くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「霧ある情事」「死者との結婚」「離愁」

「霧ある情事」

前半は非常にテンポの良い流れでぐいぐい引っ張っていくのですが、後半逃避行になった途端にだらだら間延びしてしまうのがしんどい。ただラストの洒落たエンディングはなかなか良い感じの映画でした。監督は渋谷実

 

刺青をした一人の男室岡がシャワーを浴びているシーンから映画は幕を開ける。妻の葬儀の日なのですが息子浩一が警察に逮捕されたのだという。困った室岡はたまたま電話が来た二号の園子に引き取りにいってもらう。園子は室岡が拾って世話をしている秘書の森野に園子への手当てなどを渡していて、この日も園子は森野のところへ行く。実は森野は園子のことが好きだった。

 

そんな時、たまたま浩一が森野に絡み、最近室岡の仕打ちにむしゃくしゃしていた森野は浩一と揉み合って刺し殺してしまう。それを聞いた園子は、飲んだくれの父親との確執などにむしゃくしゃしていて、森野と逃げることにする。

 

森野は自分の実家を目指すが、馬小屋に隠れているところへ、追いかけてきた園子の父親に発見される。園子は父を殺そうと湖に連れ出し、まんまと沈めたと思ったが、なんと生きていて、園子と森野が小屋に火をつけて死のうとしたところへ助けに入る。森野はその場で自殺してしまい、園子は実家に戻り、飲んだくれの父の姿に嫌気が差しながらもふて寝して映画は終わる。

 

ちょっと全体の流れがうまく噛み合っていない仕上がりですが、どこか魅力が見える一本で、決して傑作ではないものの見て損のない一本でした。

 

「死者との結婚」

モダンなタッチで余計なカットを全く挟まずに繋いでいくフィルム編集が見事で、ヌーベルバーグを思わせるタッチが実に面白いサスペンスでした。監督は高橋治

 

一人の女性光子がビルの屋上から飛び降りようとしている、カットが変わると列車から飛び降りようとしている。背後に流れる一人セリフで、光子がいかに不幸な目にあったかが語られる。そして船から飛び込もうとして止められ、船室に連れて行かれる。止めたのは保科妙子という新婚の女性でどうやら大金持ちの家に嫁いだらしいがまだ姑とも面識がないとのこと。化粧のために婚約指輪を光子に預けた妙子だが、直後船が波に呑まれて沈んでしまう。この出だしがハイテンポで面白い。

 

病院で目覚めた光子は、自分の名前が保科妙子になっていることに気が付き驚く。指にしていた預かっていた婚約指輪のせいだとわかるが、夫となるべき人も本物の妙子も死んでいた。そしてあれよあれよという間に出産し、保科家に入ることになってしまう。しかし、夫となるべき男の弟則夫は最初は疑う。しかし、献身的に尽くす光子は妙子となって生活するうちに則夫も光子を妙子として受け入れるようになっていく。姑のすみのは心臓が悪く、今更光子が真相を告げても体に悪いだけと思ったこともある。

 

ところがある日、謎の手紙が光子に届く。それはかつての恋人中西久夫からだった。光子は中西に恐喝されながら今後を悩み始める。そして光子は中西を殺すために銃を持って中西のアパートに行くが、既に中西は何者かに殺されていた。そこへ則夫が駆けつけ、中西の死体を列車に投げ込み処理をする。ちょうどその夜、すみのの容体が急変し死んでしまう。死の床で、すみのは光子に一通の手紙を託す。

 

まもなくして警察がやってきて則夫は事情聴取に出かける。困った光子はすみのから、困った時には開くようにと渡された手紙を開く。そこには中西を撃ち殺したのは自分だという告白が書かれていた。戻った則夫に話し、光子は子供を連れて家を後にして映画は終わる。

 

ワイプを使った映像編集でオープニングを畳み掛け、本編に入った後も、余計なシーンをバッサリカットしたかのような展開のリズムでどんどんストーリーを語っていく。なかなか見応えのある一本でした。

 

「離愁」

半年間のひとときの揺れる女心を凝縮して描く三角関係の恋愛ドラマ。まるで昼ドラを見ているような感覚に浸りながらも、いかにもな恋物語を楽しめました。監督は大庭秀雄

 

