校に広まり、由香は娘を連れて家を出ていく。

 

山本は木村愛子の焼肉屋へやってくる。そこにはかつて幼かった愛子の息子翼が今や半グレとなって街を牛耳っていた。そして何かにつけて山本の力になろうとするが、そんな中、たまたま加藤に呼びつけられて出かけて、自分の父親を殺した相手が加藤で、警察とも癒着していることを知ってしまう。翼は復讐を誓い、加藤のところへ向かうが、一足早く山本が加藤に襲いかかり殴り殺していた。

 

再び刑務所に入ることを決意し、港にいる山本に一人の男がドスで突き刺してくる。なんと何もかも失った細野だった。山本に恨言を言いながらも涙ぐむ細野。やがて山本は海に落ちて死んでしまう。

 

山本の死んだ場所に立つ翼は花束をそっと置く。帰ろうとしたところへ由香の娘がやってきて、父のことを教えて欲しいという。その娘が山本の娘と分かった翼は、娘に語り始めて映画は終わる。

 

人間ドラマとしては恐ろしいほどによくできていて、圧倒されるほどに感動してしまいます。しかし、何か引っ掛かるのは、ヤクザも人間として扱えというやや偏見めいたメッセージと、出てくる警官が悪徳警官として描いたという正反対のキャラクターの存在ではないでしょうか。確かにヤクザという存在を手放しで毛嫌いするべきではないのかもしれないし、人間であることに変わりはないというメッセージはわかるのですが、ややその部分が押し付けがましく感じるのは私だけでしょうか。いい映画です。一級品の仕上がりだと思いますが、しかし絶対おすすめと書き辛い映画でした。

 

「名も無き世界のエンドロール」

面白いんだけれど、原作もそれほど大したことはないというのが見え見えで、さらに脚本もあまり仕上がりは良くないので、全体が非常に薄っぺらいラブストーリーに仕上がったという感じです。主演の二人の存在感が実に薄くて、あれだけのことをするに至る心理的な切迫感が全然見えてきませんでした。監督は佐藤祐市

 

サンタの格好をしたキダが街を歩いている。時はクリスマスイブ。親友のマコトとと話をしていて、今日がプロポーズ大作戦の仕上げだと言っている。そして物語は彼らの小学校時代へ遡る。映画は小学校時代から順に時間を進める一方で現代の場面と交互にしつこく描かれていきます。

 

悪戯が好きで、なにかのつけキダをからかうマコトたちの姿、そんな二人と仲の良い少女ヨッチ。キダとマコトのクラスにヨッチが来たのは小学校の時。前の学校でいじめられ、自分の存在さえも消されてきたヨッチは、同じく両親のいない境遇のマコトとキダとすぐに仲良くなる。そしていつも二人で過ごすようになっていた。

 

マコトとキダは学校を卒業し自動車工場で働き始めていた。ある日、真っ赤なポルシェに乗ったリサという女がやってきて、金はいくらでも出すから内緒で修理して欲しいという。二ヶ月ほど前に犬を轢いてヘッドライトのあたりをへこませていたリサは、免許も車検証もないというので、社長は一旦断るが、少しして突然受けると言い出す。強引な流れである。マコトはリサに食事に誘うが、見下げる仕草で高飛車に断られる。

 

マコトとキダは高校になり、相変わらず三人一緒に過ごしている。そんな雨のある日、キダはヨッチに告白するが、ヨッチはマコトに数日前に告白されたので諦めて欲しいという。

 

自動車工場で働く二人だが、マコトはある日突然辞める。このままではリサのような女を手に入れられないと考えたのか、それから行方不明になる。そんな時、突然、工場の敷地が道路にかかり、工場は閉鎖せざるを得なくなる。社長はキダに幼馴染で輸入代行を仕事にしているが裏の仕事もしているという会社の社長を紹介する。なんという無理のある展開。

 

キダはそこで交渉屋の仕事をし始めるが、持ち前の性格で社長にも気に入られる。キダはそこでマコトの居場所を見つける。行ってみるとマコトは必死で金を貯め、ワインの会社を買い取ることにしていた。やがて会社社長の地位になったマコトは何かにつけキダに頼み事をし、リサを手に入れるための画策を進めていく。この辺りもかなり雑。

 

修理工場に勤め始めた頃、マコトはキダに、ヨッチへのプロポーズ大作戦を手伝って欲しいと言っていた。キダはサンタの格好で花火の準備をし、マコトはヨッチにサプライズをするべく買い物帰りのヨッチを待っていた。ところが、なかなか来ないのでマコトはヨッチを迎えにいく。

 