竹生島に向かう船の中で、一人の男性境がくらい表情の女性れい子を見つけるところから映画は始まる。れい子がいかにも飛び込みそうなので境は彼女を連れて旅館に戻る。れい子は叔母の暁子を呼ぶが、やってきた暁子は境の知り合いだった。暁子は夫三浦と婚約していた頃に陶芸家の作品展で境と知り合い、つかの間付き合っていたのだ。できることなら境と結婚したかったというのが本心だった。

 

やがて、れい子は暁子が連れ帰るが、暁子の心は揺れ動き始める。そんな頃、夫の三浦が学会で半年ヨーロッパに出かけることになる。れい子は暁子の揺れる心を察知しながら、境に近づくようになり、親しく振る舞いながら暁子をじれさせるようになる。れい子は自分にも恋人がいたが、境に惹かれていく自分を感じていた。

 

そんなれい子を戒めながらも自分の気持ちを抑えきれなくなっていく暁子。感極まり、暁子はもう二度と境と会わないという誓約書をれい子と二人で書く。しかし、れい子は暁子との逢瀬を段取りしてやる。夜遅くなっても帰らない暁子にいらつくれい子だが、戻ってきた暁子は誓書を破ることにする。やがて、三浦がヨーロッパから帰ってきて、暁子は何事もなかったように出迎え、れい子も今までのことが嘘のように恋人とどこかへ行って映画は終わる。

 

まあ、たわい無いと言われればたわい無い映画ですが、時間を区切った一時の恋愛物語としての面白さは堪能できました。

映画感想「あの頃。」

「あの頃。」

今泉力哉監督作品なので相当期待したのですが、なかなかこちらに響いてこないままラストまで流れていって、ちょっと物足りなさを感じてしまいました。そもそもこういう話は今泉力哉監督はどう撮るんだろうと不安でしたが、その通り、ちょっとリズムが乗り切れなかったように感じたのは私だけでしょうか。

 

2004年、大阪。スタジオでバンドの練習をしている主人公劔は、仲間からもっと練習してこいと罵倒されるところから映画は始まる。バイトに明け暮れ、これというものもなく毎日を暮らす劔、そんな彼のところに友人の佐伯がパチンコに行こうと誘いにくる。劔はベースの練習に没頭しているので佐伯は一人でいき、そこで手に入れた松浦亜弥のCDを土産に届ける。

 

なんの興味もなかった劔だが、一眼で松浦亜弥に魅了され、CDショップへすっ飛んでいく。そこの店長ナカウチはハロプロイベントを仲間内で開催しているスタジオに劔を誘う。そして劔はそこで仲間に入れてもらい、そのままナカウチらと行動を共にするようになる。この辺りの展開の抑揚がどうも中途半端で盛り上がらない。

 

グループで知り合ったネット弁慶のコズミンらのエピソードを絡めながら、ロビやアール、イトウら仲間と騒ぐ日々を描いていくがここもいまひとつインパクトに欠ける。やがて2008年となるが、メンバーの時間は変わることがない。やがてナカウチは東京へ行く。劔は音楽への思いを忘れられず、ナカウチに誘われるままに東京へ行く。

 

そんな頃、コズミンが肺がんに犯されたと連絡が入る。もともと前向きで楽観的な彼は、癌になったことに悲観することもなくメンバーたちとの行動に何かの時は参加する。ストーリー展開に変化が出てきているにも関わらずリズムが全く変わらず、メンバーたちのノスタルジーに浸るセリフが挿入されるが、スクリーン上では全く時間が進んでいない。この違和感のまま、やがてコズミンは死んでしまう。

 

劔はナカウチの紹介で再びバンドを始めるようになり、今が最高にしあわせだと呟く。映画はこうしてフェードアウトしていくのですが、いかんせん、富永昌敬脚本なのにリズムが乗ってこないし、いつもの今泉力哉監督らしい洒落たセンスも見えてこないのがどうも消化不良な映画でした。

映画感想「世界で一番しあわせな食堂」「愛と闇の物語」

「世界で一番しあわせな食堂」

とっても素敵なハートフルラブストーリー。たわいのないお話なのにいつの間にか引き込まれて、ラストは心があったかくなりました。美しいフィンランドの景色と、素朴な登場人物たち、そして自然とラブストーリーが見えてくる展開はとっても良いです。監督はミカ・カウリスマキ

 

フィンランドの田舎村、一人の中国人チェンと息子のニュニョがバスから降り立ち、一軒のレストランに入る。そしてその店を切り盛りするシリカに、フォントロンという人を知らないかと尋ねる。食堂内にいる人たちにも丁寧に聞いて回るチェン。二人は食堂の隅で閉店までいたが、ホテルも遠いということで、シリカは空いている離れの部屋を与える。

 

次の日もチェンらは食堂で手がかりを待つが、そこへ観光バスに乗った中国人旅行者がたくさんやってくる。困ったシリカの姿を見たチェンは忠義期料理を作ると言い出す。そしてチェンが作った料理は評判になり、次々とツアー客が立ち寄るようになる。また村の老人たちもその食事を食べると体の調子が良くなると評判になっていく。

 

まもなくして、フォントロンというにはフォルストロンという名前で、既に亡くなっていることがわかる。フォルストロンというには上海でチェンがいた頃彼を助けてくれた恩人で、その時の恩返しにお金を返しにきたのだという。チェンの妻は自転車に乗っていて事故にあって亡くなっていた。チェンは結婚指輪を村のそばの丘に埋める。

 

目的が果たせなかったチェンだが、村の人々やシリカに懇願され、しばらくこの村にとどまり、料理を作ることにする。村の人たちにも慕われ始め、l医食同源を主旨とするチェンの料理は村人にも評判になっていく。ニュニョも村の子供達と仲良くなっていく。しかし、チェンのビザの期限が近づく。

 

チェンは去る決意をすり。そして妻に誕生日、チェンとニュニョは指輪を埋めた丘に行く。そして爆竹を焚いて祝うがその煙の中にシリカが現れる。

 

間も無くして、警官がチェンのところにやってくる。しかし既にチェンはいない。村人のスマホに上海で結婚したチェンとシリカの映像が流れてくる。フィンランドに戻ることを約束して二人は結婚、ハッピーエンドで映画は終わる。

 

シルエットをうまく使ったフィンランドの景色のカットがとにかく美しく、ため息が出るほど息を呑んで引き込まれてしまいます。その中で、村の老人たちの優しい笑顔やそのあたりに普通にうろついているトナカイの景色など、映画全体がゆっくり素朴に流れているのが心地よい作品でした。

 

「愛と闇の物語」

監督がナタリー・ポートマンじゃなかったら見ていないかもしれない作品です。正直、最初は何を描こうとしてるのかわからなかった。地味な映像と淡々と進む家族の物語はしんどかった。

 

一人の老人、主人公アモスの今の姿である。場所はエルサレム、彼は幼い頃の母の思い出を回想していく。時は1945年に遡る。英国統治下のエルサレムで過ごす父アリー、母ファニア、そしてアモスユダヤ人で、何かにつけて、白い目で見られている。母はもともと裕福な家庭に育ったので、ここでの抑圧された生活は次第に心に影を落とし始める。そんな彼女はアモスに持ち前の想像力を駆使して様々な冒険物語を聞かせる。

 

というのがお話の中心なのですが、どうもファニアの物語が浮き上がってこないので、終始地味な物語が続く。といってユダヤ人としての苦悩がしっかり描けているわけでもなく、時折現在のアモスの映像も挿入されるのですが、展開がリズムにのってこない感じで、見かねたアリーは、しばらくテルアビブの姉妹のところで休養してはどうかという提案でファニアはアモスらの元を離れるが、しばらくして亡くなったという知らせが入る。映画はこうして終わっていくのですが、何を描くという視点が明確に見えなかった。

映画感想「ノンストップ」「愛の濃淡」

「ノンストップ」

非常に評判が悪いので迷っていましたが、意外に面白かった。韓国映画の幼稚さが程よい感じで生かされていて楽しいコメディになっていました。これでもかと次々と黒幕やら裏切り者やらが出てくるしつこさがもうちょっと上手く整理できたらもっと面白くなったろうにという出来栄えでした。こういう映画を粗探ししてはいけないし、素直に楽しむ作品だと思うので、十分だったと思います。監督はイ・チョルハ