リサの父は国会議員で、実はリサの事故も父親が隠蔽し、修理工場にも無理を言って修理させ、最後には立ち退かせるという汚い手段を使っていた。そして、物語は現代、キダはサンタの格好をしてあるイベントに潜入していた。この日モデルでもあるリサのイベントがあり、会場に巨大スクリーンが設置され、若者が集まっていた。

 

その巨大スクリーンに突然、近くで控えているリサの部屋が映る。そこに現れたのはマコトで、マコトはリサと交際していたが、この日リサに最後の言葉を告げる計画だった。マコトは、リサと出会ったのは修理工場であったこと、リサが轢き殺したという犬こそヨッチだったこと、そして何もかもリサの父親が握りつぶしたことを告げる。リサは逆ギレし、マコトを罵倒する。その様子は巨大スクリーンに映されていた。マコトはキダに頼んで爆弾を用意し、リサに部屋で爆破させるつもりだった。

 

ある程度の告白が明るみになったところで、キダはマコトにそれ以上やらないように、部屋に向かうが、行ってみた部屋は違う部屋で、直後向かいのホテルに部屋が爆発する。マコトのキダへの最後の悪戯だった。こうして映画は終わっていく。

 

最後に真相が明らかになる降りは終盤予測できる上に、あまりサプライズなテンポが生み出せていない。さらにここまで執念深くマコトが思い込むという熱い恋愛感情がスクリーンから伝わってこないので、非常に物語が弱い。決して演技力のない役者ではないが、演出の弱さか脚本の弱さか、本当に物足りない仕上がりになっていました。

映画感想「夏、至るころ」「天国にちがいない」

「夏、至るころ」

全編ゆるゆるな映画で、これというテンポもなく、どこへ向かうという核もなく、淡々と青春の物語、池田エライザの半自伝だと言いますが、その物語が綴られていく。冒頭部分はカット割が妙なのは個性なのかなんなのか、そのうちそれも見慣れてしまって、普通にラストを迎える。そんな映画だった。監督は池田エライザ

 

ワイヤーで作られたツリーのようなジャングルジムに高校生の翔と泰我が登っている。進学するか就職するかの話で、泰我は進学して公務員になりといい、翔は地元で太鼓を続けたいという。二人は地元の祭りの太鼓の奏者だった。

 

平凡な家庭を作るという泰我に、翔は平凡、幸せとは何なのかと自問自答し始める。祖父の鳥の爪を切るためペットショップを訪れ、そこで都という女の子と知り合う。都の話を泰我としていた翔はそこに都がいて、都は自分のギターを処分したいという。しかし店は閉店していたので、三人は翔らの高校へ忍び込みプールに飛び込んで戯れる。

 

翔と泰我は、この町で見える二本煙突が一本に見えるところを見つけたら幸せになるというのを聞く。翔は探し回るが見つからず、やっと見つけたところに泰我がいた。泰我はやはり太鼓を続けたいと言い、二人は祭りで太鼓を鳴らす。

 

やがて、翔は海外へ行くことを決め旅立っていく。しあわせの青い鳥と絡めた幸せメッセージが全く機能しておらず、チグハグで何を言いたいのかがまとまっていないのは、なんとも残念。結局、作っている自分しかわからない仕上がりになった作品という感じでした。

 

「天国にちがいない」

小ネタを散りばめたシュールコメディという空気感の映画で、いくらか面白いのですが、次第にその繰り返しに飽きてくる。シンメトリーな画面を徹底し、スレイマン監督のみがキャストという展開で描かれる独創的な映像は、物語も掴めないし、映像芸術的な雰囲気もあり、100分程度の作品でもしんどかった。監督はエリア・スレイマン

 

キリスト教の儀式が行われている場面から映画は始まる。そして、建物に入ろうとするが、中に誰かいて扉を開けないので、神父が怒って脇の入り口からドアを蹴破る。こうして物語?が始まる。

 

レイマン監督の庭の果実を隣人が勝手に取っている場面から、物語はスレイマン監督が新作映画の企画を売り込むためにイスラエルのナザレからニューヨークへ向かう旅を描いているらしいが、解説を読まないと全くわからない。

 

途中のパリでは洗練されたファッションや美しい街並みを見て、ニューヨークでは映画学校などに招かれるがチグハグで全く通じない。結局、企画は断られ、再び故郷に戻ってくる。

 

というお話らしいが、繰り返される小ネタの数々の間に空間移動の場面が少なく、終始ストップした演技のアップがほとんどで、どういう風にスレイマン監督が移動しているのか混乱してしまう。面白い映画なのですが、せいぜい60分くらいでまとめる感じの作品ではないかと思います。