 

何かの任務で北朝鮮工作員が次々と敵を倒していく場面から映画は始まる。そして一人の女性に逃げるようにという連絡が入り相棒らしい男性を撃って逃げる。そして物語は現代となる。

 

揚げパンを作る主人公ミヨンは、パソコン修理を仕事にする優しい夫ソクファンと娘と幸せに暮らしている。ソクファンはいつもくじ引き付きの栄養ドリンクを飲むのだが、この日もハズレ。そんなところへ帰ってきたミヨンは、たまたま飲んだ栄養ドリンクでハワイ旅行が当たる。これまで節約生活をし、娘にも贅沢させていなかったミヨンたちは、これを機会に旅行へ旅立つ。

 

やがて、飛行機はハワイへ飛び立つが、何と中には北朝鮮の秘密工作員が乗っていて、かつて脱北した諜報員、実はミヨンがこの飛行機に乗ったことを掴み、彼女を北朝鮮へ連れ帰る任務を帯びていた。そのリーダーはかつてのミヨンの相棒ヒョンミンだった。今やミヨンは整形して姿がわからない。突然テロリストたちが飛行機をハイジャックしたのに対し敢然と立ち向かっていく。

 

こうして、機内での予想外のアクションシーンとなる。この導入部はそれなりに面白いし、いかにも無能な客室乗務員なども登場して、まさに韓国映画感満載である。実はミヨンの夫ソクファンも工作員で、情報担当だったこともあり、パソコンを駆使して機内をサーチしていく。

 

一時は有利に展開したミヨンらだが、捕まってしまう。しかし、ヒョンミンも裏切られ、ミヨンとの疑惑も晴れた二人はヒョンミンと力を合わせテロリストを排除し、全てうまく収まったかと思われたが、乗客で乗っていた一人の男が実は北朝鮮が送り込んだ工作員で、ミヨンを連れて飛行機から脱出しようとする。間一髪、ミヨンの機転でその男は機外へ投げ出され大団円。一時は韓国へ戻る予定だったが機長の判断で予定通りハワイを目指す。実は栄養ドリンクのくじもソクファンの計画だったというオチで終わる。

 

まあ、あれよあれよと雑多に展開する映画ですが、退屈するような間延びシーンもしつこい稚拙なシーンも最小限で止められていて、乗客の中の女優や姑と同乗の嫁のエピソードなどそれなりに工夫も見られた。諜報員らの背後の政府関係者らしい人々の話は全くわからなかったのは残念。もうちょっと感性のいい監督ならもっと面白くなったかもしれないけれど、これくらいなら十分だと思います。面白かった。

 

「愛の濃淡」

イライラするほどにめんどくさい大人の恋愛ドラマ。これがこの時代の色なのですが、そこまでめんどくさくても今時の子供じみた恋愛ドラマよりずっと大人びているのだから大したものでもあります。主演の岡田茉莉子は相変わらず見事な存在感ですが、主演というより脇役に見えるストーリー展開は微妙ですね。監督は岩間鶴夫。

 

洋品店で新しい服を新調した主人公えり美のカットから映画は幕を開ける。店を任されている森子がデザインしたもので、えり美に褒められ有頂天。店員の間ではえり美はどこかのお嬢さんかマダムだろうと噂されている。そんなえり美は街で正彦という男性とぶつかってしまい知り合う。カフェでえり美は自分の商売のマッチを差し出す。それは娼婦ということだった。えり美の誘いを体良く断ったが、正彦の誠実さはえり美の心を掴んでしまう。

 

正彦は森子の勤める店のオーナー小織の弟で、正彦と森子は恋人同士だった。正彦は森子とデートしている時たまたまえり美が雅彦の会社の取引先の水沢という男性といるところを見かける。水沢には妻子がいるがえり美を娼婦と知らずに付き合っていた。伊豆に行った時、正彦は森子にキスを迫るが森子は頑なに固辞してしまう。

 

ある夜、正彦が家で寛いでいると突然えり美が訪ねてくる。水沢に住所を聞いたのだという。しかも部屋で飲んでいたえり美は突然倒れてしまう。とってつけたような展開である。慌てる正彦だが、すぐに気がついたえり美は部屋を後にする。この後、えり美と正彦は次第に親しくなっていく。

 

京都で森子のファッションショーが開催されることになり、森子はそこでショーのスポンサーでもある芦沢夫人の弟滋と知り合う。滋は一見紳士だったがいかにもな遊び人で森子に結婚を申し込む。森子は正彦のことが好きなので何とか断ろうとするが、そこに正彦とえり美のことを疑い始め、苦悩し始める。

 

えり美は、水沢に別れを言い出し、水沢の申し出で最後の旅行を承諾し伊豆に向かう。えり美はそこでたまたま正彦も伊豆にきているのを知る。一方森子は滋の申し出を断り、正彦を追いかけてくる。そんな頃、えり美は、水沢がえり美との別れに未練がましいことを言い出してきたので困って正彦に電話をする。その場にたまたま森子がいて、森子は正彦の元を離れる。えり美は何とか水沢から逃げて東京に戻り、友人のロロの部屋に転がり混む。

 

ロロは正彦を訪ね、えり美の苦しみを伝え、会ってやって欲しいと告げる。ちょうどその頃、えり美を見つけた水沢はえり美に迫り、とうとう刺し殺してしまい自らも自殺する。そこへ正彦を連れたロロが帰ってくる。悲嘆に暮れ外に出た正彦の前に森子が現れる。そして二人で歩いていって映画は終わる。あれ?滋はどうした?芦沢夫人はどうした?という感じで、しかも都合よく現れる森子がなんとも言えない存在感で、ではえり美の話はどうなのと思ってしまう展開で終わる。売春禁止法施行直後のメロドラマという色合いが懐かしい一本でした。

映画感想「劇場版 美少女戦士セーラームーンEternal 後編」「ウォーデン 消えた死刑囚」

「劇場版 美少女戦士セーラームーンEternal後編」

闇のサーカス団によってピンチになったセーラーマースたちの場面からカットが変わり、ネプチューンらお姉様方三人のシーンへ。今や娘をネプチューン、ウラヌス、プルートの三人で育てるが、娘はみるみる成長しやがてサターンとなる。そして目覚めたセーラーサターンはちびウサたちのピンチを救うべく旅立つ。

 

一方闇のサーカス団の四姉妹は実はデスムーンの女王ネヘレニアに操られていたのだった。ネヘレニアはかつてプリンセスセレニティの母が女王であった頃、光の月の国に入り込んで闇の世界を広めて来た女王だった。

 

エリオスの必死の浄化作用で、何とか胸の苦しみから脱出したセーラームーンとタキシード仮面はセーラー戦士たちと力を合わせ最後の戦いに臨んでいく。と物語は単純なのだがいかんせん説明シーンがくどくて頭がいっぱいになってしまった。

 

そして、ネヘレニアを倒したセーラームーンたちは晴れて地球に光をもたらし平和になってハッピーエンド。そして物語は続くで映画は終わる。って、続くんかい!ということです。

 

まあ、懐かしさだけで見に行った映画なので多くは求めませんが、それなりにドキドキしている自分がいました。

 

「ウォーデン 消えた死刑囚」

なかなか面白い一本で、何気ない恋物語かなんかのオープニングから何のことはないサスペンスが次第にじわじわと人間ドラマに転換していく。それでいて、どこかホラーテイストさえ盛り込まれた面白ささえ見え隠れする。映画を楽しんだという感じで堪能できました。監督はニマ・ジャウィディ。

 

ある刑務所、絞首台を撤去しようとしている場面から映画は幕を開けます。ようやく土台だけ取り外したところで、カメラは引越し作業をしているような刑務所内のドタバタへ。所長のヤヘド少佐は囚人たちを新しい刑務所に移送する業務に奔走している。新しいところで絞首台を作って欲しいと高齢の男に頼むが良い顔をしない。上官がやってきて、出世を約束した言葉を告げると、部屋の裏に入ったヤヘド少佐は小躍りして喜ぶ。そんな彼の部屋に電話が何度もかかってきている。

 

上官が帰った後、電話を聞いてみると、一人の死刑囚が行方不明だという。事情を聞くためソーシャルワーカーを呼ぶが何とそれは美しい女性だった。ヤヘド少佐は、行方不明になったアフマドという囚人が実は15年の刑から死刑に変更されたことを聞く。間も無く、アフマドの妻と娘というのがやってくる。刑務所内に隠れているはずだからと取り壊すのはまってくれと懇願したりする。