映画感想「おもいで写真」「理由なき反抗」

「おもいで写真」

これというほどの映画ではなかったけれど、最後まで飽きずに見ることができた。さりげないエピソードの積み重ねですが、お年の方が微笑む姿の連続に癒される年齢になったのでしょうかね。監督は熊澤尚人

 

東京でメイクアーティストになる夢を挫折し、祖母の葬儀に主人公結子が故郷に戻ってくるところから映画は始まる。祖母の遺影がピンボケ写真しかなかったという幼馴染の一郎が結子に告げる。役場に勤める一郎は、落ち込んでいる結子に、お年寄りの遺影写真を撮って回る仕事を頼む。結子は気乗りしないままに、高齢化が進む団地を回り始める。

 

最初は受け入れられなかったが、一人の婦人和子と出会ったことで、遺影よりおもいで写真を撮ることで仕事を進めるようになる。映画は、様々な老人の思い出写真を撮りながら、その背後の人生の断片を描き、結子の両親の過去や、一郎との切ない思い出が語られていく。

 

一見平凡な物語ですが、脚本がしっかり描かれているせいか薄っぺらくならずに畳重ねられているのがいい。そして、東京のデザイン会社に行くつもりだった一郎は、地元が好きだと分かり、結子に告白めいたことを言って映画は終わっていく。まあ普通の映画でした。

 

「理由なき反抗」

洋画劇場で見たきりで、長いことスクリーンを待っていた名作を、ようやく見ることができた。こんなに素晴らしい名作だったんだと改めて感動。たった一晩の物語に凝縮された青春の1ページのあまりに残酷であまりに切ない物語に自然と涙が溢れてきました。冒頭の伏線がラストで生きる脚本の素晴らしさも秀逸でした。監督はニコラス・レイ

 

道路上で猿のおもちゃのアップから、そこに酔っ払ったジムが転がるオープニングで映画は始まる。泥酔いしたジムは警察署へ連れて行かれる。そこには不良グループと一緒に捕まっているジュディ、両親に放っとかれて家出したプレイトウがいた。震えているプレイトウにジムは上着を貸してやる。ジュディは釈放される時にコンパクトを忘れていく。

 

ジュディの両親は十六歳になったジュディの扱いに困っていて、ジュディは両親への反抗から不良のバズらと付き合っている。ジムは前の学校で暴力沙汰を起こし、ここへ引っ越してきた。母がやたら偉そうで父を尻に引き、何かにつけ世間体を重んじてジムとの間にも溝がある。ジムは初めての登校でバズらに目をつけられ、チキンレースをすることになる。

 

バズは、ジムのことを少し気に入っていて、半分友情親交も含めチキンレースを行うことにした。そして夜、ジムとバズはジュディの掛け声で車を崖めがけてスタートさせるが、ジムは飛び降りたが、バズは服が引っかかりそのまま転落して死んでしまう。ジムは罪の意識で警察へ赴くが、頼りにしていたレイ警部は不在だった。バズの仲間はてっきり自分らをタレコミにきたと思い、ジムをつけ狙おうとする。

 

一方、プレイトウは家に帰ったものの両親は養育費だけ置いていて不在で、枕の下に隠していたピストルを持って家を出る。そんな頃、不良たちはプレイトウを脅して手に入れたジムの家に嫌がらせをしにいくが、ジムはジュディを連れてプレイトウに教えてもらっていた山の頂の空き家へ行く。プレイトウも間も無く現れ、三人で自由を楽しもうと思ったが、一人眠ってしまったプレイトウのところに不良グループが現れる。プレイトウは慌ててそのうちの一人をピストルで撃ち、逃げて、昼に行ったプラネタリウムに逃げ込む。

 

ジムとジュディはプレイトウを追ってプラネタリウムに行くが、すでに警察や両親が駆けつけていた。なんとかプラネタリウムに潜り込んだジムたちはプレイトウを説得し、ピストルから弾を抜いて返す。ジムは自分の赤いジャケットをプレイトウに与える。灯を落とし、下がるように叫ぶジムと一緒にプレイトウも現れる。レイ警部らも待ち構えるが、つい灯をつけ、警官が銃でプレイトウを撃ってしまう。プレイトウは死に、ジムらは両親に抱きしめられ、映画は終わっていく。夜が明け、あたりは明るくなっていた。

 

たった一晩の物語で、何もかもを詰め込んだ素晴らしい脚本がまず見事で、思春期の危うい子供たちの心の物語が絶妙の展開でどんどん表現されていくのに圧倒されます。名作とはこういうものですね。