 

しばらくすると、取り壊すための重機がたくさんやってくる。皇后がやってくるための空港の拡張のため、今夕までに取り壊しをし終えないといけないのだという。どうやら行方不明の囚人は靴墨を塗って逃げたようで、靴墨の痕跡のあるところをあちこち調査するが一向に見つからない。やがてソーシャルワーカーの女性は一旦刑務所を離れるが、しばらくしてまた戻ってくる。しかもアフマドは無罪で、殺人は事故だったのだと訴える老人も現れる。ヤヘド少佐は、独房の中を調べていて突然ドアが閉まって出られなくなったりする。ソーシャルワーカーの女性も実はアフマドの逃亡のために、刑務所内を撹乱するため戻ったのだ。

 

女性の行動に不審を持ったヤヘド少佐は、彼女を逃亡幇助だと責める。ヤヘド少佐は、刑務所内に隠れていると確信し、ガスを充満させて燻り出そうとするが見つからない。刻限が迫ってくる中、ヤヘド少佐はこのままここを立ち去ろうとする。そして立ち去ったふりをして、離れたところから刑務所を監視してみると、一人の男が出てくるのを見つける。ところがヤヘド少佐らの動きを不審に思ったソーシャルワーカーが戻ってきたことで、アフマドはまた刑務所内に逃げ込む。ヤヘド少佐はもう一度探そうとするが結局見つからず、そこへ上官が、辞令を持ってくる。腹を括って荷造りをしたヤヘド少佐だが、アフマドが落としたらしいお守りの中のメモを発見、そして、新しいところへ持っていく絞首台の中に隠れていることに気がつく。

 

ヤヘド少佐が絞首台を乗せたトラックを追う。ソーシャルワーカーも追いかける。そして追いついたヤヘド少佐は絞首台の台座を覗くと隠れているらしい息遣いを認めた。万事休すと思ったソーシャルワーカーだが、ヤヘド少佐は、自分のジープに積んでいたアフマドの荷物をそっと台座の横に置き、トラックに出発の合図をする。こうして映画は終わる。

 

どこかコミカルなところもある憎めないサスペンスで、独房内で出られなくなるというホラーテイストな場面や、靴墨をヒントに探す推理もののような味付け、さらにソーシャルワーカーに気があるヤヘド少佐の子供じみた描写など、愛くるしいほどに楽しめる。イスラム革命前のどこか重々しい背景のはずなのにこの軽さはどうだと言わんばかりに面白かった。

映画感想「私は確信する」「心の傷を癒すということ 劇場版」

「私は確信する」

非常に見応えのある力作で、細かいカットの積み重ねと極端なクローズアップで作り出す緊張感が最後まで物語の気を抜くことがない。しかし、頭から最後まで徹底したその演出は、一方で、無罪判決のために執拗なくらいに凝り固まって奔走する主人公ノラの姿と重なり、こういう姿勢こそが冤罪を生み出すのではと言わんばかりの逆説的な表現になってくる。実在の事件「ヴィギエ事件」の被疑者ジャックが無罪となるまでの物語を架空の人物ノラを通じて描く法廷サスペンスですが、作者の意図は裁判の行方では無いというのもわかります。退屈はしなかった。監督はアントワーヌ・ランボー

 

まずヴィギエ事件についての説明文から映画は幕を開ける。ここを的確に映像で見せようとしなかったのは、この後の本編が混乱するためだろうが、いわゆる、真逆に近いほど裁判のやり方が異なるためやむを得ないのでしょう

 

一人の女性ノラが、一旦釈放となったものの約十年後第二審が決定し、再び法廷に立つことになったジャック・ヴィギエの弁護を敏腕弁護士デュポンに頼む場面から映画は始まります。ノラには一人息子がいてその家庭教師をしてくれている父親がジャック・ヴィギエだったのだ。

 

ジャックの妻スザンヌはある日失踪し、夫であるジャックに殺人の疑いがかかり。しかし、確たる証拠がないまま釈放となる。しかし、マスコミの過剰な報道と検察側の威信もあり再び彼を殺人罪として法廷に立たせる。ノラは最初の裁判では十分に確認されなかった膨大な量の通話記録をデュポンを通じて手に入れ、その分析をアシスタントとして任される。

 

ノラは一人息子と暮らすシングルマザーだが、次第に裁判にのめり込んでいき、仕事先も息子のこともおざなりになり始める。執拗なくらいにジャックの無実とスザンヌの愛人デュランデの殺人の嫌疑の証明に奔走していくノラ。彼女の鬼気迫る行動は時にデュポン弁護士を苛立たせるまでになって来る。しかし、膨大な通話記録を整理していく中で、いかに警察の捜査が雑であったか、証人達の証言が曖昧で偽証も含むものであったか、そしてそんなことに拘らず裁判が進められて来たかが見えてくる。

 

そして、判決の日、ジャックは無罪となり物語は終わっていく。日本などと裁判の形式が違う上に、具体的な証拠による裁判というより心象や感情による判決が優先されるという裁判のやり方への疑問のメッセージを全面に押し出してくる演出はなかなかの迫力で、法廷劇の面白さと作者のメッセージが両立したなかなかの秀作という感じでした。

 

「心の傷を癒すということ 劇場版」

素直に何度も泣いてしまいました。映画全体が優しくて癒される秀作でした。こういう良い映画をたまには見ないと心が荒んでしまいますね。神戸の精神科医安克昌氏の著書を原作にしたNHKドラマの劇場版再編集作品ですが、本当に心が清められてしまいました。監督は安達もじり。

 

時は1970年の日本万博の年、神戸に住む安田家の三人の幼い兄弟のシーンから物語は幕を開けます。母の鏡台からから外国人登録証を見つけ、自分たちが在日韓国人だと知ります。父は事業家で、子供たちにも世の中の役に立つ人間になれと厳格に育てていました。長男は東大へ進みますが、次男の和隆は、中学時代から尊敬する精神科の先生に惹かれて、医学部に進み精神科医を目指します。そんな和隆を父は厳しく非難します。

 

やがて、映画館で知り合った終子と結婚、間も無く子供が生まれます。しかし、阪神淡路大震災が起こり、和隆は自分に何ができるのかと悩みます。しかし、精神的に支えること、自分ができる範囲で一生懸命働くことを実行していきます。

 

新聞社の求めに応じて、被災地での出来事を本にし、それが賞を取ることになりますが、そんなころ、父は病で亡くなります。亡くなる前、父は和隆のことを誇りにしていました。

 

ところが、ある日、腹部に痛みを覚えた和隆は、検査で癌が見つかります。間も無く三人目が生まれようとする頃、三人目の子供に光と名付けて和隆は死んでいきます。

 

セリフの一つ一つ、場面の一つ一つが実に優しい作品で、四話のテレビドラマを見事に一本の作品にまとめられていて、本当に良かったです。

映画感想「ろまん化粧」「すばらしき世界」

「ろまん化粧」

入り組んだ男女が織りなす恋愛模様という感じで、どれという核の話もなく、ただ入り乱れて雑多な展開となる。まさに映画黄金期のプログラムピクチャーという空気の映画でした。監督は穂積利昌。

 

パリで学んできたヘアスタイリストの女性が日本へやって来るところから映画は始まる。彼女を迎えにきたのは美容室を営む掛井だが、空港で新聞社の真木という男と出会い一目惚れしてしまう。しかし、掛井の所の専属モデルの一人木塚の弟隆が掛井に一目惚れしてしまい、強引にキスをする。しかし掛井にその気がないため、自暴自棄になった隆は大学を辞め、真木の紹介で出版社に勤める。しかし、そこの上司の女性と良い仲になり生活は荒れてくる。

 

一方、あるミスコンに出場した真木の妻の妹が見事優勝し、どんどん有名になっていく。そんな話の合間に掛井は大会社の重役風間と見合いすることになる。しかし、どうにもいけすかない風間に愛想を尽かした掛井は、やはり真木を忘れられない。しかし、真木の心が定まらず、たまたま出会った隆と一夜を過ごしてしまう。

 

直後、掛井は真木から結婚を申し込まれるが、すでに遅いと断る。そんな時、サラリーマン仲間に恨まれた隆はチンピラに刺されて死んでしまう。死ぬ直前、掛井は真木を愛していると言って息を引き取る。

 

掛井はフランスにもう一度行くというヘアスタイリストと飛行機で旅立って映画は終わる。って、結局何なのだという物語ですが、今みれば当時の世相や風俗が垣間見られる面白さがあります。

 

「すばらしき世界」

なんとも嫌味な映画である。映画としてはよくできた作品だが、ラストで初めて出るタイトルクレジットで一気に嫌な気分になってしまった。何でもっと素直にたのしめる映画を作ろうとしないのだろう。「ヤクザと家族」とほぼ同じテーマを扱っているが、あちらが男目線のドラマ作りなのにこちらはインテリの女目線の作品になったように思えます。ヤクザとして生きたことによるペナルティを描く一方で、母親への追慕を終盤に盛り上げてくる。しかも、ラストで健常者たちがする行為に目をつぶれるようになった結果ああいうラストを迎え、そしてタイトルクレジット。これはどうなんだろうか。監督は西川美和

 

雪が深々と降る刑務所の場面から映画は幕を開ける。主人公三上が十三年の刑期を終え、北見の雪深い刑務所を出る日が来た。荷物を返してもらい、見送られてバスに乗る。今度こそ堅気になると呟く。そして、保護士の元へ出かけ、生活保護の申請をし、仕事を探そうとするも、すぐに昔の癖が出てキレて暴れてしまう。高血圧で薬を手放せない。このあたりの三上の描き方の描写がまるで聞かん坊の子供を描いているように見える。

 

ここに、刑務所から出て来た人物に焦点を当てて番組を作ろうとしている吉澤という女が、今は小説を書こうと頑張っているかつての同僚津乃田を誘い、三上が刑務所にいる時に自らの服役記録を綴った身分帳から母親を探してほしいという依頼に乗るという企画を進めようと近づいてくる。そして、津乃田らは三上に近づくが、三上がチンピラを袋叩きにするのをみて、津乃田は尻込みしてしまう。この後、吉澤も含め取材の二人は消えてしまう。

 

免許を取ろうとしてもうまくいかず、スーパーでは疑われてしまうがそこの店長と仲良くなる。生活保護課の担当者からも哀れみを受ける。しかし、どうにもうまくいかずもがく中、いけないと思いながらかつての兄弟分に電話をしてしまう。そして故郷の九州へ行った三上はそこで気楽に自分の居場所を見つけた気がする。ところが、そこにも警察が踏み込み、すんでのところで女将さんに助けられて脱出した三上は再び東京へ戻る。

 

心配していた津乃田は、かつての孤児院の手がかりが見つかったからと話し、自分が三上のことを小説にするから、元の状態に戻らないでくれと頼む。三上も受け入れ、孤児院へ行くが、三上の母親のことは結局わからなかった。このエピソードを入れた理由がどうも曖昧なのが気になりました。

 

三上は生活保護課の担当者の提案で介護施設にパートに行くことになる。さまざまなことに目を瞑って生きろと保護士らに諭され、それを頑なに守る決心をする。

 

ある日、三上が仲良くしている発達障害のある職員が健常者の若い職員にいじめられているのをみて、思わず手が出そうになるが、必死で三上は感情を抑える。そして、職員らが障害者をネタにふざける姿にも同調してしまう。

 

その帰り、障害のある職員から花をもらう。それを持って帰る途中、三上にかつての妻から電話が入る。出所祝いにご飯でも行こうという。今や人妻となり子供もいる元妻との会話にかすかに心が晴れる。雨が降ってくる。三上は家に帰るが、高血圧のためかそのまま死んでしまう。

 

駆けつける津乃田やスーパーの店長、保護士、生活保護課の担当者、映画はここで空にカメラが振られタイトル「すばらしき世界」と出る。醜いものに目を瞑って自分のことだけで生きる普通の人たちが作る世界がすばらしき世界になっているかと言わんばかりで、そうなって初めてまともになる三上を描くという嫌味さはさすがにいただけない。深読みしすぎかもしれないが、そのほか三上の脇の人物の存在感が今ひとつ薄いのが余計に嫌味さが目立つ仕上がりになった気がします。